I promise, eternally.(6)
ルネスが陥落した。
エイリークはゼトの手によって間一髪の所を脱出し、フレリア王ヘイデンを頼って馬上の旅人となっていた。馬術を習ったのがこういう形で役に立つのは、良いようでいて、やはり複雑だった。
ゼトは旅の騎士で通せる姿だったが、エイリークの衣服はどうしても一目で身分の判る高価な物である為、彼女は道中入手した外套で深々全身を覆わなくてはならなかった。この場合、夏でなかったのが幸運と言うべきか。
宿泊と物資を入手する目的で、二人は町に立ち寄った。流石にグラドの手はまだ伸びていなかったが、他方の町や村からの避難民が多く流れ込んできたのだろう、通りのあちこちにそれらしき人が座り込んでいる。
その様を目にして、エイリークは一瞬立ち止まってしまった。
「姫様」
ゼトが背後から声をかけ、そっと背中を押す。
「…はい、そうですね」
人の通る所では、ゼトは自分の名前を呼ばない。そういう事にしていた。エイリークもまた、ゼトの名前を呼ばない。
おそらく、グラドはこちらを血眼で捜索している筈だ。何処に耳があるか分かったものではない。エイリークは王女、ゼトは名将として、それぞれ国内で名前が知られている。
外を歩き回るのを避ける為、早めに夕食を取って宿に入った。部屋数は二つ。ゼトが側についていられない事になるが、こればかりはどうしようもない。
エイリークはゼトに言われるまま、先に自分の部屋に入った。
…城が落ちても涙が出ない。僅かにこの先の道に対する、漠然とした不安があるのみだった。
ドアの外では、シーツを届けに来た従業員に対し、ゼトが『自分の連れは旅疲れで具合が悪い為、連れへの用件は全て隣室の自分を通すように』等と色々言い含めているのが聞こえてくる。
彼がいてくれて本当に助かると、エイリークは思った。王宮で育った自分の、いかに世間知らずな事か。もしもゼトがいなければ、本当に右往左往していたかもしれない。
彼が部屋に来た時、エイリークはその事について述べ、礼を言った。
「エイリーク様…勿体ないお言葉です。ですが、私は臣下の本分を尽くしているのみに過ぎません。どうかお気に病まれる事のないようにお願い申し上げます」
そう言うと、ゼトは部屋の窓を開けない事、カーテンは閉めて寝る事、何かあったら自分の部屋のドアかこの部屋の壁を叩く事等を細かく挙げて、エイリークに伝えていった。
そして彼の去り際、ふと、エイリークはこう尋ねた。
「ゼト…傷の具合はどうですか?」
「…ご心配なく、手当はしております」
彼女が言っているのは、ルネスから脱出する際に遭遇したグラド軍との戦闘で、ゼトが負った傷の事だ。
「でも…確か、昨日から包帯を替えていませんでしたね。…私に、させてくれませんか?」
「は…恐れながら、貴方様のお手を患わせずとも…」
「いいえ、したいのです」
あまりに再三強く彼女にそう申し出られ、ゼトは最後にはそれを了承した。

ゼトはエイリークと二、三言葉を交わしながら、彼女の表情を何となく見つめていた。
城を出て以来、彼女の表情からは、夏に咲く白い花のようなあの笑顔が消えてしまった。それを取り戻す方法を思いつかず、ゼトは術ない思いに駆られてつい名前を呼んだ。
「エイリーク様…」
…私は。
「はい?」
彼女が顔を上げる。
「…いえ、何でもありません。お気になさらぬよう」

