ディモルフォセカをくれた君(19)
「…あの…コンラッド?」
ユーリはヴォルフラムに脱がされたシャツを羽織る前に、彼に言葉をかけてみた。
ここにヴォルフラムとグウェンダルの姿はない。
あの後、ヴォルフラムは…すぐに例の如くぎゃいぎゃいと騒ぎ始めた。主にコンラッドに対して。
で、ふてくされた彼は、隣の部屋に籠もってしまった訳である。
ヴォルフラムが機嫌を損ねたのは、あまり真剣に弟に取り合わなかったコンラッドのせいでもあった。
はっきり言って彼にしてみれば、弟の機嫌取りよりも、デートで面倒に巻き込んだまま、2、3日間連絡し損ねていた恋人の方が重要だった。
「あんた、何か怒ってる?」
腕組みをしたまま部屋に佇んでいるコンラッドの立ち姿は綺麗で、それはいつもと変わらない。だが自分を見る彼の目がいつもと違う。笑っていないのだ。
ユーリに心当たりがあるとすれば、数日前の初デートの件だ。もしくは、それから何となく気まずくて、自分から電話もしていなかった事とか。
「…ユーリ、ヴォルフに何された?」
「えっ、何って…見ての通り、服脱がされたんだけど」
一目瞭然な事を敢えて尋ねてくるコンラッドを、ユーリは不思議に思った。
「…」
だがその返答はコンラッドの眉間の皺を、グウェンダルのそれ並に深くさせるだけだった。
…全然似ていない兄弟間の思いがけない相似を見出している場合ではない。
ユーリはユーリなりに、兄の言う所の『おばかちん』な頭を駆使して、コンラッドが何を考えているのかを推測してみた。
その間にもコンラッドはユーリに歩み寄り、そして両手でシャツを着せ直してやって、ユーリの体をそっと抱く。
そんな彼の行動から、ユーリはある結論を引き出した。
…イヤな結論だが、一応訊いてみる事にする。
「…ひょっとして、あんた、ものすごくやばい想像をしてたりは…しないよな?」
ユーリはコンラッドの顔を下から覗き込んだ。目の前には先日のデートの帰りにしていたような、暗い顔がある。
「って、その顔はどう見ても想像してたな…ヴォルフがおれに、お、襲いかかってたとか何とか、色々考えてたろ!?」
「え?」
コンラッドの表情が『違うのか』と言いたげだ。
…ユーリは呆れ果ててコンラッドの腕の中に倒れ込みそうになった。
「ないない、全っ然ないから」
コンラッドがバツの悪そうな表情になった。
「あれは、おれがアレを着るのをあんまり嫌がるもんだから、ヴォルフが業を煮やしただけで…」
「アレ?」
しまった、とユーリが自分の口を押さえるも、時既に遅し。
「アレって言うのは…あれ?」
コンラッドは机の上に置いてあった黒っぽい服を、両手で掲げて見た。
それは、どう見てもメイド服であった。黒地のワンピースに、フリフリの白いエプロンが付いている。
「…ユーリ…これは貴方とヴォルフ、どっちの趣味?」
「趣味とかそういうんじゃなくて!」
ユーリは仕方なく恥を忍んで、コンラッドにミスコンの事を白状した。
「ふうん…それは初耳だ」
「だって恥ずかしいだろ。メイドさんのコスプレする、なんて、吹聴するような事じゃないし」
「俺はどうって事ないけれど? ほら、女装はヨザが散々やってたから」
「ああ、なるほどね…」
「でもこれ、可愛いね。ユーリが着たら似合うんじゃないかな」
「ってヴォルフの奴も言うけどさあ…見てくれよ、これ!」
ユーリはコンラッドの手からメイド服を取って、自分の身体に合わせてみせる。
それがユーリに大変似合っていたものだから、コンラッドはヴォルフラムの趣味の良さを心の内で賞賛した。
「このスカートの丈、どうよ! 短すぎるっての!」
だからいいんじゃないか…と思ったものの、それを口にはしなかったコンラッドだった。
ユーリが小さくくしゃみをした。
「とりあえずシャツ着よ…」
ユーリはメイド服を椅子にかけ、自分のワイシャツのボタンをかけようとした。が、コンラッドの手がその手に優しくかぶさった。
「俺にやらせて」
いいよ、とユーリが了承するのも待たず、そう言うとコンラッドはボタンを丁寧な所作でかけ始めた。
すぐ目前にある薄茶の髪で、ユーリは自分の鼻先を軽くくすぐらせてみた。そして口元に笑みを浮かべたが、そんな事をしている自分を客観的に見つめてみると、何だか恥ずかしい心地になった。
上から4つ目の所まで手が上がった所でコンラッドが顔を上げると、ユーリと目が合う。
ごく自然に息がかかる程の距離まで顔を近づけあって、そしてどちらからともなく唇を重ねた。
コンラッドの手が肩に触れる。別の手が背中に触れて、そして腰に下る。如何ともし難い、とある感情を大きくさせていく自分に対して、ユーリは羞恥心を感じた。
「…さっきから気になってたんだけどさ、おでこのそれ、何?」
「ああ、一昨日練習でちょっとね。腫れてるけど大した事はないよ」
ユーリが来ていると知っていたら、額に貼っている湿布は剥がしていた所だった。兄や恋人の前で強がってはみせるものの、まだ痛むので、伯父と話をするまではそのまま貼っておきたかったのだ。
…伯父の前では剥がしておかなくてはならない。怪我の事が知れたら、伯父との、次の予選レースに関する話し合いが上手くいかなくなる可能性がある。
ユーリの唇から頬や額へと、コンラッドがキスを移す。それ以上しないで欲しいという欲求も、もっとして欲しいという欲求も、ユーリの心の中には存在していた。
「あんたの…」
「ん?」
「うん…前に見た映画の台詞なんだけどさ、『あなたのキスが嫌い』っていうのがあって、それで…」
「“- Makes me agree to anything.”(私を言いなりにさせるから)?」
「知ってんの?」
「一度だけ見た事があるよ」
「うちにDVDあるんだ」
「今度一緒に見ようか」
目の前でうっすらコンラッドが口元が綻ぶ。
実際に会って触れられると、心の中で堆積している様々な疑問も、気まずさも、どうでも良くなってしまう。
それが不思議だった。

