境界線のその先に(4)
砦を出てから数日。デインへの入国は、イズカの案内により密かに成った。
アイク達はクリミアの傭兵団であって、デインの国民や敗残兵ではない。だからベグニオンの駐屯軍に見咎められたところで即捕縛、という事にはならないだろう。しかし、もしも人目についてしまえば、かのグレイル傭兵団がデインに赴いて何をするのかと関心を惹くに決まっている。その結果、アイク達がデイン解放軍に加わったと誤解されてしまう可能性もある。
今回のアイク達の立場は、あくまでセネリオの付き添いだ。セネリオがデイン王子として名乗りを上げる気がない様に、アイク達もまた、デイン解放の戦いに参加する気はない。それが団の総意であったし、イズカにも出立前にそう伝えてある。
道中、アイク達は幾つかの村に立ち寄り、そこで圧政に苦しむ人々の生活を目の当たりにした。
ある者は重税に苦しむあまり、自分たちの食べる分の農作物まで売っていた。もっとひどい者は家を捨て、夜逃げしていた。他にも娘を奪われた者、子供を亡くした者、親を殺された者など様々であった。
彼らは一様に武装しているアイク達を見ると、その身に緊張を走らせ、無言で恐れおののいた。その目には活気がなかった。敗戦の衝撃とそれに続く圧政は、デインの人々の精神をすっかり冒していた様だった。
これは、三年前のセネリオの言葉を借りるならば、「王族が、国を守るという義務を果たせなかった結果」であった。頂く王を失った彼らは哀れまれるべき立場であるが、アイク達は、刹那の同情心で彼らに手を差し伸べる事は出来ない。それは、三年前の戦争で共に戦った同志や、剣を交えた相手に対して失礼な行為だからだ。
「ひどいことを……」
それでも、帝国の圧政を目にしたティアマトは、思わずそう漏らした。無力なデインの民への憐憫と、暴政を尽くす駐屯軍への憤りを含んだ言葉であった。
「……敗戦国の民など、あんなものでしょう。重税を課して財産を奪い、奴隷のように扱って誇りを奪い、従順で無力な『民草』に仕立て上げる。支配の仕方としては、方向性は間違っていないと思います」
彼女の隣、アイクの乗る馬の後ろでセネリオは冷静にそう言った。
「……そうね……だから三年前の戦いでは、デイン軍も必死の攻防を繰り広げたのよね。この国を守る為に……そしてデインは負け、他国の支配を受けることになった……」
「ですが、これではデインがベグニオンに搾取され続けるだけです。国とは民、民とは物ではない……搾取されるばかりでは生きられない。現在の駐屯軍の支配は、政治とは到底呼べません。一体、どんな無能な人物に統治を任せているのやら……」
「……イズカ、現在デインを統治している人物の名前は、何と言うんだ?」
アイクにそう問われ、一番先頭を進んでいたイズカが馬上で振り向いた。彼はアイクに名を呼び捨てられた事に不快感を示していた様だったが、一応その問いに答えを返してきた。
「帝国元老院議員の一人、ヌミダ公爵だ」
ティアマトとセネリオはその人物の顔を記憶していたが、アイクは覚えていないらしく、首を傾げた。ヌミダなる人物とは三年前、大神殿マナイルでサナキに拝謁した際顔を合わせている筈だ。おそらくアイクには、元老院議員が皆、同じような顔に見えたのだろう。
元老院議員の一人を派遣するとなると、それには元老院の決定と、皇帝の承認が必要だろう。サナキが何を考えてヌミダを駐屯軍の総督に任じたのかは知らないが、その結果がこれでは……やはりまだ、彼女と元老院の確執は続いていると見て良いだろう。それともベグニオン本国には、デインにおける駐屯軍の圧政の様子が届いていないのだろうか。
「なあ、まだ着かないのか?」
後ろからイズカに向けて、ボーレの間延びした声がした。
「もう少しだ。もうすぐ、我々のアジトに到着する」


