アシュナード王の遺児率いるデイン解放軍に、【銀の髪の乙女】の姿あり。
その噂は、瞬く間にデインを駆け抜けた。彼らは少数ながらも優れた作戦と実力を以てして駐屯軍を次々と打ち破り、デイン国民の支持を一気に集めていった。それに比例して駐屯軍のデイン国民に対する弾圧もより厳しくなっていったが、しかしデインの民が解放軍を希望の光と崇め始めるのを押さえ込む事までは出来なかった。
民衆がこぞって信頼を傾けるのが、解放軍を纏める王子ではなく、一兵士に過ぎない自分だという事にミカヤは困惑していた。なるべく【癒しの手】や危機を察知する能力などは使わないように心がけてはいるのだが、負傷者が大勢出てしまったり、解放軍にとって重大な危機だと思われるような予感を感じてしまったりした場合は、どうしても自分の持つ異能の力を披露せざるを得なくなってしまう。そしてそうする度に、ミカヤを見る解放軍兵士の目は特別なものになっていくのだ。
王子の側近・イズカはそれで満足しているらしかった。彼にしてみれば当初の自分の目論見通り、ミカヤをデイン解放軍の宣伝材料に出来たのだから、現状に不満もないのだろう。
それとは逆にサザは、ミカヤが目立つことを嫌がっていた。しかしだからといって彼には、ミカヤが負傷者の治療に当たるのを制止する権限はない。それにデイン解放軍で治癒魔法が使えるのはローラと、それにグレイル傭兵団のキルロイとミストだ。その内、ローラはまだ修行中の半人前で、キルロイは身体が弱い。そうするとミスト一人に負担が集中してしまうから、ミカヤが手を貸さない訳にはいかないのだ。
「すごいね、ミカヤさんは。杖を使わずに怪我を癒す魔法なんて、初めて見たよ」
初めてミカヤの能力を見た時、キルロイは人の好い微笑みを浮かべてそう言った。グレイル傭兵団の者達の中で、ミカヤが最も頻繁に言葉を交わすのはキルロイだった。彼の裏表のない穏やかで優しい態度には、ミカヤの緊張もほぐされる。
ミカヤは時々折を見て、キルロイに杖の使い方を教わっていた。【癒しの手】を使わなくて済むようになるのならその方がいい……と、サザが勧めたからだ。キルロイも快く了承してくれて、彼女は時々ローラと二人、彼の教えを仰いでいる。
ミカヤは今日の杖の練習を終えると、練習に使った杖を輸送隊に返すため、宿営地の一角にある天幕に行った。杖の管理を担当しているのはララベルなのだが、ミカヤは天幕に行く途中で彼女とちょうどすれ違った。
「あら、ミカヤ。今日の練習はもう終わり?」
「はい。杖を返しに来ました」
「そう。じゃあ悪いんだけれど、中にある箱に戻しておいてくれる? これからちょっと出かけるのよ」
「はい、解りました」
「お願いね」
そう言うと、ララベルは急ぎ足で何処かへと行ってしまった。これからムストンたちと共に、近隣の村に物資の仕入れにでも向かうのだろう。
ミカヤは物資が納められている天幕の一つに入った。その中には幾つもの木箱や麻袋が並んでいる。中身は勿論杖や薬草、傷薬の類だ。ミカヤはその中から杖が納められている木箱を探して蓋を開け、そこにライブの杖を戻して再び蓋を閉めた。
ふと、天幕の向こうから何者かの話し声が聞こえてきた。明るく溌剌としたこの声は、サザの(自称)親友・トパックだ。ミカヤはまだトパックとは会ったばかりだが、彼とサザは三年前の戦争で知り合ったらしい。とても人懐こい少年で、彼とサザのやり取りは、まるでエディとレオナルドのそれによく似ていると思う。ミカヤがそう指摘すると、サザ本人は少し顔を赤くして否定していたが。
トパックと会話しているのは無論、ムワリムだった。トパックの仲間のラグズ。彼の事はまだ良く知らないが、ミカヤの秘密に勘付いてもそれを黙っていてくれる事には感謝している。
「坊ちゃん、こぼさないよう気をつけてくださいね」
「分かってるって」
どうやら二人は、ミカヤのいる天幕の外の木箱に腰かけて、夕食を摂っているらしい。調理場はこの辺りではない筈だが、今日のような野営では、彼らの様に腰を下ろして落ち着ける場所を探して、食事を持って移動する者は珍しくない。
そういえば、自分も夕食はまだだとミカヤは気づいた。人里に情報収集に出ているサザが戻るのを待とうと思っていたが、まだサザは戻らない。あまり彼の帰りが遅くなる様なら、先に食べた方がいいだろう。ミカヤはそう思い、天幕から出ようとした。
「あっ、あそこにいるのって……おーい、アイうおっ!?」
「坊ちゃん!?」
トパックの大声は、ガタンという物音と共に尻切れになった。この物音から察するに、トパックが、座っていた木箱から滑り落ちてしまったらしい。
「いったー……」
「大丈夫か、トパック」
アイクの声が耳に届き、ミカヤの肩に思わず緊張が走った。
……キルロイとはそれなりに親しくなったミカヤだったが、それ以外のグレイル傭兵団の者達とは、まだ、あまり言葉を交わした事がなかった。
