I promise, eternally.(3)
自分より弓が達者でない男に妹はやれない。そんな無茶な論理を押し通そうとするのが自分の自分たる所以だと、ヒーニアスは勝手に決定する事にしてしまった。
「二射命中させたら貴様の勝ちだ。いいな?」
「ああ」
エフラムは久しぶりに引く弓の握り心地を確かめた。弓に触った事はあるが、やはり槍が一番いい。
弓の弦の強さはヒーニアスが勝手に決めたのだが、特に問題なさそうだ。
夜中の弓の練習場には、やはり人気がなかった。暗くて的が見えないかと思いきや、思いのほか月が明るく、灯りは不要だった。
「だが、お前が外したらどうなる?」
「その心配は無用だ」
ヒーニアスが先に的に向かって矢を番え、弓を引く。
綺麗なフォーム。矢が放たれた。風を高く切り、矢が的を貫く。
はっきりと、誰が見ても文句の出ようのない程、的の中心を射抜いていた。流石に言うだけの事はある。
続けて二射目だが、一射目が命中した奢りを微塵も見せない程見事にまた中心を射抜く。
それでもエフラムは引き下がるつもりはなかった。まだ頭は冷えておらず、また、ここまできて勝負を辞退する事など彼のプライドが許さなかった。一度やると言った以上、やるしかない。
後ろではエイリークとターナが、その様を緊張した面持ちで見守っていた。険悪なムードの二人を、二人だけで行かせる訳にも行かず、彼女達は宴を放ってついて来たのだ。エフラムやエイリークはともかく、宴の主役であるターナやその兄のヒーニアスが無断で場を外すのはよろしくない。だが、四人全員の頭からそれが抜けてしまっていた。
ひどく静かだった。
エフラムは矢を番えて引いた。彼に少しでも弓の経験があるという事は、ヒーニアスの目から見れば明らかだった。
一射。風が切れる。右の耳に響く弦の音を、エフラムは聞いた。矢が頬の側を走り、素早く回りながら飛ぶ。そうして的に矢が突き立った。
「すごいわエフラム!」
ターナの黄色い歓声が上がった。ほんの僅かに右に逸れてはいたが、殆ど中心で、真ん中を外したとは言えない僅差だ。
ヒーニアスは内心舌打ちした。実際にやらないのは、それが王族の嗜みだからだ。
…自分で持ちかけた勝負だったが、もしこれで次も当てられたら、ターナの中のエフラムの株が上がってしまう上に、こちらからの口出しのしようが無くなってしまうではないか。それは非常にまずい。
エフラムが無言で二射目の弓を引いた。

死んでも認めたくない事だったが……ヒーニアスは内心ほっとした。
外したのだ。
今度は左に大きく逸れた。的の端に当たっており、どう見ても中心から外れている。
エフラムが無言で弓を下ろす。しばし、沈黙がその場の空気を支配した。
「…っず…ずるいわ、お兄さま! 弓はお兄さまの一番得意な分野でしょう、公平じゃないわ」
ターナが異論を唱えた。
「むう…」
確かにそう言われればそうである。
しかしここまでターナがエフラムを擁護するのが、どうにもこうにも気にくわない事この上ない。
「エフラムは槍が得意なんでしょう? だったら、槍でも勝負するべきでしょう?」
「確かに、そうだな。よし、それじゃ今度は槍で勝負してみるか。どこにある?」
「…」
まさか慣れていないから嫌だとは、ヒーニアスが言える筈もなかった。


