境界線のその先に(2)
「間違いない、【印付き】の証! ようやく見つけたぞ!」
ローブの男が歓喜の表情を浮かべて大声を上げた瞬間、セネリオの青白い顔に憎悪の色が立ち上ったのを団員たちは見た。
ぴっと踵を返して部屋を出て行ったセネリオを、アイクが追いかけた後には、呆然とした団員たちが残された。
あまりに事が突然すぎて状況を理解しきれない者。状況は理解出来るものの、どう行動したらよいか分からない者……様々であったが、皆一様に言葉を失い、その場に立ち尽くす。
「……ぶつぶつぶつぶつ……これで後は勇士を集め……民の心を……ぶつぶつぶつぶつ……」
ローブの男は、何やら一人で呟いたり頷いたりしながら、部屋を歩き回っている。たった今、この場で他人の秘事を暴露した事に罪悪感などかけらも覚えていないだろうその様子は、団員たちの目には、ただ無神経で目障りな存在としか映らなかった。
「……はっ! き、貴様ら何をしている! あの方はどこに行かれたのだ、早く私の前に連れてこんか!」
「……うるせえな」
「なっ……」
低い声を出したシノンだった。耳に指を突っ込んで掻きながら、彼は視線だけを動かしてローブの男を見る。
「客の分際で態度がでけえんだよ、クソジジイ。うちの団にはなぁ、依頼人でもねえ上、礼儀も知らねえバカ野郎には踏ませる床もねえんだよ。さっさと消えな。それとも、窓から放り出されてえか」
シノンの言葉は、そのまま皆の総意だった。それぞれ様々な思いや疑念が胸の内にあれど、この客が気に入らないという一点は共通している。物分かりのいいティアマトや人の好いキルロイでさえ、この男に団の仲間を傷つけられたことに憤りを覚えていた。
しかしローブの男は、
「ふん……クリミア女王を助けたという評判があっても、所詮は田舎の傭兵団だ。粗暴な言い回しにその野卑な態度……戦うしか能のない生き物とは、まるで半獣と変わらんな」
と、シノンの言葉をまるで理解していないような……むしろ理解する価値など無いと思っているかのような、実に高慢な態度である。
流石にボーレやシノンが鶏冠に来て手を出しかけた時……部屋の入り口に立っていたワユがふと振り向くと、そこにアイクが立っていた。
「あっ……大将」
全員が振り返り、アイクを見る。それから誰からともなく団員たちは左右に分かれ、団長を部屋に入れた。団長の後ろをついて歩いてきた、セネリオの背中を見ながら。
「おお、戻っておいでになったか!」
ローブの男がセネリオに骨張った手を伸ばした時、アイクが前に出てそれを遮った。
「な、何をするのだ貴様は! この私の邪魔をする気か!」
「セネリオはうちの団員だ。あんたが何者なのかはっきりしない以上、こっちはこういう態度を取らせてもらうしかない」
「む……」
「まず、あんたから話せ。話は、俺とこいつで訊く」
アイクのその言葉を受けて、団員たちは次々と部屋の外に出た。
だが……その中でティアマトが立ち止まり、こう言った。
「……アイク……私も、同席していいかしら」
アイクはすぐには答えなかった。
酷いことを訊いている、とティアマトは承知していた。しかしこの険悪な空気だと、話の流れによっては揉め事になるかもしれない。最近は団長として落ち着いてきたとはいえ、アイクは元来、口より先に手が出る質である。そういう訳で、もしもの時の止め役が必要だと彼女は判断したのだった。が。
「あのっ……だったら、わたしも」
ミストまでついて来たのである。これにはティアマトは勿論、アイクも驚いた。
「ミスト、あなたは……」
「分かってる。わたしが出てくる問題じゃないんだって事は……でも、傭兵団は家族でしょ。家族は……心配だよ」
どうしたものかとアイクが思案していると、今度はミストの後ろからボーレとヨファが一度に部屋に入ろうとして、入り口でつっかえた。
「って!」
「いたっ!」
「こらこら、走らない」
二人の頭をオスカーが両手で軽く叩く。それから彼はアイクとセネリオを見て、
「どうかな、アイク。みんな同席しては……セネリオさえ良ければ、の話だけれど」
と、提案した。
「どうぞ」
それに対するセネリオの返答があまりに素早かったもので、アイクはもう一度念を押す意味で訊いた。
「いいのか、セネリオ」
「はい。後で皆に話す手間が省けますから」
「……分かった、全員入れ」
団長の指示で皆が部屋の中に入り、それぞれが椅子に腰を下ろしたり壁に寄りかかったりする。全員が落ち着いたところで、アイクが話を切り出した。
「じゃあ……」
「待てよ」
壁に寄りかかって立っていたシノンが口を開いた。
「セネリオ。てめえ、【印付き】なのか?」
「……」
「オレはこのジジイの言う事なんざ、信じるつもりは更々ねえ。だが、ここははっきりさせとくぜ。どうせ、アイクには何もかも喋ってんだろ。どうなんだよ?」
「……そうです。僕は【印付き】です」
ローブの男の言葉をセネリオ自身が肯定した瞬間、シノンは僅かに目を細めた。
ラグズ嫌いの彼が罵詈雑言を放つだろうことは、皆予想出来ていた。団が割れ、彼かセネリオの一方が団を去るのではないかという懸念すらもあった。
……しかしながら、への字に引き結ばれたシノンの唇から発せられたのは、口汚い侮蔑の言葉ではなかった。
「へッ……通りで、いつまでも小せえまんまだと思ったぜ」
「……あなたは、三十路に近づいてもまだ大人げない性格のままですね、シノン」
「チッ、ほんと可愛げのねえガキだ。だがそんだけ減らず口が叩けりゃ、誰が同席しようが文句ねえだろ」
「ええ、構いません。うるさくしなければ、の話ですが」
「けっ」
そう吐き捨てると、シノンは腕を組んで沈黙した。
……両者の会話が、予想を超えてあまりにあっさり終わったため、団員たちは数秒二人を見つめていた。もしや、すぐまた会話が再開されるのではないかと思いながら。
「……ンだよ、さっさと始めやがれ。アイク、てめえが仕切ってんだろうが」
「ああ」



