「エイリーク様、そろそろ日が落ちてきましたが、いかがなさいますか?」
「そうですね…」
そう答えたきり、エイリークはぼんやりと前を向いたままで、言葉を続けない。
ゼトはもう一度、今度は語気を少し強めて呼びかけた。
「エイリーク様?」
「…あっ…そうでしたね。では、今日はこの辺りで野営する事にしましょうか」
「分かりました。ではそのように皆に伝えます」
町から少々離れた林で野営する事にし、コーマやネイミー、フランツらを町に食料買い出しに向かわせる。その間、他の者は天幕の設置を行った。
やがて夕食が出来たので、ゼトは主君の分を持って、当人のいるテントに向かった。
「エイリーク様、失礼致します」
ゼトがテントの中に入った時には、エイリークは机の上に置かれた小さな短剣をじっと見つめていた。
凛とした、それでいて切なげな横顔に、一瞬ゼトはかける言葉を失う。その横顔は自分がまだ従騎士の頃…エイリークがまたあどけない幼女だった頃には見られなかった表情だった。
「…あ…ゼト」
エイリークは彼に気づくと、物静かな、しかし最近特有の影のさした表情に戻った。
「夕食が出来たのでお持ち致しました」
「そうですか…ありがとうございます」
でも、呼びにきてくれればいいのに…彼女はそう言いながら机の上を片づける。特に、小さな短剣については大事そうな扱い方で端に退けていた。それが何となくゼトの気にかかったが、しかし彼は、その短剣の意味を邪推する事を無礼とみなした。
自らの心を鞭打って繰り返し繰り返し、平常心を保とうと努力する。だんだん、こうして不相応な感情が浮上する頻度が高まってきていた。
「…」
エイリークは座ったものの、いっこうに食事を始めようとはしなかった。気のない様子でぼうっとしている。
「エイリーク様?」
「あ…はい」
「…恐れながら立ち入った質問を致しますが、何か、ご心配でも…?」
「あ、いえ…心配というか、心が…はやっているのです。…兄上を早くお助けしたくて…さっきも…つい、野営する事を忘れてしまっていました。貴方が声を掛けてくれなければ指示を出し忘れて、深夜まで皆を行軍させてしまっていたかもしれません」
「…」
エイリークはもう一度謝ると、ゼトにこう訊いてきた。
「ところでゼト、怪我の具合はあれからどうですか?」
「それならばご心配には及びません。フレリアの救護兵に看てもらいましたので」
「そうですか、良かったです」
エイリークが安堵で微笑む。ゼトは一礼するとテントを出ていった。
それから彼女は食事を始めたが、やはり、気が乗らない様であった。
…この感情は否定出来ない。
己の心が背中で語るのだ。十年前の自分には、もう、戻れないと。
…ならば、せめて、それを力に換えたい。
本分を逸脱する事なく、行動で自らの心に従っていけば、それで…満足なのではないか。
鷹に追い回されるリスの気分が良く解る。
それでも、はしっこく森の奥へ奥へと駆け込んだせいか、上空に竜騎士団の目は無くなった。
しかしエフラム達はは疾走を止めない。彼らはオルソンの先導で、森の中を東に向かっている最中だった。
ある程度来た所で、エフラムが指示を出して馬を止めた。他の者達もそれに習う。
「エフラム様、あの、東に向かわれるのですか?」
カイルが尋ねた。頬を少し切っているがそれ以外負傷はない。他の者達も軽傷だった。
「ああ。帝都に行って、皇帝ヴィガルドを討つ」
はい!? と言う反応が複数上がった。グラド軍相手に戦を仕掛けるならともかく、グラド本国に乗り込んで皇帝を討つという発想は、流石に誰も予想出来なかった。
エフラムは、空を見上げているオルソンに視線を遣った。エフラムも何となく空を見上げ…そして、彼に確固たる疑念が湧いた。
「…オルソン」
「はい、何か?」
「…本当に、こっちは東なのか?」
主君のその発言で、一同にさっと緊張が走った。
オルソンだけが、変わらずに穏和な微笑をたたえていた。
「はい」
「だが…雲の流れが先程までと全く違う。この季節、この天気…こんな短時間で流れが変わる筈がない」
エフラムはそう言うと、槍を構えた。
「オルソン。俺の思いこみによる間違いなら、後でいくらでも謝罪する。だが、敢えて問う。ルネスに対するお前の忠誠は、今でも変わっていないか?」
「…」
オルソンは答えず、ただただ微笑を浮かべている。
「…オルソン殿…まさか!」
激昂しかけるカイルを、隣のフォルデが制止した。だがそのフォルデも、静かに感情を高ぶらせていた。
「…オルソン。お前が、ウェイドとリーを殺したのか」
エフラムはそう訊いた。
「…リーには、砦から鳥を飛ばしたのを見られてしまったようでしたから」
リーを殺したのをウェイドに見られて、彼をも斬った…そう、オルソンは告げた。
約十騎に対して、たった一騎。それなのに、オルソンの態度は非常に落ち着いていた。それが、かえって優勢な筈のこちらを畏怖させる。
「レンバールまでの途中、他の者達とはぐれたのも、お前のした事か?」
「ええ、そうです」
躊躇う理由も指示を待つ事も考えず、全員が武器を構えた。
「エフラム様、貴方は私に信頼を寄せすぎた。もう少し早く、私の裏切りに気づくべきでした」
『裏切り』という言葉をはっきりとオルソンが口にした時、エフラムは怒るより何より先に、ただただ哀しかった。
オルソンのいる位置より後ろの森から、鳥が一斉に飛び立つ。それと同時に全員の耳に、近づいてくる馬の蹄の音が届いた。
…罠だ。
「オルソン!」
空を切る音。
オルソンの悠然たる微笑の背後から、一矢、矢が放たれた。
「エフラム様!!」
フォルデの呼び声が聞こえた。
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I promise, eternally.(7)
2007/02/11:加筆修正。