ディモルフォセカをくれた君(22)
文化祭一日目、時刻は午前11時過ぎ。
ユーリとヴォルフラムは柔道場の扉を開け、中に入った。傷だらけの鋼鉄製の扉には、大きく『ミスコン出場者控え室(AM10時〜AM11時40分)』と書かれた張り紙がされている。
中は窓が開けられて風通しが良い為、涼しい。最も、もし今日の天気が曇りではなく快晴だったら、風通しを良くしても暑かっただろう。
柔道場にはまだ他の出場者の姿は無かったが、誰かの荷物がぽつんぽつんと置かれていた。
「ちょっと早かったかな。でもおれたち、順番が早いから。早めに準備始めた方がいいよな」
「とりあえずユーリ、お前は着替えろ」
「あ、うん」
ヴォルフラムは部屋の隅にあるパイプ椅子を持って来た。
ユーリはぱぱっと制服を脱いで、例のメイド服に着替える。黒服の長袖は暑く感じられた。
「着たか? なら、ここに座れ」
「はーい」
ユーリがパイプ椅子に座ると、ヴォルフラムが髪をいじり始める。
「あっちー…」
足を少し開き、ばっさばっさとスカートの裾を振るユーリ。2人の他には誰も柔道場に来ていないので。スカートの中が他人に見える事はないが、とてもお上品とは言えない行為だ。
「はしたないぞユーリ!」
「だって暑いんだもん…しかも黒だし、長袖だし」
「お前がそう言うから、ストッキングはなしにして、ソックスにしてやっただろう」
と言うか、ストッキング着用に異議を唱えたのは、伝線させない自信がなかったからなのだが。
「足だけ涼しくなってもなぁ…しかもあの靴下、フリフリリボン付きのだし」
何人か、他の出場者が入ってきてそれぞれ支度を始めた。出場者は勿論全員男子生徒だが、それに女子生徒がついて来ているのは、彼女達が着付けやメイクを担当するからだろう。
「やっぱみんな、女の子に頼んでるんだなあ…」
その呟きはしっかりとヴォルフラムの耳に届き、彼をカチンとこさせた。
「何処を見ている、この浮気者!」
「いたたたた!」
容赦なく耳をつねられ、ユーリが痛みに呻く。
「じっとして前を向いて、これでも読んでいろ!」
ぐいっと眼前に突きつけられたのは学校祭のプログラムだった。大人しくユーリはそれを受け取って、ぱらぱらと読み進めていく。プログラムの間に、ミスコンの説明書きを書いたプリントが挟まっていたので、一応再読した。
「…やっぱなー、1位の賞品は魅力的だよなあ。…あ、3位までと、特別賞にも賞品があるんだ。へえ…」
ガラッと、柔道場の重い扉が開く音がした。
そして次に、
「渋谷、陣中見舞いに来たよ」
という、ムラケンの声。
「村田?」
ムラケンは1人ではなかった。彼には連れがいた。
「ギーゼラじゃないか!」
ユーリとヴォルフラムはそれぞれ驚愕した。ヴォルフラムが取り落としたカチューシャが、ユーリの膝に落ちる。
そう、使い捨てカメラを携えたムラケンの隣にいたのは、これまたカメラを持ったギーゼラだった。にっこりと彼女は2人に微笑みかけて挨拶を述べる。
「何でギーゼラさんが!? し、しかもムラケンと一緒に!?」
「いやあ、昇降口前で彼女に、ミスコンの開催場所を訊かれてさ。僕もちょうど同じ所に行くつもりだったから、一緒に来たんだ。そうしたら驚いた事に、渋谷の知り合いだって?」
「ギュンターの娘さんだよ」
「ああ、そう言えばそんな話を聞いたっけなぁ」
ユーリはそんな事までムラケンに話した事はなかった。だが、ギュンター本人から聞いたりしたのだろうと、その時は思った。
…実は、ムラケンの情報源は、全く別の所にあったのだが。
「でもギーゼラさんが来るなんて驚いたよ」
「父から、陛下が女装された姿を写真に撮って来て欲しいと頼まれまして」
「…」
ギュンターは今日、出張で学校にいない。ユーリの口から『ミスコンに出る』と聞いた時の彼の表情は、なまじ人並み外れた美形なだけに、絶望に溢れて凄まじかった。それこそ、ムンクの『叫び』を体現したかのような顔。しかもギュン汁付き。
「へえ、こういう服なんだ」
ムラケンが興味深い目つきでメイド服を眺める。
「お前は巫女さんの袴姿が趣味なんだろ」
「まあね」
「とてもお可愛らしいですよ、陛下」
「どうも…」
ギーゼラに誉められるのは悪い気分ではなかったが、何を誉められるかにもよる。
「今日、渋谷の家族は来るのかい?」
「ううん、来ない。お前の所は?」
「僕の所は来ないけど…」
それからムラケンはヴォルフラムの方に声をかけた。
「君の方はどうなんだい? お兄さんとか、来ないの?」