そうして到着したのは、一見して木こり小屋に見える古い家であった。イズカによると、ここに連絡員が待機している筈だったのだが、中はもぬけの殻であった。壁に刻みつけられた新しい三本の傷を見て、イズカは言った。
「どうやら、ここも駐屯軍に目をつけられた様ですな……ここから近いのは……第三地点か。別のアジトへ向かいましょう。そこで、我らが同胞と落ち合える筈でございます」
再び馬上の人となったグレイル傭兵団が新たなアジトへ着く頃には、既に日も暮れそうな時間帯であった。途中で乗ってきた馬を返して徒歩で進んだ為に、かなり時間を費やすことになった。
着いた先にあったのは、山の麓に聳える古い砦だった。もう二十年以上前に不要とされ打ち捨てられた砦で、地図にも載っていない為、駐屯軍にもまだ発見されていないのだという。砦の周囲は一見無人である事を示すかのように、ひっそりと静まりかえっている。しかし砦内に入ると、ある茂みの根元にそっと水を捨てた跡があった。この建物で生活している人間がいるのだ。
イズカは砦内へ入ると、正門がある南ではなく、裏口がある西へ回った。彼の話によると、解放軍内で「正門は撤退時以外開けない事」と示し合わせているため、正門から入ろうとすると、侵入者と見なされるのだという。
裏口の分厚そうな扉をイズカが叩くと、中から男の声がした。イズカがそれに合い言葉を返すと、扉が内側にゆっくりと開いた。
「あんた……」
驚いたアイクが、思わずそう口にする。相手もアイク達を見て目を丸くしたが、やがてふっと微笑んだ。三年前と変わらない、穏やかな笑みで。
彼らを出迎えたのは、かつてクリミアの港町で出会った傭兵・ツイハークだった。


「アイク、久しいな!」
思いがけずかつての仲間と再会したアイク達であったが、そのすぐ後にも新たな再会が待っていた。
デインの【不動の四駿】タウロニオ将軍は、三年会わない間に劇的な成長を遂げたアイクの姿を見て目を細め、髭を蓄えた口元に笑みをたたえて彼らを迎え、そしてイズカに声をかけた。
「イズカ殿、よく無事で戻られた」
「連絡員の姿がなかったものでな、ここだろうと思ったのだ。何があった?」
「……アムリタ様のお住まいが、いよいよ駐屯軍の目に留まった様だったのでな。こちらにお越し頂いたのだが、護衛のために、連絡用の人員をこちらに集めざるを得なかったのだ。ところで……」
タウロニオはアイク達を見た。
「……何故、グレイル傭兵団が一緒なのだ? 貴公は確か、先王陛下の御子の行方を求めてクリミアに行ったのではなかったか……?」
「無論、その通りだ。そうであった……吉報であるぞ、タウロニオ将軍! 我々の王子がようやく見つかったのだ!」
「何、まことか?」
「まことだとも。ささ、王子こちらへ」
イズカは小柄な身体に見合わぬ強い力でティアマトやボーレを押しのけ、セネリオを前に押し出した。
「こちらが亡きアシュナード王の御子、セネリオ王子であらせられる!」
イズカの仰々しい物言いに、セネリオは不快感を覚えた。どうしてこの男は、こうも勝手なのだろうか。
「……滅多な事を言わないで下さい。まだ僕が本物の王子かどうか解りませんし、そう名乗るつもりもないと言ったでしょう」
「何を仰るのです、王子」
「だから、『王子』と呼ばないで下さい! 何度言ったら解るんです!」
セネリオとイズカのやり取りを見ながら、傭兵団の皆は、前に立っているタウロニオの呆気に取られた表情を伺った。おそらくここにツイハークが同席していたら、同じような驚きの顔を浮かべただろう。
「……いきなり言われても信じられねえよなあ。全然似てねえもんな、このセネリオと、あのアシュナード王じゃあ……」
ボーレが思わずそう口にすると、イズカがぎろりと目玉を動かしてボーレを睨んだ。
「貴様、王子がまことの王子でないと申すのか。王子を偽者と申すのか。不敬であるぞ!」
「落ち着かれよ、イズカ殿。むやみに興奮するな」
ボーレに詰め寄ろうとしたイズカを、タウロニオが宥めた。それから彼は、セネリオを見つめた。
「今の話はまことか、セネリオ殿」
「……真実かどうかは、僕自身が一番知りたいことです」
「そうか……そうであろうな。だが……」
タウロニオとセネリオでは身長差があるので、どうしても見下ろすような形になっていたが、タウロニオがセネリオの顔をまじまじと見つめる視線には、騎士らしからぬ慈愛が含まれていた。将軍には妻子がいるという話だったから、自分に、息子の幼い頃の姿でも重ねているのだろうかとセネリオは思った。
「……言われてみれば……どことなく、アムリタ様に似ている」
先程から会話に出ているその名は誰なのか、セネリオが尋ねようとした時、イズカが何かを思い出した様に声を上げた。
「そうだ、アムリタ様にお知らせせねば! あの方がお認めになれば、もう誰も、王子を偽物と疑うような不届きな考えを抱くこともあるまい」
そうとなれば早速、と、イズカは独り合点して部屋を退出していった。止める間もないほど素早いその行動に、タウロニオが苦笑する。
「……すまぬな、イズカ殿はいつもああなのだ。言動や行動がどうも、独特でな」
「解っています」
と言うより、ここに来るまで散々思い知らされた。
「将軍、イズカはどこへ行ったんだ?」
アイクが尋ねた。
「アムリタ様の……先王陛下のご側室でいらした方の所だろう」
「なら、セネリオの……」
母親、かもしれない女性。
「……性急だが、良いのか?」
タウロニオがセネリオに尋ねると、セネリオは黙って頷いた。
元々、この為に来たのだ。感情に流されて躊躇っても、時間の無駄だ。そして用件を済ませたら、早々にクリミアに帰る。イズカの独断っぷりを見ていると、このまま長居しては勝手に王子として担ぎ出されかねない。
ばたばたと廊下を駆ける足音が聞こえる。
……ここに来るまでの間ずっと、セネリオは考えていた。
両親と自分とは、偶然の賜物で『血縁関係』という、社会関係の一種を結んだ間柄でしかない。ただたまたま、親子という関係になっただけ。それ以上でもそれ以下でもないのだと。
それはデインまでの旅路の間に思いついた事ではなく、ずっと以前……自分の生い立ちについて考え始めた時、思考の果てに下した彼なりの解釈であった。
ただ同じ血が流れているというだけで、愛情など芽生える訳がない。それならば、自分が親に捨てられる訳がないのだ。
そして、彼のその解釈は傭兵団に加わり、グレイル父子を見ていて確信へと変わった。重要なのは個々の生まれや人格であって、血の繋がりなどという、目に見えない偶発的な要素ではないのだ、と。
だから……例え母親に対面したとしても、さしたる情も湧かないと思っていた。せいぜい、【印付き】の子供を成した愚か者の一端、と見下す程度だろうと思っていたのだ。

