ディモルフォセカをくれた君(20)
「…ねえ、ユーリ」
「何?」
コンラッドがユーリの懐に顔を寄せる。
「どうしても駄目?」
「写真の事なら不可。やだよ、あんなの恥ずかしいし」
「可愛かったよ?」
ユーリがソファに座ったコンラッドの上にまたいで座っている。下を向いて彼の顔を覗き込みながら、何とも複雑そうな顔をした。
「でも駄目な物は駄目」
ユーリはコンラッドの頭に抱きついて、彼の頼みを突っぱねた。
「ミスコンっていう位だから、やっぱり、順位を決めたりするの?」
「そうらしいよ。何人か審査員がいるみたいだけど、良く知らない。まあ、一位の賞品には少しだけ興味があるけどさ」
「何?」
「購買のパンのタダ券5枚」
へえ、とコンラッドが相槌をうつ。
実家からグウェンダルを伴って帰宅する際に、「ついでに」乗せて送ってきたユーリが、今こうしてここにいる。
ヴォルフラムがどれだけの気持ちを自分に向けているのか…ユーリにその自覚があるようには見えない。
いっそ気づかないままがいい。ユーリは人が好いから、きっと気にしてしまう。

そんな事はしないで、俺の事だけ考えていて。

コンラッドの手がユーリの頬を撫でた。野球の練習で日焼けしているが、触れると手触りがいい。
ユーリはそのくすぐったさに肩をすくめた。可愛さが募って、コンラッドはユーリの身体を抱き寄せる。
「…今日の事なんだけどさあ…」
「ん?」
「バレちゃっただろ?」
「グウェンダルの事なら心配ないよ。あの人は元々、多弁じゃないし、人の秘密を簡単に漏らす人でもないからね」
「だけど…怒ってるんじゃないかと、おれは思うんだけど…」
「そんな事ないよ」
まあ、反対していないとしても、応援もしていないだろうが。
「気になる?」
別にコンラッド自身はグウェンダルにバレようがヴォルフラムにバレようが構わなかった。ユーリが嫌がるから隠しているだけで、本当は自ら進んで暴露して、恋人同士なのだと宣言してしまいたいくらいだ。
「だってあの人、怒ったらすっげー怖いんだよ! 顔とか怒鳴り声とか!」
ゲーゲンヒューバーの話の事を思い出し、ユーリが身体を震わせる。
「えっ…何か怒らせるような事でもしたの?」
「あ、あ…うん、この間ちょっとね。機嫌悪くさせちゃって」
危うくニコラの事を暴露してしまう所だったユーリだったが、何とかごまかした。
「大丈夫だよ。グウェンダルは小さくて可愛いものには特に優しいから」
「どういう事?」
「貴方が思っているよりもずっと、気に入られているだろうって事。彼だけじゃない、みんなに。でも…」
コンラッドがあるものを求めて、ユーリに顔を近づける。そしてそっと低く囁く。
「貴方に触れていいのは俺だけだけどね」
「…」
ユーリが目を閉じて、コンラッドの唇にそっと自分のそれを下ろして重ねる。淡い口づけが深くなって、吐息がかかった。
ユーリの、コンラッドの肩に置かれた手が握りしめられる。
悔しいけれどもコンラッドのキスは上手くて、本当に彼の言いなりになってしまいそうになる。
と言うより、それによってだんだんと変な気分になってしまう自分をユーリは恥ずかしいものに感じる。
赤くなる顔を、コンラッドに抱きつく事で隠した。
「ユーリ」
ユーリの服の匂いと、早い動悸の音と。
その2つがコンラッドの感覚を緩く疼かせる。
それを具体的な行動として発露させたくなったものの、そうすると今ユーリに対して自分が覚えている感情があまりにあからさまに出過ぎるようで、だから、出来ない。
自分の方が相手より年上であるという理由の元に、コンラッドは理性的であろうと努めてみる。
「…コンラッド」

