ディモルフォセカをくれた君(23)
「君がいつ話してくれるのか気になってたけど、ギーゼラさんも知ってるみたいだし? そろそろ、僕が気づいてるって事を暴露した方が、君としても楽なんじゃないかと思って。だって、周囲に気づかれないようにするのって大変だろう?」
そう言われれば確かにそうなのだが。
「お前の言うことに一つ一つびくびくしてた、おれの身にもなれよ…」
「ごめんごめん。だってあんまり面白いもんだから」

この男は……!

「やっぱり、ヨザックから聞いたのか?」
「うん。と言うか、彼、君が僕に何もかも話してるものと思ってたらしいんだ。それで、ぽろっと零しちゃってさ」
だからまあ、彼も悪気はなかったんだよ、と言うムラケン。
ユーリは別にヨザックに対して怒りを向ける気がなかった。ただ、彼にも知られていたという事実に、多少なりとも衝撃を受けていた。
ギーゼラにもバレたし、グウェンダルにもバレた。この上、ムラケンにヨザックまで。
…何だかこのまま着々と周囲に知られていってしまうのではないか、という危惧を抱いてしまう。
倉庫の扉が叩かれた。
「ユーリっ! いつまでも何をしている!?」
ヴォルフラムの怒鳴り声だ。
「い、今行くー!」
ムラケンがユーリのエプロンの裾を直してやった。
「まあ、僕としては、個人の自由じゃないかと思うよ。励ましの台詞として受け取っておいてよ」



…そして、11時半。
校舎の敷地内にある、舗装された広い一画にて、コンテストは開始されたのだった。

『はーい、では、お次はエントリーNo.3の方達ですっ!』
文化祭という事もあって、いやにテンションの高い女子生徒2人が、マイクを片手に進行を務めている。
その声に合わせて、ユーリとヴォルフラムは観衆の前に出て行った。
ヴォルフラムはスパルタでユーリに立ち姿を叩き込んだが、歩き方まで行き着かなかった事を惜しく思っていた。見た目だけなら完成度は高いと自負しているのだが、ユーリ本人の態度が良くなかった。開き直れておらず、まだ恥ずかしがっている所があるのだ。それでも、可愛さにはかなり自信があった。
ステージは簡易的に造ったもので、ビール瓶のケースを逆さに並べた上に、ベニヤ板を敷いたものだ。その前にずらっとパイプ椅子が並べられている。同時刻、体育館で軽音楽同好会のライブが行われている為か、満席にはなっていない。
ムラケンとギーゼラは前から3列目の真ん中に並んで座り、カメラを構えていた。
何故が2人が出て行った途端、観客の中の何人かの女子が黄色い悲鳴を上げる。
「渋谷君、かわいーっ!!」
という声も聞こえてきた。
『3番目は1年生の超有名カップル、有利君とヴォルフラム君ですねっ!』

…ヴォルフ。おれたち、何か知らない内に3年生の間でも有名になってるんですけどー……。

そんな視線をユーリから投げかけられても、ヴォルフラムは全く気づかない。
『見た所、メイド服のようですが…?』
ヴォルフラムが司会から渡されたマイクに向かって、堂々たる態度で答えた。
『メイド服だ』
『やっぱりそうでしたか。可愛いですねー、手作りですか?』
『僕がモデルの仕事で使ったものを、直したものだ』
それは一体どういう仕事だったのか…ユーリは未だに訊けていない。
『なるほど、では有利君に訊きますけれど、この格好の感想は?』
マイクを突きつけられて、ユーリは率直な感想を述べた。
『…足元が涼しいです』
すると観客の何人かが笑い声を立てた。
『はい、ではくるっと回ってみせて下さいね。…はい、結構です』
スカートが思った以上に翻ったので、危うく中が見えそうになったのではないかとユーリは思った。
2人が出てきた時から、ムラケンもギーゼラも何枚か写真を撮っている。どんな仕上がりになるのやら。
『はい、ありがとうございましたー………』