知らない事があっても、おれはこんなにこの人が好きだ。
なら、そのままでもいいんじゃないか?

「……ユーリ、怒ってない?」
「何で? おれが怒るような事なんて、ちっともないじゃん。だろ?」
「…そうだね」
ユーリの方からキスしたくなって、コンラッドの顔に自分の顔を近づける。
コンラッドの方でもユーリの意を察し、顔を近づけた。


がちゃり。


ドアの開く音に、2人は一瞬固まる。
身体を寄せ合って今にも接吻しそうなその体勢は、もろにグウェンダルの視界に捉えられている。
グウェンダルはドアノブに手をかけたまま硬直していた。彼が扉を開く角度がもう少し大きかったら、同じ光景をヴォルフラムも目撃していただろう。だがそうではなかったので、見られたのはグウェンダルただ1人だけであった。
否、ただ1人だけであっても、目撃されたくない状況であった。
ユーリの思考が強制終了した。
コンラッドの方はそうでもなく、笑顔を浮かべてそんなユーリの身体を更に抱き寄せる。自分達の関係を兄に知らしめるように。
コンラッドは困ったような笑みを浮かべていたが、その実、全く困ってなどいない、傲岸な類の笑顔であった。
「…」
こうもあからさまな構図を見せつけられては、いくら純情可憐なグウェンダルでも察しがつく。
彼はすぐに後ろ手でドアを閉めた。自分ならまだしも、これをヴォルフラムに見られれば、一大騒動になりかねない。下手をすれば流血沙汰にもなりそうだ。
「…そういう事か」
「ええ、こういう事なんですよ。ね、ユーリ」
「え、え、あの…」
ユーリはコンラッドと違って開き直る事が出来ない。眉間の皺を深くして自分達を睨んでいる、グウェンダルの視線が恐ろしいのだ。
「…」
グウェンダルが目を伏せた。決して腹を立てている訳ではない。少なくともユーリに対しては。
下の弟が男と婚約したいと言い出した時でさえショックを受けたのに、この上、上の弟が下の弟の婚約者を奪い取っていたとは…。
兄弟間で男の取り合い…母親が知ったらどう反応するのか、それすらグウェンダルには想像もつかない。
とにかく、これ以上見ていたくなかった。
「ユーリっ!」
突然ヴォルフラムが扉を開けた。が、グウェンダルが扉の前に立っていたせいで開かず、鈍い音を立てて板がグウェンダルの背中に当たっただけであった。
そのおかげで、慌ててユーリがコンラッドから離れる時間が出来た。
「あっ…申し訳ありません、兄上。お怪我はありませんか?」
「いや。…私は自分の部屋に行っている」
心なしか頭がズキズキと痛むのを感じつつ、グウェンダルは単身部屋から去っていった。
「ユーリ、いつまで婚約者の僕を放っておくんだ! こういう時は慰めに来るものだろう!?」
「そんな事言われても、おれまだ半裸だし…」
「何だと? それじゃ、まだ試着していないのか!?」
ヴォルフラムは椅子にかけられているメイド服を手に取った。
「だってそんなの着れないよ。足、もろに出てるじゃん」
「膝ぐらいまでなら大した事はないだろう。僕がお前の為にせっかく用意したものなのに」
「そうだけどさあ…」
コンラッドがユーリの肩を後ろから叩いた。
「ユーリ、まずは着てみたら?」
「うー…」