……そんな声で呼ばないでくれ

「コンラッド…」
こんなにすぐ目の前に彼がいて、体温を肌で直に感じている自分がいる。
愛しさにやたらと欲望を付随させてしまうのが自分だけであったらどうしようとユーリは思ったが、抑えられない。
「あのさ…」
話しかけられて、コンラッドがにわかに身体を動かす。

「…本当に出来るもんなのかな、男同士で…」

…一瞬、コンラッドは自分の耳を疑った。思わず聞き返してしまう所だった。
まさか、ユーリの方からそんな話題をふってくるとは思わなかったのだ。
「何だろ、おれ、いきなり変な事聞いちゃってるよな…」
「ああ、いや、変じゃないよ」
社交辞令でも義理でもそう言ってコンラッドがフォローしてくれた事が、ユーリは嬉しかった。
「…ユーリは、したい?」
「…」
したい。
が、ユーリはそう答える事が出来ないでいた。
自分がそう希望を言えば、コンラッドはそれを受け入れてくれる気がするからだ。だから言えない。
コンラッドが欲しい。だが、それは相手の気持ちにもよる。
「あんたはどうなの? あんた自身は本当の所、どうなんだよ?…いいの、おれとやっても…?」
最後の表現に、ユーリは自分で赤面した。
「嫌ならいいよ。おれに気を遣って、無理しなくてもいいからさ」
「無理なんか」
コンラッドがユーリの肩に頬を寄せる。欲望を感じさせるやり方だった。
「愛してる、ユーリ。俺は貴方の何もかもが欲しい」
その言葉に嘘のない事は、ユーリにも解る。
「…おれも、あんたが欲しい」
具体的にどうするのかさっぱり知識がないので、色々と不安もあるのだが。

「…って、ちょっとマテ」
蕩けかけた意識が少しだけ固まった。
「何で、そこでソファに押し倒すんだよ?」
ユーリはコンラッドの身体を膝で押しとどめた。
「あ、ごめん、つい…」
つい、でいきなり押し倒してくるコンラッドの理性は、ひょっとしたら案外脆いんじゃないだろうかと、ユーリは思った。
コンラッドが苦笑して前髪をかく。その自信のなさそうな顔を見て、ユーリは、彼が空振ってしまっている事に気づいた。
「ベッドに行こうか」
「いやベッドでとかそういう事じゃなくて」
「?」
「それよりもさ、まず最初は」

…フロに決まってるでしょう。






…おれは一体、脳ミソのどこからあんな恥ずかしい台詞を吐き出したんでしょうかっ!?

ユーリはシャワーの水を手にかけながら考えた。出したばかりの水はまだ少し冷たくて、温まるまでそのまま待つ。
全く経験のない方からベッドに誘う、というのは、一般的ではないだろうと思われる。
ひょっとしたら自分は、心の何処かでこう考えていたのではないだろうか。何もかもコンラッドに任せておけるのではないか、と。そんな気がして、ユーリは奇妙な自己嫌悪に陥った。

…いや、確かにおれのそっち方面の知識は、中学生レベルから殆ど上がっていないけど。

それよりも…本当に出来るものなのだろうか。
ユーリの頭の中で、想像は果てしなく広がっていく。
シャワーの水がちょうど良い温度になっていたので、とりあえず肩にかけた。髪を洗うかどうかは悩んだが、コンラッドを待たせたくなかったのでやめておく事にする。
洗面所に足音がして、ユーリはどきっとした。
「ユーリ? タオル、ここに置いておくよ?」
何となく愛想のない物言いだった。少しだけ、声が上ずっていた。
「ああ、うん」
照れくささで、ユーリも無愛想な返事になってしまう。
それからコンラッドは何かやっていたが、洗濯機が注水する音を立て始めると、すぐに出て行ってしまった。
自分が風呂に入ってから十分も経過していないだろうが、待つ側の十分は待たせる側のそれより長いだろう。
ユーリは急いで、しかし丁寧に、身体を洗った。



