You won't leave my mind.(2)

正直、最初は人嫌いではないかと思った。
…そんな本音をジストがうち明けたのは、彼が家に来て2週間後だった。何故か人からは良くそう言われる。何故だろうか。
「それにしても、これ、本っ当に美味い酒だな」
美味いと言われてもサレフは酒好きではないので酒の味の違いなど分からない。
「キリ…何だった?」
「…キリィスラ酒、だ」
「そうだそうだ」
その夜はいつもと違い、サレフもジストに寝室に引き留められ、そして勧められて渋々飲んだ。下戸ではないから飲める。
「なあ、サレフ」
ジストがサレフの顔周辺に手を伸ばしてきた。届かなくて顎に触れるか触れないかという手を取ると、大きくてごつかった。戦士の手だ。
「何だ?」
「いや、お前ってどんな顔してるのかと思ってな。触った感じで想像するしかないだろう」
口元に微笑を浮かべたジストの手が、髪に触れる。くせのある紫の髪。色までは触れただけでは分かるまい。
つうんと酒の匂いがした。
「えーと、ここが…生え際だから、ここが額か。…おっと、ここが目か、危なかったな。悪い悪い」
少し固い指先が下って、鼻へ届く。
一体何をしているのだろう。何を考えているのだろう、私は。
「鼻、高いな」
「…そう…」
か、と言いかけた瞬間、触れた。指が、口唇に。
何かにせき立てる暗い衝動から目を背ける事が出来ない。
せめて、早く、離れてくれたら。
指が遠のいて、しかし離れずに頬をなぜる。
名前を呼びたかった。だが、何故か指一本動かせなかった。
一体、ジストは何処までそんなこちらの心を見通したのだろうか。
「サレフ」
 何故
「ジ…」
嫌だとは言えなかった。例え嘘でも。
被さる熱さが心の奥を灼き焦がす。先程まで背中が寒いとは感じなかったのに、今は、寒い。触れられている頬や肩はひどく暖かいのに。
いつの間にか目を閉じていた事に気づいた。髪をかき乱すようにまさぐられるのがとても気持ちいい。
「っ、ジスト」
とても長かった口づけから解放されて、言葉に困って名前を呼んだ。不測の事態にある程度動揺していたが、拒絶する意志はなかった。おそらくは。
ジストの声が思い掛けないほどすぐ近くの耳元で聞こえる。
「…なんにも言うな
だから、ずっと、名前だけを呼んでいた。












運命や人生の摂理の輪は、実に残酷に出来ている。









そして、それきりだった。
翌日もその日以降も、その夜の事について言及しあう事はなかった。だが、あれを酔態の結果として片づけてしまうには、互いに飲む量が足りなかったのではないだろうか。
いくら考えあぐねてもサレフにはああいう行為に及んだ理由が分からなかったが、ジストについての見方は何ら変わらない。突き詰めていけば、彼を気に入っているから受け入れたのだと思う。
傷痕が多かった。どれが、あの日から今までの間に増えた傷だったのだろうか。
ジストの様子も全く変わらなかった。目が見えない為にどうしても退屈らしく、早く包帯を取って家の中を見て回りたい、剣を練習したいとこぼしていた。もしかしたら、彼にとっては奇異な出来事ではではなかったという事なのかもしれない。その辺りについては良く分からなかった。

ジストがに来てから1ヶ月後、傭兵仲間から様子を見に来たいという要旨の手紙がジストに届いた。サレフは自分がジストの仲間を迎えに行って、家まで案内してくる事をジストに約束した。
ジストの目が開けられるようになるまで、後少し。ジストには言っていなかったが、サレフは、迎えに来たジストの仲間にそのまま彼らの隊長を連れ帰ってもらうつもりだった。…真実を隠したまま。