で、結果は。



「『特別賞・可愛いで賞』。まあ、あの中じゃ当然だね。僕としてはやっぱり、1位の2年の人が、一番すごかったと思うな、色んな意味で」
「ああ、あれね……すごい美脚だった」
「でも、すごいじゃないか。1年で賞を2つも取るなんてさ。しかも2位」
ムラケンが2枚の賞状を、着替え中のユーリに見せた。
コンテスト終了後の柔道場は、着替えをする出場者が忙しなく動いていた。殆どはメイク落としが必要で、ユーリのように早く制服姿に戻る事が出来る者は少ない。
「当然だな」
ヴォルフラムが胸を張った。彼は1年生の身で他の上級生らを押さえて2位にランクイン、という結果に、それなりに満足しているらしかった。
ユーリはというと、元々順位が幾つであろうとどうでも良かったのだが、準優勝したのには驚いていた。
ギーゼラはついさっき、帰ってしまった。これから休日を利用して家事をするとかで、今日はギュンターに頼まれた写真を撮る為だけに足を運んだらしかった。彼女がそこまでする程、ギュンターはユーリの女装写真を欲しがっていた…という事だろうか。
「ほら、ユーリ」
ヴォルフラムが服をユーリに手渡す。それを着ると、ユーリはようやく落ち着けた。
「それで、賞品って何なんだ?」
賞品は封筒と紙袋が2つずつだ。2つあるのは、ヴォルフラムの分もある為だ。
「さあな…僕もまだ開けていない」
ヴォルフラムがいそいそと封筒の中身を覗いてみた。
「こっちは出店のアイスの引換券2枚だな。それで、こっちは…」
次に紙袋の中身を見てみる。
「何だ? 何か…布のような。よく見えない」
ヴォルフラムは紙袋に手を突っ込み、中身を引きずり出した。
何やら黒い光沢を放つ布だった。細い紐がついている。
「何だろうね、それ」
ムラケンが脇から興味深げに見つめる。
一見するだけでは、それが何であるか判別するのは難しく、ヴォルフラムはそれを両手で広げてみた。
そうして、ようやく謎の黒い布の正体が明らかになった。
「…下着だな」
「くっ…黒のツヤツヤ!?」
「しかもヒモパン。こっちの紙袋も…うん、同じだ」
ウケ狙いとしか思えない品である。だが、動じているのはユーリだけで、ヴォルフラムは平然としている。ムラケンに至っては、楽しそうな顔までしていた。
「ヒモパンは女物の下着だろ!?」
「でもほら、ここに『男女兼用』って」
ムラケンがバーコードの上の品質表示を指さした。認めたくないが、確かに彼の言う通り、『男女兼用』と書かれている。
ヴォルフラムはといえば、ユーリとは対照的に、まんざらでも無い様子でヒモパンを眺めている。
「お揃いだね。お互い、勝負用にしたら?」
「出来るかーっ!!!!」