コンラッドは家中のカーテンを閉めて回った。
この分だと、ユーリを帰す頃には夕食時になってしまうだろう。ひょっとすれば、もっと遅くなるかもしれない。
落ち着かない。こんな気持ちは久しぶりで、何だかおかしくて、そして、新鮮だ。
替えたばかりのベッドのシーツをもう一度かけ直す。ここ最近は料理と洗濯以外の家事はろくにしていなかった。そのせいだろう、シーツを裏表逆にしてかけていた事に、さっきまで気づかなかったのは。ユーリが上がってくる前に気づいて良かった。
邪魔が入ると嫌なので、コンラッドはいっそ電話線も抜いてしまう事にした。急用なら携帯にかかってくる筈だから、あまり問題ないと思われる。
抜いた電話線を床に置いて、コンラッドはしばし家の中を見回した。
そして、ある事に気づいた。
迷った。気にしない事にするか、それとも……。
「…」
走ればすぐだ。ユーリが風呂から上がってくる前に、買って戻って来られる距離だ。
コンラッドは紙入れを掴むと、靴を履いて外に出た。一応、家の鍵は閉めて行った。




湯上がりでまだ火照っている足にとって、フローリングはやや冷たかった。
ベッドにぽすっと座るユーリ。部屋のエアコンは湯上がりの身体には涼しかった。が、あまり身体を冷やしたくないので、コンラッドには悪いが温度を調節させてもらう事にする。28度で妥協する事にして、風呂から上がりたての状態で夏の制服を着ると、暑かった。新発見だ。そう思いながら、ユーリは再びベッドに腰を下ろし、いそいそと上がりこんで横になってみた。
バスルームの方からはコンラッドがシャワーを使っている音がする。待っている側の時間は確かに長くて、ユーリはコンラッドのベッドの中で輾転反側した。
今が一体何時なのかは、敢えて気にしない事にする。
多少帰りが遅くなって両親に怒られようと、構わないと思った。ただし、そういうのは今日だけだ。コンラッドと付き合う事で自分の、否、お互いの生活を持ち崩すような事はしたくない。
ここにコンラッドがいつも寝てるんだよなあ、と考える。妙な想像をしかけた事に気づいて、ユーリは真っ赤になりながら、がばっと起き上がった。
暑さに負けてワイシャツのボタンを2つ外す。が、思い切って服を全部脱いでしまう事にした。せっかく風呂に入ったのに汗のついた服を着ているのも何だし、それに、脱がされるのは恥ずかしそうだ。
一旦下着まで脱いでしまったユーリだったが、このくらいは着ていてもいいのではないか、と、迷ってしまう。

…裸で寝てるのも何だよなあ…。

洗面所の扉が開いた。気づけば、シャワーの音が止んでいるではないか。
あわわわわ、と、お約束の狼狽時の台詞を口に出してしまう所だった。裸でいる訳にもいかなくて、咄嗟にユーリはベッドのシーツを剥がし、それを頭が隠れるくらいに被ってベッドに横になる。はっきり言って、その場しのぎでしかない。
「ユーリ?」
自分のベッドに転がる謎の白い物体A、といった風の、ユーリの姿。ちらりと寝台の脇を見れば、彼の服が畳まれて置かれているのにコンラッドは気づいた。
案外、大胆である。
コンラッドは寝台に上がった。記憶を辿って、玄関の鍵を閉めた事を確認する。
「ユーリ」
白いシーツをぺらりとめくると、黒い瞳が見えた。吸い込まれても構わないとこちらに思わせる力を持つ瞳。
ユーリの視線は不安もたたえているし、期待も孕んでいる。
その前者を取り払いたい。
「そんなに怖がらないで」
出来る限りの優しい声でそう言い聞かせて、コンラッドはユーリの額に唇を当てた。

次へ(注:性描写含む)
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いつもの2倍の長さになってしまったので、20話と21話の2つに分けてしまいました。