…あの笑顔を取り戻す術が欲しい。




ターナに再会すると、幾分かエイリークに笑顔が戻った。
父の死は決して予想外ではなかったが、それを知らされた時には、視界に黒い帳が降りてきたような心地がした。
だが、独りになっても嘆くような事はしなかった。
「エイリークは強いのね…」
夕食後、二人で話している最中にターナがそう言った。エイリークは苦笑して、
「まだ、兄上がいらっしゃるわ。兄上が何処かで戦っておられる以上、私が立ち止まっている訳にはいかないもの」
と答える。
「エフラム…。…エイリーク、本当に行くの? エフラムを助けに…」
エイリークははっきりと頷いた、そのの双眸から、彼女の決意の堅固な事をターナは感じ取った。
「兄上は生きていらっしゃるわ。私が行くまで、兄上は絶対諦めないでいてくれる」
戻ってくると言ったあの言葉を、今でも信じている。いつだって自分を一人にする事なく戻って来てくれていた。今度もそれは変わらない筈だ。
「うん…そうね、エフラムがあっさり死ぬなんて、らしくないものね」
「ええ」
「…あーあ、わたしも行きたいわ…」
「え? それは駄目よ。危険すぎるもの」
「ええ…お父様も絶対駄目だって仰って、アキオスにも見張りを付けられてしまったわ」
してやられたわ、とターナは零した。
「貴方は…」
言いかけて、ふとエイリークは気づいた。
…今、出征前夜の兄の気持ちが、少し解ったような気がしたのだ。
「なあに?」
ターナが小首を傾げる。
「…貴方は、ヘイデン様のおそばにいた方がいいわ。側にいられない、ヒーニアス王子の分まで」
「…」
ターナは物言いたげな表情をしている。が、
「ね?」
自分が促すようにそう言うと、何故か彼女は笑った。
「な、何?」
「だって…変なの、エイリークの方がお姉さんみたい」
「そう…?」
「エイリークの…言う通りかもしれないわね」
ターナがそう言ってくれて、ほっとした。
置いて行かれる彼女の心情を、エイリークは十分に理解している。けれど、親友を危機に巻き込みたくはない。
エイリークは不意に、エフラムに対して謝らなければならないような気がしてきた。間接的だが、自分はあの夜わがままに近い事を言って彼を困らせてしまったように思われる。
会いたい時に会えない。その事が非常に辛かった。





僅か十と数騎でグラドのレンバール城を陥落させたエフラムだったが、予想以上に早く多数の兵を率いて戻ってきた竜騎士部隊により、窮地に追い込まれていた。
竜騎士隊を率いる将軍は初めて見る顔だったが、以前グラドで見かけたグレン将軍とは180度程違う方向に位置する武人らしい。そもそも乗っている飛竜からして、凶暴かつ下品に鳴いていた。
「くくく…ルネス王子エフラムだな?」
隠す理由もなく、隠しても無駄な事なので、
「そうだが、お前は何者だ?」
と肯定した上で、エフラムは似た類の質問をした。
「私は【月長石】のヴァルター。その兵数で難攻不落のレンバール城を落とすとは見事だ。誉めてやろう」
「…」
「だが、流石にこの数を相手に足掻くのが無駄という事くらい、一目瞭然だろう?」
「…」
エフラムはあくまで無表情で、何も言わなかった。
「良い事を教えてやろう。すでに王都は落ち、貴様の父ファード王は死んだぞ」
「! …父上…」
エフラムは小さくぽつりと呟き、下唇を噛んだ。
ヴァルターが自分に父の死を知らせたのはこちらに絶望を味合わせる等の狙いからだろうが、残念ながらエフラムの心理はその逆方向へと動いていた。
「貴様に勝ち目はない。ここから逃げ出す事も出来まい。命が惜しいか? くくっ、そうだろう。貴様の態度次第では考えてやらん事もないぞ? 大人しく武器を捨てて降伏しろ、私に跪いて命乞いをしろ」
「…」
エフラムはただ沈黙を続けていた。ヴァルターの後ろに並ぶ竜騎士達がにやにやと腐った笑みを浮かべている。こういうのも、蛙の子は蛙、の一種なのだろうかとエフラムは思った。
「どうした? 早くした方がいいぞ、私の機嫌が損われん内にな。そら、哀れっぽく鳴いてみせろ」
だが、ヴァルターはエフラムの沈黙と、その周りにいるルネス騎士達の呆れ返ったような表情とを内心怪しんだ。これまでの…いや、普通このような状況に追い込まれて浮かべる顔色――――恐怖、屈辱、不安――――それらが全く見られないのだ。
こいつらは一体、何を考えている?
「言いたい事は、それだけか?」
「…何?」
「降伏だと? 生憎だが、断る」
エフラムが槍を構え直した。それに準ずるように、他のルネス騎士達も構えを取る。
「これだから、エフラム様のお付きはやめられないんですよね」
フォルデがそう言うと他の仲間が笑った。彼らにとって、この展開は予想の内だった。エフラムの元で一度でも戦った事のある者に言わせれば、この主君があっさり降伏などする筈がない。
「貴様…正気か? 逃げおおせられるとでも思っているのか?」
「ああ。俺は勝ち目のない戦いはしない」
エフラムは何処かアイロニックでさえある笑みを浮かべた。
「皆、覚悟はいいな?」
「元より叙勲を受けたその時から、皆、承知の上です!」
カイルが勇ましく答えた。
グラドの竜騎士らがこちらの本気を感じて身体を強ばらせる。
「行くぞ!」

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2007/02/15:加筆修正。