I promise, eternally.(4)
緊張を避けるようにしていた。
父は夕食の席で「明日に備えて早く休め」と、耳慣れない言葉をかけてきた。何処かに遠出する前日のような気がするのが普通なのだろうが、エフラム本人はいつものような、同じような一夜を越えて行くつもりでいた。
しかし、城の中庭に何となく出ていくのは普段とは異なる行動だった。まあいいか、等と適当に自分を納得させてしまえば、肩の力も抜けていく。
白い、小さい花が咲いていた。名前は度忘れしたが、これは野草の類で、外出の際に見かける事が多い。
ふと、リオンとエイリークと三人でこっそり遠出した思い出を回想した。彼と妹が、それぞれこの花を摘んで花輪を作ったのだ。
出来た花輪を、リオンは俺に、エイリークはリオンにやったが、俺は結局作り方を習得出来ずに、あいつには何もやれなかったな…。
…エフラムはうずくまって花をただ凝視した。思い出と今現在とを引き比べて、リオンと自分たちの絆が何も変わっていない事を信じ抜こうと、自分に言い聞かせていた。
「…兄上」
急に妹の声がしたので、エフラムは少し驚いて顔を上げ、エイリークと目を合わせた。
「エイリーク、まだ起きていたのか? …と、まだ寝るには早いか」
夜空に視線を遣れば、月がまだまだ天頂に届きそうもない所にある。月が昇る時は、うたた寝でもしているようにゆっくりな時もあれば、性急すぎてこちらを苛立たせるような時もある。だが、今夜は前者のようだ。
「兄上…明日はお早いのでしょう?」
彼女が草を踏む音だけが夜間に響く。辺りは静寂に包まれていた。
「…なあ、父上だけでなくお前も、一体何を恐れているんだ?」
妹を安心させる意味で殊更に朗色を作ってみせるが、逆にエイリークの面はエフラムの発言が進むのに比例して陰っていく。俯いていく。
「これまでだって、何度も俺は戦場に出ただろう? だが、その度に帰ってきたじゃないか。今度だって…」
「今度は…今度の相手はグラドです」
「…」
エフラムは押し黙った。
エイリークが更に顔を伏せる。いつになく悄然とした顔で。
「………それでも、俺は帰ってくる」
自分の言葉が表面だけの嘘ではない事を、そして自分がいかに諦めが悪くしぶとい人間かという事を、妹は十分理解している筈だ。なのに。
「…兄上」
「?」
「何故、私は女に生まれたのでしょうか」
「…は?」
エフラムはその突飛な仮定の質問に、間の抜けた声を漏らして反応してしまった。だが、次の妹の言葉で質問の趣旨が飲み込めた。
「男性に生まれていたら…兄上と共に戦えたのではないか、と思うのです」
「…」
「…これ程に不安を味わう事も、なかったかもしれません」
「…エイリーク…」
俯いたままぽつりぽつりと述懐していく妹が、どのような表情をしているのかは声色で判る。
何かしてやるべきなのではないか…と、己の術ない心が促すが、その催促は具体性に欠けていて、とりあえずエフラムは妹の頭を撫でてみた。
「…俺は…お前に、いつもそんな顔をさせていたのか?」
そう率直に尋ねてみるが、エイリークは明確な返答が出来ず、顎をしゃくり上げるのみだった。
他人が泣くと心が痛む。エイリークが泣くとそれに加え、原因に対して憤る。今憤っている対象は、無鉄砲で鈍い自分自身だ。
エイリークは自分に守られる立場を甘受していなかったのだ。そして、その事をずっと訴えていたのだ。剣を学ぶと言い出した次点で彼女が感じている、置いて行かれる者の持つ不安を察するべきだったのだ。
いつだって、妹が一人の時には駆け寄ってきたつもりだったのに、それをしていなかった。
「…お前は、俺の帰る場所を守ってくれ。父上の側で父上を支えてくれ、俺の代わりに」
「…兄上に何かあったら…」
「解っている」
…『生きていられないかもしれない』。
「俺は戻ってくる。お前も俺を信じるんだ」
たった今決定した。
今回の戦、命を駆けても良いが、決して死ぬ事はしない。自分が死んだら、少なくともエイリークがどうなるか、現時点で察して余りある。まだ生きている今、既に泣いているのだから。
「無茶はしないさ」
「…」
「あー…まあ、生きる為なら、多少博打めいた事はするかもしれんな」
エイリークがそれを聞くと、くすりと笑った。
「それも無茶と言うのでは?」
「そうかもな」
滂沱の涙が止まったのを見て、エフラムはほっとした。
手巾などという物を所持していれば良かったのだが、自分がそのような物を持っている筈もなく。
エイリークは自分のを目に当て、涙を拭った。そして笑った。
その笑顔は作り笑いではないかとエフラムは思った。自分の洞察力などたかが知れているが、妹に無理をさせる事が申し訳なかった。そして、ただ、胸が痛んだ。
そっと抱きしめた身体は、自分より小さい。一体いつ頃からこれ程差が出たのだろうか。
小さくて細くて、自分が守ってやらなければという気に何処までもさせる。エイリークは自分などよりずっとしっかりしているのに。
「……あっ、あの……兄上…」
「…?」
エイリークが両腕で自分を押し返して離れる。泣いてはいなかったし微笑んでもいなかった。エフラムはそれが、自分が少しきつく抱いたからぐらいに思っていたが…実の所、ここでも彼は測り違えていた。



翌日、エフラムは王国軍の一部を率いて王都を離れた。
途中、城下町の中央を通る事になったが、国民が総出で道の左右に立ち、戦場に出ていく親族を見送りに出ている。各々が家族から花を受け取ったり、言葉を交わしている。
「エフラム様!」
馬を駆り、縦隊の間を縫ってやって来たのはフランツだった。彼は王都の守備隊に回された筈だと、フォルデが言っていたのだが。
「フランツ、どうした?」
「はい。陛下からエフラム様にお言葉です。『必ず生きて戻るように』と」
「…」
つい先程は、雄々しく戦って来いと言っていた。
…勇将として知られる父にとっては、正面切って言えない言葉だったのだろうか。
「それと、エイリーク様からこれを」
フランツが馬上から見せて寄越したのは指輪だった。エイリークのものだ、見覚えがある。簡素なものだがいやに彼女は気に入っていたようで、よく指にしている物だ。自分の指にはまる筈がないせいだろう、鎖を通してある。
フランツとエフラムの距離では直接届かなかったので、間にいたカイルが仲介してエフラムに手渡した。
一瞬、エイリークがこれを寄越した意味が理解出来なかったが、すぐ気づいた。エフラムはひとまずそれを手に握っておいて、代わりに腰に下げていた小さい短剣を外した。
「これを」
カイルは、これから戦場に赴くというのに武器を託そうとしているエフラムに驚いた。
「エフラム様」
「いいんだ。どうせ武器にはならない」
武器として用いる為に持ってきた物ではない。だから無くてもあまり困らない。それに、エイリークに返してやるものが他にない。
カイルは納得し、フランツに短剣を手渡した。
「フランツ。これは、必ず返すとエイリークに伝えてくれ」
これ、とは無論指輪の事だ。
「はい。では、エフラム様。ご武運を!」
フランツは敬礼し、すれ違い様に兄に言葉をかけると、単騎王都へと引き返して行った。
エフラムは手綱から両手を放すと、その姿にはらはらさせられているカイルの隣で、両手で鎖を首にかけた。

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2007/02/15:加筆修正。