しかし。

ならばこの、言い表せない感情は何なのだろう。
部屋へ入って一瞬立ち尽くした後、自分の元に駆け寄って嬉しそうに目を潤ませ、両手で自分の顔や肩を撫でさすっているこの女。何がそんなに嬉しいのか、セネリオには解らない。
赤い瞳を大きく見張って、目に焼き付けようと言わんばかりに自分を見つめてくる眼差しが怖い。
頭を撫でられ、抱きしめられ、無遠慮に触られる。触っていいなんて言っていないのに、どうして。
どうして、僕は、振り払わないんだ?
こみあげる何かを感じ、視界が遠のいて鼻の奥がつんとする。
うたた寝で眠りに落ちる瞬間のように目に見えるもの全てが歪み、平衡感覚を失う。
……別の何かがこみ上げ、セネリオは俯いた。
「どうしたの……」
誰かが正面からそう訊いたのだが、誰だっただろうか。この、自分の頬に両手を当てているのは誰だっただろうか。
「どうしたの……具合が悪いの……?」
正面から自分の顔を覗き込んでくる女がいた。自分の頬に手を当てている女がいた。
……この人はなぜ、そんな顔で僕を見るのだろう。こんな痩せっぽっちの、愛想笑いのひとつも出来ない、可愛げのない子供のことを。
もしも自分の生みの親と再会したら……これまでその可能性を想像したことが一度もなかったと言えば、嘘になる。もしそれが現実になったら、親に言ってやりたい事が沢山あった筈なのに……いざ現実化してみると、何も言葉を発せなかった。

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