You won't leave my mind.(4)

ジャハナに来るのは初めてではなかった。なので特に市街地で迷うような場面はなく、そしてマリカを案内しに行った酒場の場所ははっきり記憶していた。
こうして来たのは、罪に背中を押されたからだと思う。自分でああする事を選択した。だから、自分のした事を隠してはならないと気づいた。弁解はない。
酒場に入ると一瞬視線が集まる。入ってきた者に対し室内にいた者の視線が集中するのは、何処でも見られる現象だ。そしてそれがこの辺りでは見慣れない男であるという事で、改めて視線が集中する。
「いらっしゃい」
カウンターで客の1人と何かのメモを片手に喋るのを中断し、マスターが見慣れない客に挨拶する。サレフは無言で酒場内を一瞥した。大体何処の酒場でも同じ事だが、人が多く騒がしい。おまけに暗くてすぐにはジストがいるかどうかは分からなかった。カウンター近くまで歩いていき、改めて室内をぐるりと見回す。
一瞬カウンターに座っている1人の少年と目が合った。まだ10歳を過ぎたばかりだろう、利発そうだが悪戯っぽい少年で、赤い髪をしていた。くりくりと動く大きな目をこちらに向けている。おそらく興味があるのだろう。
「お客さん、何かご用ですかい?人探しですか?」
「…ジストという男を捜している」
「ジスト? ああ、あいつなら昨日久しぶりに顔出したと思いきやすぐ、仲間達を連れて仕事に出ちまいましたよ。何処に行ったんだったかな…おい、ユアン!」
マスターが振り向いて少し大きな声をかけると、サレフを見つめていた少年が反応した。
「何?」
「この客、ジストを探してるそうだが、お前、姉さんから今度の仕事について何か聞いたか?」
「確か、カルチノで仕事だって聞いたよ。このお兄さん、隊長に用なの?」
少年はサレフを指さした。手にカードを持っている。どうやら、左右に座っている男女と一緒に楽しんでいたらしい。酒場というものは、子供が入り浸るにはお世辞にも相応しい環境ではないのだが。
「だそうだ」
サレフは少年に近づいた。
「…ジストはいつ戻る?」
「分からない。今回はお姉ちゃんから詳しい日程は聞いてないから」
「…」
「僕のお姉ちゃん、ジスト隊長の傭兵団の一員なんだ。今回はマリカも一緒だって言うから、大きい仕事なんじゃないかな」
サレフはユアンを見つめながら、ジストに関する事とは全く別に、ユアンの事を考えた。魔道の素質がある。まだ学んではいないようだが、魔道士として大成する可能性を秘めている少年だ。それを告げるべきかどうか迷った。
「お兄さん、隊長に用なの?」
だが、そのユアンの言葉で自分の本来の目的を思い出す。そうだ、ジストに会いに来たのだ。
「…大した事ではない」
決意を固めてきただけに、当のジストが不在となると、どうにもこうにも居たたまれなかった。
「伝言か何かなら、僕が伝えるよ?」
「いや…」
「そう?」
会話の間、ユアンの視線はサレフの顔の一点に向けられていた。
「ねえ、ところでそこの痣、大丈夫?」
ユアンが自分の左頬を指さした。数日で消えるような薄い痣ではなかったので、まだはっきり残っている。痛みもまだ引いていなかった。
その時、酒場のドアが開いて、息を切らした男が駆け込んできた。
「たっ…大変だ、バールの群れが出た!」
「何っ!?」
酒場がざわめいた。
「それもただのバールじゃねえ、こう、なんつーか、すっげえ巨大なのもいるんだ!」
エルダバールだ。
何人かが魔物を撃退すべく武器を取って外に出た。サレフも同じように外へ出る。
「え?お兄さんも行くの?」
そういうユアンまでもが、何故か外へ出てきた。
「あんたは、危険だから中にいなさい!」
そう言って、彼とカードをしていた踊り子らしい女性が無理矢理ユアンを中へと引っ張り込む。
「子供の出番じゃないの!」
「ええ、やだよ!」
「あんたにもしもの事があったら、あたしがテティスに申し訳が立たないでしょうがっ!」
「そんなあ!」
酒場内でまだユアンはごねているようだったが、サレフはすぐ走って町の外へと向かった。