「ああ。…コンラートの奴が来るかどうかは、知らないがな」
「えっ、来られないんですか?」
ギーゼラが意外そうな顔をして、ユーリに視線を向ける。
「う、うん。多分」
…何故、彼女はヴォルフラムにではなく、自分に訊くのだろうか…。
ユーリの不安が募る。やはり、彼女は自分とコンラッドの関係に気づいているのではないか。
「あれ渋谷、その服でその靴下?」
ムラケンがしゃがみこんでユーリの脚を観察した。
「ストッキングとかニーソックスとか履かないのかい?」
「ああ、そこにある靴下履く事になってる。悪いけどさ、そこにあるから取ってくんないか?」
ムラケンが取ってユーリに手渡してくれた。ユーリは今履いている真っ白いソックスを脱いで、フリフリで黒い細いリボン付きの、何とも少女趣味なソックスに履き替える。よくもまあサイズがあったものだと、今更ながら思った。
「僕はまた、黒のストッキングでも履くのかと思ったけど」
「うん、最初はそうだったんだけどさ、暑いじゃん。それにストッキングってこう…薄くてさ、穴を開けない自信がなくて」
「こいつの脚には特別目立った傷跡も痣もないからな。それなら問題ないかと思って、ソックスに替えた」
ヴォルフラムがユーリの髪をいじり終えた。
「メイクはしないんですか?」
ギーゼラの質問に対し、ヴォルフラムが首を横に振る。
「それだけは嫌だと、こいつが言うんだ」
「ヤダ。それだけは絶ーっ対、ヤダ」
そこまでユーリは開き直れないのだ。
「ヴォルフ、頭終わった?」
「ああ」
ユーリは立ち上がってもう一度服を直した。ヴォルフラムが背中に回って、エプロンを直す。
「…渋谷、1つ訊いていいかい?」
「ん、何、村田?」
「気のせいかも知れないけど、スカートの線がおかしくないかい?」
ギーゼラもじーっとユーリの腰のラインを見つめている。
「スカートのラインが綺麗に出ませんね。失礼ですが、その下に何を着てらっしゃるんですか?」
「下は…ぱ、パンツだけだけど」
「トランクスですか?」
どうしてギーゼラはそんな事を恥ずかしげもなく質問できるのか、ユーリは不思議でならない。
「そうだけど…」
ヴォルフラムがスカートの裾を直してみる。
「確かにそうだな…僅かだが、下着のせいで、スカートのラインが上手く出ていないな…ちっ」
どうして今まで気づかなかったのだろうと、ヴォルフラムは自分を叱咤した。
「買いに行っている時間はない。こうなったらユーリ、最終手段だ」
「え? 何、まさかまさか、下着無しで!?」
まさか、それは無いだろうと思うユーリだったが…
「その通りだ」
ヴォルフラムにあっさりと肯定された。
「で、出来るかノーパンなんて! 浴衣とか着てるんならまだしも! もし、もしだぞ、途中で転んだりなんだりして、このスカートの中をご開帳するような事になったらどうするんだよ! 警察呼ばれるぞ!!」
「まあまあ、2人共落ち着いてよ」
究極の選択を迫られてユーリは焦ったが、そんな彼をムラケンが落ち着かせる。
「ほら」
ムラケンがどこからともなく出して見せたのは、コンビニの紙袋に入った、何か。
「何だ、それは?」
「下着だよ。今日の登校途中にコンビニに寄って、買っておいたんだ。あ、お代は後でいいから」
中身は買いたてタグ付きの黒いボクサーパンツだった。
「それなら大丈夫なんじゃないかな」
「サンキュ…けど村田、何でこんなの買ってきたんだ? まるでこういう問題が発生する事を、あらかじめ知ってたみたいじゃんか」
ムラケンがにっこりと笑う。
「ヨザックがね、渋谷が今日スカートを履くんだったら、多分それが必要になるんじゃないか…って言ってたから」
「ヨザック…?」
ここでまた、意外な名前が登場した。
「あれ、言わなかったっけ? 僕と彼、今、メル友なんだよ。パソコンでのね」
「な…るほど」
先日試合を見に行った時に、確かにムラケンとヨザックは随分親しげにしていた。だが、そこまでの仲であったとは、ユーリも聞いていない。
「とりあえず渋谷はそれを履いておいでよ。あ、ここでいいかな」
ムラケンは柔道場の用具室の扉を開けた。鍵はかかっておらず、無論中には人もいない。少しだけ場所を借りるなら、問題ないように思われた。
「その格好で男子トイレまで行くのも、何だろ?」
「まあね…んじゃ、ちょっと使わせてもらおうかな」
がらり、と扉を開けて、中に入るユーリ。
後ろ手にしっかりと、そう、しっかりと扉を閉めて…そして心の中で叫んだ。