サザは戦友のよしみで、彼らと時々口を利いている。何も知らないとはいえ【暁の団】の中でも人懐こいエディなど、解放軍に参加して一日と経たずに彼らと打ち解けてしまった。エディに引きずられる形でレオナルドも彼らと親しくなり、同じ年頃のヨファという弓兵と、よく弓の練習に打ち込んでいる。
しかしミカヤは、彼らのようにはなれなかった。彼ら傭兵団が善良な人々だという事は理解しているのだが、どうもまだ彼らに対し、『祖国の仇』という印象を引きずってしまっているようだ。エディ達が彼らと打ち解けているのは、彼らがグレイル傭兵団だということを知らないせいだろうか。それとも、自分の心が狭いからなのだろうか。
特にミカヤが苦手としているのは、アイクであった。彼とは口を利いた事すらない。護衛役として王子につきっきりのアイクと話をする機会がないから、というのもあるが、それを抜きにしても、ミカヤは彼とあまり話をしてみたいとは思わなかった。
決して、アイクの事が嫌いなのではない。ただ、苦手なのだ。三年前デインを打ち倒した英雄である彼に、どんな態度を取ったらいいのか未だに分からないでいる。
サザは、ミカヤのそんな悩みに気づいていないようだった。ミカヤの方も、サザがアイクを尊敬していることを考えれば、とても彼に自分の悩みを相談する事など出来なかった。
「なんだ、アイクもメシ食いに来たのか?」
「ああ。ここに座ってもいいか」
アイクがどすん、と木箱に腰を下ろす音がした。
彼が普段、王子の護衛以外に何をしているのかミカヤはよく知らないが、考えてみると、あまりアイクの姿を見かけないような気がする。解放軍兵士も殆どは、アイクの事を「王子の護衛役のあの人」等と呼んでいて、アイクの名前も、彼の実力も知らない。
ただ、どうやらアイクはかなり強いらしい。サザが事あるごとに彼の剣の腕を讃えていたし、グレイル傭兵団のワユという女性も、エディやツイハークと剣術の手合わせをする時にしばしば口にしている。「これだけやっても、あの人にはなっかなか勝てないんだよねー」と。ワユの言う「あの人」というのが王子の護衛役らしいと気づいたエディは、その内、アイクと手合わせしてもらうつもりでいるらしい。
「へへっ、アイクとメシ食うのなんて、ホント久々だなあ。三年ぶりだしな」
「坊ちゃん、そのお名前は……」
「あっ……そっか。アイクの名前呼んじゃいけないって、サザに言われてたっけ。正体がバレるからって。ごめん、アイ……えーっとそうじゃなくって……何て呼べば良いんだ?」
「『おい』とか、『お前』とか、そんなもんで俺は構わんが」
「えー…分かった。ところでさ、お前、こんなところにいていいのか? 王子の護衛は?」
「……追い出された」
「追い出されたって……あー……アムリタ様か、なるほど。おれ、あの人苦手なんだよなー。この間なんて、あの人の前でうっかりセネリオのこと呼び捨てにしちまって、すげえ目で睨まれたもん。むちゃくちゃ怖かった」
王子の生母であるアムリタは、息子のセネリオが他人……特に息子の旧知であるグレイル傭兵団の者達やかつての戦友らが、息子に親しげに話しかける事をひどく嫌がる。それはアイクも例外ではないらしい。というより、息子が一番懐いている人物だからこそ、嫉妬めいた感情を向けてしまうのだろう。
「そういや、なんかお前、食べる量が少なくないか? 三年前は、もっと山盛り食ってたじゃん」
「最近は、ずっと訓練ぐらいしか出来ないんでな」
「ああ、そっか。戦闘に参加出来ない分、腹が減らないってことか……でも、ホントに勿体ねえよなー。お前がいれば、それだけで百人力だっていうのにさ」
トパックもまたサザのように、アイクの並外れた強さを認めているようだった。果たして本当にそんなに強いのだろうか、とミカヤは訝しむ。武勇に並ぶ者なしと称えられた先王アシュナードを打ち倒したくらいだから、決して弱くはないのだろう。だが、やはり現実にこの目で見てみないと、どうしても過大評価されているのではないかと疑ってしまう。
ミカヤがつい三人の会話を立ち聞きしていると、天幕の中にサザが現れた。
「こんな所にいたのか、探したよ」
「あっ、サザ……お帰りなさい」
「ただいま。ミカヤ、晩飯まだだろ? 食いに行こう」
「でも……王子への報告はいいの?」
「行ったけど……アムリタ様に追い出された。少しは王子を休ませてやれって」
その時の光景を思い出したのか、サザが渋面をつくる。彼もアムリタの事は苦手らしい。ちなみにミカヤは苦手どころか、アムリタには何故か異様に嫌われている。彼女に嫌われるような事をした覚えは、全くないのだが…。
「作戦会議の予定時刻までまだ少しは時間があるし、報告はその時でいいだろう」
「そう……じゃあ、会議に遅れないように、早めに晩ご飯を済ませましょう」
それから二刻後。