槍術の勝負でエフラムが勝ったのは言うまでもない。
そして、引き分けでヒーニアスが引き下がる筈もなく、続けて第三の乗馬対決に突入した。
それですっかりエフラムもヒーニアスもヒートアップしてしまい、パーティーの事を忘れて勝負にのめり込んでいった。一方の圧勝が続けばいいのだが、生憎一進一退である。見物していたターナとエイリークの方が、だんだん呆れてくる程だった。
いつしか、ヒーニアスは妹の事がそもそもの原因である事を忘れてしまって、単にエフラムに勝ちたいというだけで勝負していた。
それまでヒーニアスは、大体どの素養についても他人に負けない自負があった。
だが、これ程何につけても自分に拮抗しうる同年代の青年は初めてだった。プライドの高い彼は、自分とその相手と、どちらが上かを見定めずにはいられないのだ。もう、それだけで十分エフラムに喧嘩を売る理由になる。
「エフラムって何でも出来るのね。あんなにお兄さまが躍起になってるの、わたし、見た事ないわ」
「一応、一通りの事は習ったから…」
エフラムらしくない…エイリークはそう思った。普段の兄は、他人の非難を意に介さない朴念仁なのに、どうしてあんな挑発に乗ったのだろうか。
遠目で見ると、だんだん頭が冷えてきたのか、エフラムの表情に倦怠めいた色が見える。馬鹿馬鹿しくなってきたものの、今更引き下がれなくて後悔している、そういう顔だ。
「エイリークはペガサスに乗った事はある?」
ターナもいい加減付き合いきれなくなってきたのか、エイリークに話を振ってきた。彼女たちの兄は地面に○×を付けて勝敗の数を確かめている。揃って礼服を崩し、髪を乱しているが、そんな事に構っていられないのだろう。
話してみると、ターナは第一印象通りの天真爛漫な少女だった。無垢で可愛い。
「お兄さまは、口は悪いけれど、いい人なのよ。さっきエフラムに失礼な事を仰っていたけれど、ごめんなさいね」
「いいのよ。それに…口の悪いのは、私の兄だって負けてないわ」
「そうなの?」
「ええ! よく『胸がない』だの『色気がない』だのと」
だんだん話が逸れてきた。
「お兄さまもよく私を子供扱いするのよ、ペガサスでの散歩もやめろって仰るの、危なっかしいからって…」
いつの間にかお互いの兄の話、それも兄に関する愚痴になってきている。
「ターナ、聞こえているぞ!」
ヒーニアスがこちらに声をかけてきた。
「だ、だって本当の事だもの!」
と、そこへ、一人の侍女がスカートの裾を掴んでこちらに駆けてきた。
「姫様、姫様!」
「あっ…どうしたの?」
「陛下がお呼びです。殿下も…」
その声はヒーニアス達まで届いた。
「少し遅れると父上に伝えろ」
「それが…陛下が仰るには『一刻も早く来ないと、二週間謹慎させ勉強詰めにする』と…」
…。
ヒーニアスはちらっと宴の会場を見やる。
椅子に座している父と、窓を挟んで目が合う。明らかに怒っている。
「………分かった、戻ろう。ターナ、先に行け。私は一旦着替えてから行く」
「はい、お兄さま」
ターナはエイリークに礼をし、侍女に続いて早足で会場に向かっていく。
ヒーニアスは簡単に身なりを整えると、エフラムを見やって言った。
「続きはまた、今度だ」
「…」
面倒なのでもう二度とやりたくなかった為、エフラムは黙って返事をしなかった。ヒーニアスの背中を見送りながら衣服を正す。髪をかき上げると、汗をかいているようだった。
「兄上」
エイリークが歩み寄ってきた。
「…疲れた」
「それは、そうでしょうね」



翌日、ターナとヒーニアスはわざわざ二人の帰国を見送りに来た。「ペガサスで遊びに行くわね」と言うターナを、ヒーニアスが窘める。
エフラムは殆ど無言だったが、昨夜の二の舞にならないよう、ヒーニアスの視線を気にしない事にしていた。というか、気にならなかった。改めて考えるとヒーニアスが勝とうが自分が勝とうがどうでもいいのだ。戦場の敵がヒーニアスにならない限り。
だが、ヒーニアスの方は昨日父王に叱責されたにもかかわらず懲りていなかった。
「次に会う時には、貴様と決着を付けるぞ」
「…俺としては、もうどうでもいいんだが。別に、お前の勝ちで構わないのに」
「私はそれでは納得出来ん」
まるで勝利を与えられているようで、それがヒーニアスの自尊心を傷つけない筈はない。
しかし仏頂面のヒーニアスとは対称的に、エフラムは非常ににこにこと笑顔を浮かべていた。
「…何がおかしい?」
「いや…余程頭が痛いんだろうと思ってな」
ヒーニアスが更に顔をしかめる。昨夜父から受けた叱責の際の痛みを思い出したのだろう。
「俺は、お前と友人になれたと思っているのに」
「…」
ヒーニアスの返答より先に御者が来て、準備が出来た事を知らせてくれた。
友人であると互いに言い合う事は出来なかったが、ヒーニアスは別れ際に妹と同じく、手を振ってくれていた。