ヨザックと村田がメル友。
でもって、そのヨザックはコンラッドの友達。
まさか…コンラッド→ヨザック→ムラケンって経由で、おれとコンラッドの関係が、ムラケンにバレてたりは……!?
いや、そもそもヨザックはこの事知ってるのかな。
まあ、海の向こうにいるんだから、普通は知る訳ないよな。コンラッドが電話かなんかで喋ったりしなければ…って、それならバレてる可能性はゼロじゃない!
ああ、でもヨザックはそういう事村田に話すかな……?

「渋谷…って、何やってるんだい?」
ムラケンが、顔が入るくらいに扉を開け、中を覗き込んでくる。その時、ユーリは1人で煩悶懊悩状態で、何もしていなかった。
「は…ハサミがないと値札が外せなくてさ」
「うん、だからコレ」
ムラケンが中に入って扉を閉め、ハサミを手渡す。ユーリはそれで値札を外した。
ムラケンはユーリの方とは別方向を向いて、古いパイプ椅子に腰掛けた。男同士であるし、ムラケンに見られる事にユーリは何も抵抗はないのだが、さりとてムラケンにしてみれば、決して進んで見たいものではないだろう。
「村田…ヨザックとメールしてるって言ってたろ? どういう事書いてんの?」
「周りの事とか、色々ね。最も、彼は忙しいから、僕が3通ぐらい送るのに対して、彼が1通でまとめて返事を返す。そんなペースでやってるよ。お互い母国語で書いてるんだけどね、英語の勉強になるよー」
「ふーん…」
「…そういえば渋谷、渋谷の知り合いのコンラートさん」
ぎくっ。
「あの人、最近恋人が出来たんだってね」
ぎくぎくっ。
「よ、ヨザックがそう言ってたのか?」
「そうだよ。この間電話したら、散々惚気話を聞かされて大変だったんだってさ。余程ラブラブなんだろうねぇ」
「ふ、ふーん…」
…冷や汗モノの応酬だった。
というより、コンラッドは一体、自分の知らない所でどれだけとんでもない事をしてくれているのだろうか。
「どんな人と付き合ってるのか、渋谷は知らないのかい?」
「さ、さあ…おれが知る訳ないじゃん」
「どうして? だって親しいんだろう、君たち?」
「そ、そうだけど…て言うか、何でそんな事気にするんだよ?」
「渋谷は気にならないんだ?」
「気になんないね」
「ふーん…」
今更服を脱ぐのは面倒なので、我ながらとんでもなく無精な方法だと思いつつ、ユーリはスカートをたくし上げて下着を替えてしまう事にした。
ムラケンの態度が良く分からない。本当に何も知らないのか、それともとぼけているのか。
…そういえば、ギーゼラはどうなのだろう。初デートの時に彼女の眼前でコンラッドといちゃついてしまった時の彼女の反応、そして先程の意味ありげな科白を考えると…8割、いや9割方、バレているのではなかろうか。
「どうやら、彼の相手は少々おフランス系で髪がクルクルした可愛い人でー…」
…ユーリの身体が固まった。だが舌までは固まっていなかった。
ムラケンが全てを言い終わらないうちに、ユーリは反射的に反論した。
「な…何言ってんだよ、そんな訳ないだろ。だって、コンラッドはおれと付き合って……」

……あ。

ユーリの面から血の気がひいていった。
ムラケンの目が、眼鏡の奥で光る。そのまま、彼は自分が言おうとしていた台詞を続けた。
「…歳は同じくらいじゃないかなあ、とか、僕は一人で想像してたんだけど、へー、ふーん、全然違ってたみたいだね」
「…っ…」
「君と付き合ってるんだね」
……ハメられた。
驚愕の事実を知って驚いているような表情をしてみせているムラケンだが、絶対わざとに違いない。
「村田…お前、解ってただろ。絶対ワザとだろ!」
「うん、まあね」
「まあね、って…」
あまりにもそうあっさりと認められると、怒る気力も萎えてしまうユーリだった。

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ひょっとしたら下品なネタだったかもしれません…気分を悪くされた方がいらっしゃいましたら、謝っておきます。すみません。
村田さん悪です。そしてヨザムラっぽい香りがしますが、そんな事ないです。