ローブの男は、名をイズカといった。
本人曰く学者であり、前の戦争ではアシュナードに直接仕えていた。王都から離れた場所で王命により何かを研究していた為、クリミアとの戦争には直接参加していないらしい。しかし、アシュナードの敗北とデイン滅亡によって敗残兵の一人となったため、残党狩りから逃れて姿を眩ましていたのだそうだ。
「先王陛下はこの私の頭脳を見出し取り立ててくださった、大恩あるお方。亡くなられた陛下がもしも今のデインをご覧になったら、何と仰られるであろうか!」
「……そんなにひどいのか、今のデインは? ベグニオンの手で復興しているもんだと思っていたんだが……」
「復興だと!? 帝国の駐屯軍は、デインを復興させたりなどしてはおらん。デイン国民を奴隷のごとく扱い、彼らから家族と財産を奪い、異論を唱える者はその場で殺すか収容所送りだ。各地で小規模な抵抗運動が起こってはいるが、帝国軍の力によってことごとく叩き潰され、見せしめに処刑されている」
イズカが話すデインの今の惨状を聞いて、傭兵団の皆は言葉を失った。
かつてクリミアもデインに負け、過酷な支配を受けた。しかし、だからといってアイク達は、デインの民を同じような目に遭わせたいとは思わなかったし、エリンシアもそれを望まなかった筈だ。彼女はサナキの人柄を信じてデインの支配権をベグニオンに譲ったのだろうが……この話を聞けばきっと、心優しいあの女王は、デインを滅ぼした事に罪悪感を抱いてしまうだろう。
「……ジル……大丈夫かな、ダルレカに帰るって言ってたけど……ねえ、お兄ちゃん、どうなんだろう?」
ミストが小さい声で尋ねた。
「……ジルは戦争中にデイン軍を抜けた身だから、デイン兵として捕らえられることはないだろう。ただ、ダルレカの民と共に、帝国軍の圧政に苦しめられている可能性はあるが……」
「……イズカさん」
「ん?」
ティアマトが軽く手を上げて尋ねた。
「あなたがアシュナード王の遺臣だという事……今のデインの現状が最悪な事、そして少なくともあなたが、それに強い不満を持ってるらしい事は理解したわ。けれど…それと、あなたがここにいる事に何の関係があるのか、そこが分からないのだけれど…」
「私がここにいる理由など、決まっているではないか! 然るべき旗印を掲げて解放運動を起こし、帝国軍の圧政からデインを解放するためだ!」
「……それも分かるわ。私が訊きたいのは、デインで駐屯軍相手に戦おうとしているのに、あなたが何故クリミアにいるのか……何故、うちのセネリオに用があるのか、という事なの」
「……そうか。お前たちは何も知らんのだったな。無知な輩に一から説明してやるのは時間がかかる事だが、王子すらご自身の置かれている状況を理解なさっていない様では、それも止むを得ぬか……」
「……『王子』?」
引っ掛かる単語が聞こえてきたような気がした傭兵団だったが、それを問い質す前にイズカは大きく咳払いをし、そして仰々しい言い回しでこう告げたのである。