…いた。確かにバールの群れだった。門を突破しかけたようだが、辛くもせき止められている、そういう状況だ。
「あんなにでかいバールなんざ、見かける事なんて殆どなかったのによ」
「そもそも魔物がここまで来る事なんて、半年に来るか来ないかだったじゃねえか」
1人がそう悪態をつきながら武器を構える。
これまで何度か外へと出た時は、魔物と遭遇する事が多かった。ジストも自分の家の近くで魔物に襲われた。そして、ここにも最近になって魔物が出現した。これはどういう事なのだろうか?何か理由があるのだろうか?
1頭のエルダバールが人垣を破って滑り込むような勢いで突進してくる。サレフは魔法を放った。エルファイアーだ。一気に炎がエルダバールの身体を覆い、魔物は突進を止めて呻き声を上げる。ごく短い間の事だった。
前に走って出て魔法を放つ。サレフが来るまで魔法使いがいなかったのか、いきなり魔物が燃え上がった為に人々が驚愕で声を上げた。
バールの群れを炎で焼く。ガーゴイルの集団が上空を飛んでいるという叫び声を聞いて、サンダーも放った。苦戦ではなかったが、一瞬ジストの事が頭を過ぎった瞬間があった。

事態はすぐ沈静化した。
やや上がった息を整えながら、服についた砂を払う。するとある男が駆け寄ってきてこう言った。
「あんた魔道士だろ?怪我人がいるんだ、治してくれないか」
「杖さえあれば…」
「杖…おい、怪我人だ!誰か道具屋にでもひとっ走りしてライブの杖借りて来い!」
そして、その男はサレフを怪我人の元へと案内した。
怪我人は10人と少しで、殆どサレフが来る前に魔物と戦っていた者達だ。サレフが連れてこられた直後に誰かがライブの杖を取ってきて、それを用いて彼は治癒魔法を施した。修行中なら2人が体力的に限界だった魔法だが、今では杖を使えば10人ぐらい平気だ。魔法を使っている最中、周囲に人が多かった。魔法を見た事のない人間の方が多いらしい。
怪我の治療を終えるとサレフは早々に立ち去る事にした。ジストはおらず、そして魔物は撃退した。これ以上残る理由がない。だが。
「待って待って!」
一体いつ酒場を抜け出してやってきたのか、ユアンが少しもつれた走り方をしながらやってきた。
「お兄さん、魔道士だったんだね。すごいや、僕見てたよ」
「…」
子供にはあまりなつかれない質だと自認しているし、それは里の者も認める事だ。どうしてわざわざ追いかけてきたのかと思っていたら、ユアンがとんでもない事を口にした。
「ねえ、僕にも教えて!魔法を!」
…一瞬呆気に取られてしまった。が、サレフはすぐ我に返ってユアンにこう告げた。
「…私は弟子は取らない」
「じゃあ、僕が初めてって事で、ね?」
「…お前は保護者に許可を取っていないだろう」
「保護者?」
「お前の姉だ」
「あっ」
サレフに指摘されて、ユアンも初めて姉に相談する事をすっかり忘れていたのに気づいたようだった。
「…他の師を探せ」
「ええっ?やだやだ、僕は…ってちょっと待って!聞いてよぉ!」
早々と逃げ去るのが得策とサレフは判断した。ユアンに告げた事は嘘ではない。弟子を取るつもりはないし、黙ってユアンを連れて行く訳にはいかないし、自分はそもそも魔道の教え方が上手いとは思えない。
だがユアンの方もなかなかしぶとく、早足に一生懸命ついて駆けて来る。何と町の外まで追いかけて来るではないか。
「…町へ帰れ、危険だ」
「いやだ!僕は弟子にしてくれるまで、諦めないよ!」
しばらくそうして鬼ごっこのような状態が続いたが、町からかなり遠のいたのに気づき、最終的にサレフの方が折れた。立ち止まって振り向く。
「…分かった。ついて来い」
「本当!?」
「その前に…」
「やったー!!っ、わっ!」
あまりの喜びにユアンは跳ねたが、着地の際に転んでしまった。舌を出して照れながら立ち上がり、服についた砂を払う。
「ありがとう、えーと…お師匠さま!そうでしょ、そう呼んでいいよね?」
「…話を聞け。お前を黙って連れて行く事は出来ない。だから一旦町に戻って支度し、姉宛てに伝言か手紙を用意する」
踵を返し、ユアンの隣を歩いて町に戻る事にした。はっきり言ってユアンの根性に根負けした形だが、一度了承してしまった以上ユアンに魔道を指導しなくてはならない。
「…家は何処だ?」
「ないよ。僕たち孤児だもん」
さらりとユアンはそう言った。サレフもあまりその事実について反応を示さなかった。
「そうか。…それと、お前の姉が仕事から戻った後で、私について魔道を学ぶ事に反対する可能性がある事は覚えておくように」
「もし、お姉ちゃんが反対したら?」
「…お前が決める事だ」
「あ、そっか。そうだね。うん。僕、頑張るからね!」
2人は再び酒場に戻ると、ユアンの姉宛に手紙を書いた。ユアンが魔道を学びたいと熱望している事、自分が責任を持って彼を預かる事、会いに来ても構わない事等がその内容だった。酒場のマスターにも伝言を頼むと、サレフはすぐユアンを連れてジャハナを発った。

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