ミカヤは作戦会議中の天幕の中で、机に広げられた地図を眺めていた。彼女の他には、セネリオとタウロニオが机を取り囲んでいる。ついこの間まではイズカも作戦会議に参加していたのだが、先日のウムノ収容所における捕虜救出作戦の際、飲み水に毒を混入するという外道な方法を提案したせいで、彼の信用は失墜してしまった。
イズカ本人は、綿密に練った(ミカヤ達にはとてもそうは思えないが)作戦を王子にあっさり却下されてしまった事で余程プライドを傷つけられたらしく、ここ数日はすっかりミカヤ達の前に姿を見せていなかった。だが別に、彼がいなくとも全く困らない。サザやジルが偵察で収集してくる情報と、タウロニオなどの意見を元に、セネリオが作戦を立ててしまうからだ。イズカは先王の遺臣でデイン解放軍結成にも尽力した人物だというから、あまり蔑ろにしてはいけないのだろうが……いかんせん彼の提案する作戦は現実をまるで無視した、それこそ机上の空論と言ってよいようなものが多いから、どうしても彼の意見を退ける場合が多くなってしまう。
セネリオ達の前では今、街で情報収集をしてきたサザが、駐屯軍の様子を報告している。アイクはセネリオの一歩後ろに黙して立っていた。アイクは作戦会議では殆ど発言しない。戦士としてセネリオに意見を求められれば話は別だが。
斥候のサザや王子の護衛であるアイクははともかく、一兵士に過ぎないミカヤがこうして作戦会議に参加するようになったのは、セネリオの決定だった。だが、これは解放軍の総大将であるタウロニオと同格の扱いであり、ミカヤの戦闘経験や技量から考えれば破格のことだ。当然ミカヤ自身はこの扱いに困惑したが、少し考えてから、この状況を受け入れた。王子が何故自分を作戦会議に参加させたのか、彼の狙いが推察出来たからである。
セネリオがミカヤを作戦会議に加える理由として挙げたのは、彼女の予知能力であった。
「あなたの予知能力は参考になります。ですから作戦会議中、何か危険な要素を感じたようなら、それを指摘してほしいんです」
セネリオはこう言ってミカヤを説き伏せ、他の皆を納得させた。
しかしミカヤは、セネリオが口にした理由はほんの建前に過ぎないのではないかと思う。現実主義者のこの王子は、ミカヤの予知能力をあまり信じていないような気がするからだ。
最も、セネリオが何を考え自分をどう思っているのか、はっきりした事はミカヤには解らなかった。彼女の心を読む能力を以てしても、セネリオの心中は解らない。彼は雰囲気もそうだが、内面もあまりに頑なであった。
だが……彼は間違いなく自分を嫌っている。露骨にそう示されることはないし、彼は誰に対しても素っ気ないが……おそらく、嫌われていると思う。
まだ出会って日が浅い彼にミカヤが嫌われる理由は、一つしかなかった。ミカヤ自身もまた、その理由のせいで、セネリオを苦手としている。
……多分、この方は恐れているんだわ。わたしに、自分の秘密を知られることを。自分の秘密が、わたしの口から解放軍の皆に暴露されるのを。
……わたしがそうであるように。
自分を嫌っている筈のセネリオが、自分を重用する……その狙いはおそらく、ミカヤを、この解放軍から逃がさない為だ。ミカヤを重要な立場に任じて責任を負わせる事で、彼はミカヤを解放軍に縛り付けたのだ。彼女が、全てを放棄して逃げ出したりしないという事も計算ずくの上で。
それも全ては、自分の秘密を守る為なのだろう。セネリオの秘密が内外に広まってしまえば、デイン解放軍は士気を失い瓦解してしまう可能性が高い。それどころか、セネリオ自身の命すら危うくなる。
無論、ミカヤはセネリオの秘密に漠然と気づいていても、それを暴露するつもりなど毛頭なかった。彼女にとって、デインの新たな国王となるセネリオの存在は必要不可欠なのだ。
それに……ミカヤがセネリオの正体に何となく気づいたのなら、セネリオの方もまた、彼女の正体を薄々察しているだろう。彼とミカヤはお互いに、相手の致命点に手が届く所に立っているのだ。
「……捕虜の移送ですか。収容所を廃棄するという事でしょうか?」
「さあ、捕虜を移送する理由までは解らなかった。せめて、移送先がはっきり判れば良かったんだが……」
サザが得てきた情報は、各収容所の捕虜が何故か次々と収容所からどこかへ移送されているらしいというものだった。てっきり収容所を廃棄するのかと思いきや、移送しているのは捕虜だけで、物資を移動させている様子はないと言うから、何ともおかしな話である。
デイン解放軍はウムノ収容所を皮切りに次々と収容所を解放していっているから、今回の捕虜移送は、こちらの動きに備えての事ではないか……そんな事を話し合っているところへ、シフ沼で大規模な捕虜の処刑が行われるという情報が舞い込んできた。
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