「皆の者、よく聞くがいい! お前達は今まで知らなんだろうが、ここにおられるお方こそ、今は亡きアシュナード国王陛下の御子! デイン王家の血を受け継ぎし、正当なデイン王国の王子であらせられるのだ!」

イズカが両手を差し出して示しているのは、紛うことなくセネリオだった。
この男はこう言った。死んだアシュナードには子供がいたのだ、と。そして、それがセネリオなのだと。
「……何を言っているんですか、あなたは」
青天霹靂の出来事であったが、セネリオはそんなイズカの言葉を冷たく否定した。
「殿下におかれましては、非常に驚かれたこととお察しいたしますが……全て、本当でございます」
「そんな筈がないでしょう……馬鹿馬鹿しい」
イズカの言うようにひどく驚き、動揺もしていた。自分がデイン王家の血筋だなどと、予想だにしなかったのだから。
しかしながら、それを信じるかどうかと言えば、セネリオの答えは否、だった。
もしもイズカの言う通り、自分がアシュナードの子だというのなら……自分の母がラグズであるか、もしくはアシュナード以前のデイン王家に、ラグズの血が混じっている筈だ。しかしデイン王国は反ラグズ思想が強い上、アシュナードは数え切れない程のラグズを戦いの道具として利用していた男だ。そんな彼らに、ラグズの血が混じるとは思えない。
見知らぬ男によって自分の秘事を団員の前で暴露された挙げ句、こんな馬鹿げた妄想に付き合わされるとは……そう思うと、セネリオの心境は倦怠感と嫌悪感で満ちた。
「付き合いきれませんね。帰って下さい」
そう言い捨ててセネリオは席を立った。
「お、お待ち下さい!」
「僕はただの【印付き】の捨て子です。そんなのは、どこにでもある話だ。僕があなたの言う、アシュナード王の遺児だなんて証拠が、どこにあるというんですか」
セネリオは眉を潜めてイズカを睨むと、なおも行く手を阻む彼の手を振り払い、傍を通り抜けて部屋を去ろうとした。もう少し詳しく話を聞いた方がいいのではないか…そう思ったオスカーとキルロイがセネリオを止めようとした時、イズカが追いすがるように言葉をかけた。
「お母上がおられます!」
セネリオの足が止まった。
「殿下の母君が、生きておいででございます。アシュナード陛下には生まれながらに額に【印】を持つ王子がいたと、自分が産んだのだと仰る方がいらっしゃいます」
「……」

母親が、いる?

その事実をはっきり理解した瞬間、セネリオの頭に過ぎったのは、彼を一時育てていた女の、彼を疎み罵り続ける顔だった。
……あれと母親と、何が違うっていうんだ。結局、僕を捨てた女に変わりはないじゃないか。
「僕は……」
そんなもの知らない。そう言ってセネリオは場を後にしようとしたが、オスカーが右手を軽く上げてセネリオを止めた。
「どいてください! 母親の話なんか、僕は聞きたくもない」
声を荒げ、目をつり上げて怒鳴る。

何で生きているんだ
いないものだと思っていた
いないものでしかなかった
さっさと死んでくれればよかったんだ
そうだ死ねばいい
僕の知らないところで勝手に死ねばいい
会いたくなんかない顔も見たくない
ふざけるな、今更       

       セネリオ!」
耳を左から右に突き抜けたのではないかと思う程、大きい声だった。
真っ赤に灼けた視界が波打ち際のようにすうっと引いて、セネリオは視界の中心にアイクを捉える。
彼の目を見て、セネリオは察した。アイクは、自分に、母についての話を聞いてほしいのだと。
それがどういう結果になるか、セネリオは漠然とした形ながら察した。そして、嫌だと思った。多分声を荒げるようなことになるだろうし、今のようなみっともない姿を晒すかもしれない。
けれど、アイクが聞けと言うのなら…聞くしかない。どんな聞くに堪えない話を聞かされたとしても、自分は彼を許せるだろう。
……否、許すしかないのだ。


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