「…おそらくヒーニアス王子もいらっしゃるのでしょうね」
手紙を見ながらエイリークが言った。
差出人はターナで、来月、そちらを訪ねたいという内容だった。
「兄上はどうしますか?」
「俺も行くさ。せっかくわざわざ会いに来るんだからな。…まあ、ヒーニアスの奴はまたいつものように、何か勝負をしかけてくるんだろうが…」
「やめて下さい。せっかく四人で会うのですから」
「俺もそうしたい」
エフラムは他の手紙も見た。今日はたった二通だが、たまに十通くらいエフラムの知らない人物から手紙が届く。その度エイリークにこれは誰か、あれは誰かと尋ねると、それは大抵女性だった。
こちらはどこそこの息女です、こちらはどこそこの妹君です、と、エイリークばかりがその名前を知っていた。
『いつ知り合ったんだ?』
とこちらが聞くと、大抵、
『兄上…この間お会いしたでしょう』
と言われる。そう言われてエフラムがあああの人か、と思い出す事は極めて稀だった。
手紙の内容を読んでも、顔と名前がまるで一致しない。なので返事のしようもないのか、エイリークは兄から恋文の返信の仕方を相談されがちだった。エフラムは一応返事をしないのは相手に悪いと思っているようだが、彼は筆無精というか文才がないと言うか、優しく丁寧に断る為の文体というものを思いつけないのだ。
今日来た手紙のうち、ターナからのものではない他の一通はリオン皇子からで、二人に宛てたものだった。
「エイリーク、リオンから手紙だ」
「え? リオンから? 早く開けてください」
「待て待て」
リオンからの手紙の内容は、いつも互いにやり取りする手紙と同じ。近況について、父について、剣の練習について、今魔道士らと進めている研究の進み具合について等だった。
最後に『会いたい』という希望が書かれている事をエイリークもエフラムも期待したが、残念ながら父ヴィガルド皇帝の体調が思わしくない為、無理なようだった。たった一人の跡継ぎであるリオンが、そう易々と王都を離れられる状況ではないのだろう。
「もうしばらくは、あいつと会えそうにないな」
「その様ですね…」
「あいつも、今頃は忙しく【聖石】の研究に没頭しているんだろうが…大丈夫だろうか。放っておくと寝食を忘れそうな奴だからな、リオンは。返事にその事を書いておくか」
リオンへの返事は、いつも別々の紙に分けて書く事にしている。エフラムはエフラムだけの、エイリークはエイリークだけの、リオンに伝えたい事が書けるからだ。一緒に書くより返事を書き終わるペースも速い。
「俺は今すぐ返事を書くが、どうする? これ、俺が持っていってもいいか」
エフラムはリオンからの手紙を見せた。
「はい、どうぞ」
エフラムは自分の部屋へと戻り、一日のうちの付き合いが長いとは言えない机に座った。普通ならこんな所に長時間座っていると、どうにもこうにも焦れったくなって外に出てしまうのだが、今は別だ。紙を取って来て返事を書き始めた。
書きながら、リオンの事を考えた。きっと、研究にうちこんでいるとはいえ、暇を縫っては剣の練習もしている事だろう。エフラムがいくら向かないと言っても、優しい彼には不要な術なのだといくら言い聞かせても、何故かリオンは剣を習いたがった。
しかし、そろそろエフラムにもその理由の一端が分かりかけてきた。リオンが妹に恋情を抱いている事は薄々感じていたが、まさかその為に剣術に手を出すとまでは思わなかった。
エフラムとしては、リオンの気持ちを応援したい。これが他の何処かの男なら渋面作って追っ払いたい所だが、リオンになら妹をくれても良かった。
無論、それはエイリークの気持ちにもよる。まかり間違っても彼女がリオンを嫌っている筈はないだろうが、彼女がリオンを好く気持ちが、彼のその気持ちと同じかどうかまでは分からない。双子と言っても同じ頭を持っている訳ではない。片割れの考えが読めない事は多い。
ただ、相手が例えリオンでも、やはり少し寂しいと感じた。しかしそれを当のリオンにだけは決して知られたくなかった。笑っているべきなのだ。妹も、幼なじみも、周囲の全員が。



…どうしてなのかしら。

エイリークはリオンへの返事を書きながら、少し別の事を考えていた。
そもそも、兄は異様に自分から男性を遠ざけたがる節がある。
いや、それは別にいい。男性の話し相手が欲しい訳ではない。そんな相手は兄とリオンで十分だ。兵士達ともたまに言葉を交わすのだし。
しかし、どうやらエフラムは自分と結婚する相手としてリオンを想定しているようだという事まで、女のエイリークは薄々感づいていた。
その理由が彼女には理解出来ない。相手がリオンだというのはまずさておき、エイリークとしては、そんな事よりエフラムには自分自身の事を考えて貰いたい。あれだけ女性から手紙を貰いながら、その誰にもも無関心な兄。かえってついつい心配になってしまう、こんな朴念仁な兄に嫁の来手があるのだろうかと。

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2007/02/15:加筆修正。