コンラッドに言われるとその気になってしまうんだから、おれってば現金だ。

「僕の婚約者に馴れ馴れしくするなと言っているだろう!」
「はいはい」
コンラッドは椅子に腰を下ろした。
「なあヴォルフ、これ上から? それとも下から?」
服を脱いだユーリはメイド服をつまんだまま、頭からかぶるものなのか、足を入れるものなのか解らずに、途方にくれている。
「下からに決まっているだろう」
何でそんな事知ってるんだろう…と思いながら、ユーリは言われるままに従った。
コンラッドの視線が少し気になるが、あまり気にしない事にする。何となく見られると恥ずかしいものの、ヴォルフラムにもコンラッドにもそれを悟られたくない。
ふと、首にかけているペンダントの存在を感じた。
先日、通りすがりのギーゼラがアーダルベルトとの諍いを仲裁してくれた時、彼女はこのペンダントを見て、明らかに驚いた顔をしていた。ちょうど彼女の養父がしていたのと同じような表情だった。
そして、小さく呟いたのだ。『ジュリア』という名前を。
アーダルベルトが口にしたのと同じ名前を。
それが彼らの中でどのような価値を持つ存在なのか、ユーリはまだ知らない。
「…コンラート。どうして今日はここに来たんだ?」
「オーナーにちょっと用があったもんでね」
グウェンダルを送ってきたのは、そのついでに過ぎない。
「そんなもの、外で済ませてくればいいだろう」
「いつもはそうしているんだが、今日はそうもいかないから」
他人の目や耳のない所でしたい話だから。
「…そういえばこの間置いていった土産は、母上に渡してくれたか?」
「…ああ」
ぶっきらぼうな返事。
ヴォルフラムはユーリの背中に回って、ファスナーを閉めた。
「…ダンヒーリの事…母上も喜んでられた」
「そうか。それは良かった」
「誰それ?」
ユーリが首を傾げた。
「俺の父親ですよ」
「そういう名前なんだ」
ヴォルフラムが服の裾を直す。
「…何かさー、ずっと思ってたんだけど、そういう事やってるお前の姿って、ちょっと意外」
「それは言えてる。お前は、そういう事は『自分のする事じゃない』とか何とか考えていそうなのに、今回はどうしてこんな役を自分から受けたんだ?」
「…」
ヴォルフラムが何故かぷいっと2人から目を背ける。
「…僕は、お前の好きな事に関してはいっこう不得手だからな。。その代わり自分の得意分野なら自信を持って手伝える」
「はあ、なるほど」
特に何を感じるまでもなく、相づちをうつユーリ。そんな彼の鈍い反応に、ヴォルフラムが柳眉を逆立てる。
「何だその返事は! 大体お前という奴はいつもっ…!」
「あ、ヴォルフ、そこの裾がめくれてないか?」
「何だと、どこだ?」
コンラッドの嘘八百の指摘に、婚約者への怒りを忘れて素直に反応するヴォルフラム。彼はユーリの後ろに回って裾がおかしくない事を確かめると、襟の白いリボンを結び始めた。
「…よし、こんな所だろう。どうだ、きつい所があるか?」
「んー、ないけど…」
鏡がないのでユーリは自分で自分の人生初の女装姿を見る事が出来ないでいる。コンラッドが何も言わずににこにこしながら見ているが、彼の自分を見る視線がいつもと違うような気がして、ユーリは得体の知れない居心地の悪さを味わう。
まあ、何も言わないので、決して変ではないのだろう。
「きつくはない、け、ど…何か、足がスースーする…」