コンラッドはマシンを停めた。
降りてから暑苦しいヘルメットを外して脇に抱えると、チームのロゴが入った帽子を被っている計測担当に近づいていく。その隣には、オーナーである叔父のシュトッフェルが、少し苦い顔をしていた。
「どうだった?」
「どんどん速くなってます。去年の予選の最高ラップを5秒上回ってますよ、本選の最高ラップを越えるんじゃないですか?」
計測係はやや興奮した面持ちだった。それは暑さのせいだけではなかった。
「『去年の予選の最高ラップを3.0秒上回ったら、秋の大会予選に俺を出す』。そう言いましたよね、オーナー」
その言葉は叔父の方に向けたものだ。
「何だったら、もう一度走りましょうか?」
「…去年の夏以来、お前の成績は落ちる一方だった。事故の怪我を引きずっているせいではないかと思っていたが…その方はどうなのだ」
「もう何ともありませんよ」
それは嘘ではなかった。
叔父の表情の下に、計算が渦巻いているのが見えた。
秋の大会に自分を出場させる事を渋る理由が、成績の低迷だけでない事は、コンラッド自身良く理解していた。去年の8月の事故は、まだ、観客の記憶には新しい。
「…監督と話をしてくる。それまで休憩だ」
「分かりました」
シュトッフェルはクルーリーダーを呼び、休憩中に整備を行うよう指示を出す。
コンラッドは観客席を見回した。今日は一切レースの開催予定はないので一般客の姿はない。立っているのは見覚えのある顔ばかりだが、いずれも同じ業界の者だ。他のチームは練習には来ていなかった。
コンラッドはロッカールームに足を運んだ。中ではピットクルーの1人が、自分の荷物を探っていた。
「あ、どうも。すみませんが、テーピング、持ってません?」
「悪いな、ないんだ」
「そうですか…あ、そう言えばそっちの椅子の上に、ファンの子からのプレゼントが届いてますんで」
クルーは後ろ手にロッカーの側のパイプ椅子を指さした。背もたれに誰かのタオルがかかった椅子の上に、この殺風景なコンクリートの部屋には似合わないようなプレゼントが置かれている。
「そういうのって、貰った後はどうしてるんですか?」
「どうしようもないのが殆どさ」
花を貰っても正直困る。が、ぬいぐるみを寄越されるよりはマシだ。時にはもっと困る物が届く事もある。
「なあ、君の所には子供がいたな?」
「ええ、1歳と4歳のがいますけど」
「これ、良かったら貰ってくれないか?」
コンラッドはパンダのぬいぐるみを手に取り、クルーに見せようとした。
だが掴んだ時、ぷちっとぬいぐるみの何処かが切れた。見ると背中の縫い目が裂けており、中に詰められた綿が飛び出してしまっている。
しまった、と思ったコンラッドだったが、次の瞬間その身に緊張が走った。
真っ白い綿の中に、何かが埋もれている。
指を突っ込んでそれに触れてみると、綿の柔らかさとは正反対の、硬質な感触を感じた。
「どうしました?」
「…」
出してみると、それは小さな精密機械だった。
「何でしょう、まさか、盗聴器…?」
「だと思うな」
ピットクルーの何人かと同様、コンラッドも工科系の大学に行った身なので、すぐにその機械の用途が何であるか解った。
「まあ、こんな事もあるさ」
そう言ってコンラッドは機械を手で潰した。
嘘であった。これまで何人ものファンから贈り物をされる事はあったし、その中には色々と妙な物もあったが、ここまで物騒な品は初めてだ。
「オーナーに知らせた方がいいんじゃないですか?」
「いや、いい。どうせストーカーまがいの嫌がらせか何かだろう」
なるべく動揺を隠した。表情を隠すのは、コンラッドの得意分野であった。
他のプレゼントは…差出人には悪いが、気分が悪くて到底受け取る気にはなれない。
よって、全てゴミ箱に投入してしまった。



帰宅は9時を過ぎてしまった。
夕食は済ませてきたので、後する事といえば、入浴して眠るぐらいのものだ。
だが、もう少し早く帰れば、ユーリに電話も出来た。それをコンラッドは残念に思った。
部屋のエアコンを点けて、それから留守番電話のメッセージを確認する。
『…メッセージが3件あります』
ピーッ、と電子音。
合成音が日付を告げた後、次に聞こえてきたメッセージの声は、変声器か何かを通したものだった。
『…秋の大会予選には出場するな。さもないと只では済まない』
それだけでメッセージは終わった。他の2件も一言一句同じもので、発信元は公衆電話になっている。
コンラッドはそのメッセージを全て消してからバスルームに向かった。どちらかというとありふれた脅迫の文句は、コンラッドを驚かせはしても、怯えさせはしなかった。
子供の頃に散々他人から悪意を向けられたので、この悪意が嫌がらせやストーキングの類でないと彼は直感していた。
…ここまで来れば、立派な脅迫だ。
心当たりは2つあった。だが、そのどちらによるものなのかは、現時点では判断しかねていた。

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