そして、ふっと思う。
…あの夜、いっそあのまま殺してほしかったと。

翌日、つまりジストの傭兵仲間を迎えに行く日の前日、サレフは研究に使っている部屋で明日の支度を整えた。遠出の旅に出るのではないから外への買い出しと同じ、至極簡単な支度だ。
「サレフ。明日行って、いつ戻ってくるんだ?」
「…君の仲間の足による。早ければ明日の夜に戻る」
夜だったが、出かける支度のついでに部屋を少し整理していた。
「支度、済んだか?」
「…済んだ。ついでに部屋を整理している」
そう答えると、ジストは何故か黙って壁に寄りかかっていた。サレフはそれに構わず書物やら杖やらを整理していったが、いつまでもジストが起きている事に疑問は感じていた。
「…何か用なのか」
冷淡とも受け取れる態度しか出来ないのは何故なのだろうか。
ジストが黙って手を差し伸べる。その行動が示す意味が分からないサレフが何となくその手を取ると、ジストはその手を頼りにサレフの所在を見つけて、唇を重ねた。頭の後ろに手が優しくかかった。傭兵という職業の響きにそぐわない、彼のそういう優しさに惑わされる。
…やめてほしい。
「…ジスト、今夜は…」
明日は出かけるから。
「分かってる」
違う。君は分かっていない。
再度離れた唇が重なる。今度はサレフも受け入れて、そして応えた。


これが最後なのだという予感がしていた。




驚いた事に、ジストの見舞いに来たのは若い女性1人だった。まだ少女と言って良い。細身の身体に紫の長髪を後ろでまとめており、剣を腰に帯びていた。サレフは剣に関しては詳しくないが、それでもその少女が相当な使い手である事は一見してすぐ判る。名前はマリカと言った。眉1つ変えない変わった少女だったが、特にそれについて述べる事はない。
1人で今のジストを連れて帰るのは無理だろう。
サレフはつくづく因果の巡りを感じた。
頼むから本当に、ジストにはここを去り、そして二度と現れないでもらいたかった。次に会った時には仇として殺されてもいい。だが今は、今は本当の事を知られたくなかった。

マリカは健脚で、その日の夜までに家に戻る事が出来た。当然ジストに引き合わせたが、彼は驚いているようだった。
「マリカ? お前が来たのか。しかし、お前に良く都合がついたな…もしかして、仕事、干上がってんのか?」
「違う。仕事は来てた。でも受けなかった。隊長の様子を見に来たかった」
「そうか。でも大丈夫なのか? 凄腕のお前に回そうとしていた仕事をお前に断られて、ギルドの連中文句たらたらだったんじゃあ…」
「そうかもしれない。けど、知らない」
「知らないっておい…まあ、いいか。とにかくありがとうな。他の連中はどうしてる?」
「みんな元気。隊長の事、心配してた。来たがってたけど都合がつかなかった」
「テティスとユアンは?」
「2人とも元気」
「そうか」
「隊長」
「ん?」
「腕は鈍ってない?」
「さー、どうだかな。何せこの状態じゃ剣の練習が満足に出来ねえんだ」
久しぶりに昔馴染みと対面して言葉を交わして、ジストは楽しかった。
「そういやサレフは?」
「研究室にいる」
「そうか」
「隊長。隊長はいつ帰れる?」
「目が…見えるようになってからだろうな。いくらなんでもお前1人で今の俺を連れてくのはキツいだろ」
「そう。目は、いつ治る?」
「さあ…いつだろうな。俺には分からない」




翌日、昼過ぎになってもジストは外に出たきり、戻らなかった。マリカが一度外へ顔を出した時にも帰っていなかった為、サレフは彼を捜しに出た。目が見えない状態の人間を1人で外にやるなど、どうかしていたのかもしれない。
ほどなくして彼は見つかった。家のすぐ近くにある河原の所に立っているのを発見した。河原は小さな荒れた山道を横道に入り、斜面になっている所を下って少し歩いた所にある。山道の上から河原は見えた。
「ジスト」
離れた場所から声をかけた。その声は届き、ジストが振り向いた。



…凍り付いた。



本当の、二度目の邂逅。




強ばった瞳と視線が合った。



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ジスト傭兵団の成り立ちが良く分からなくて書いている最中困ってしまいましたが、結局妄想でカバーしてしまう事に決定。