夏場は涼しくていいかもしれないが、冬場はどうだろうか。
女性が何故ストッキングやらタイツやらをスカートの下に履くのか、その理由の1つをユーリは理解したような気がした。
「やっぱこれはどうかと、おれは思うんだけど」
ぺらりとスカートの裾をめくって、露出している自分の素足に目を向ける。
「その下に何か履くものはないのか、ヴォルフラム?」
コンラッドが質問した。
「あるぞ。まだ届いていないが」
「わざわざ取り寄せたんかい…で、何を履くワケ?」
「ストッキングだ」
「…やっぱし?」
スカートを履くまでならまだしも、ストッキング着用までは体験したくなかったというのが、ユーリの希望だった。だがファッションセンス皆無の彼にとって、スタイリストの命令は絶対だ。
どうしてあの時クジに当たってしまったのか、自分の運が呪わしくなってくる。
「どうせだからこれも付けてみろ」
「え、何…?」
ヴォルフラムはユーリの頭に白いカチューシャをつけた。
そうするとますますユーリが危険な位に可愛らしくなって、コンラッドはかなり苦労して動揺を隠した。けろりとした表情のヴォルフラムが一体何を考えているのか気になる所でもあった。自分と同じような、妙な事を考えていたりするのだろうか。
「コンラッド、どう?」
どう、とユーリに訊かれても。
「とてもよく、似合っていますよ」
そうとしか言えない。
確かに『似合っている』と思っているのは本当だった。
が、それはあくまで彼の本心のほんの一部であって、今考えている事の全てを口にしてしまうと、最悪の場合、ユーリに変態扱いされかねないような事まで、爽やかな笑顔の裏で考えてしまっている。
コンラッドはユーリに対する自分の感情は全て否定しない。ただ、それを隠すか顕すかは別の話だ。ユーリを傷つけたくはないし、逆に、彼を傷つけようとするような存在は許せない。
今のままの関係でも特に不満はなかった。あるとすればせいぜい、自分の態度位だろうか。
「ヴォルフ、ミスコンは1日目と2日目、どっちでやるんだ?」
「初日の11時からだ」
「…え、まさかコンラッド、見に来んの?」
「邪魔ですか?」
「邪魔なんかじゃないよ。けど、あんた、自分が有名人だって自覚ある? コンラッドが来たら、女子がわっと集まっちゃうじゃん」
ヴォルフラムもうんうんと頷いた。
「…そういうの、やだな」
なるべくさりげない口ぶりでユーリは言った。そうする事で、コンラッドに来て欲しくない自分の気持ちを解ってもらえれば良いと思った。

解ってよ。
あんたの事は信じてるけど、あんたが他の女に囲まれている光景は、あまり見たくないんだ。

そう目で訴えかけると、コンラッドの目が優しく微笑みを返してくれた。
「解りました」
その代わり、写真をよろしく。
そう付け加えたものの、自分の女装を写真に残したくないという理由で、ユーリにはあえなく断られてしまったのだった。

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ゆーちゃんがえっちぃ〜。健全な青少年、な感じでゆーちゃんを悶々とさせてみたつもりですが、怪しいもんです。それでも、コンちゃんの思考や行動の方が余程えっちかったと思うのですが。
話に出てくる某映画は…私の好きなヤツなんですが、私の書く話で出したら一気に汚れてしまった気がします。そういえば主人公の吹き替えは森川さんだった(笑)。