フレリア王国のターナ王女の、生誕日を祝う宴。
招待客の大半はフレリア国内の人々で、エイリークとエフラムにとっては、一切顔見知りのいない場だった。目に映る華やかな装飾や人々の煌びやかな装いは、視覚的に二人に美しさを訴えかけてくる。
…が。
「…兄上、退屈そうですね」
「ああ」
エイリークはその表情から兄の心情を察し、言った。エフラムにしてみれば堅苦しい場所で堅苦しい衣服に身を包み、何をする訳でもなく壁際に突っ立っているのは、体力と気力の浪費以外の何物でもないのだろう。
エイリークは、何となくフレリアの王侯貴族と積極的に親しくなるのは気が引けた。それは父の意見を十分に知らないまま、ルネスとフレリアの親疎を左右させる事等を彼女なりに考慮していた。それに招待客の世代が、ほんの少しだが、自分達より上である。エフラムに言わせれば『そんな事で気後れしてどうする』という所だが、エイリークは兄から離れて他人に話しかけてみる勇気がなかった。ここで孤立してしまうのが怖かったのである。それは幼い事だと分かっていた。いつまでも兄とくっついてはいられないのに。
「なあエイリーク、どうする? いっそ廊下にでも出るか?」
「いえ、そこまでは。あ…ですが、兄上がそうしたいと仰るなら」
エフラムはエイリークと違い、ここで二人一緒に行動する事に疑問を持っていなかった。こんな名前も知らない他人ばかりの場所に妹を一人放って何処かへ行く程、エフラムはエイリークの独り立ちを願っていなかった。
…いつまでも二人一緒にいてばかりはいられないだろうと、十四歳になった年に父が言っていた。その時の全ての父の忠言を要約すると、こうなる。
『いい加減、妹ばかりに構っていないで友人を作れ。お前の難点は武術ばかりに打ち込みすぎて、学問に加え、社交性に富んでいるとは言い難い所だ』。
良い友人ならリオンがいる、と、エフラムは答えた。
が、『リオン皇子だけであろう』と言われれば…反論出来なかった。
話の合う知り合いはいる事はいるが、エイリークの側が一番心地良い。一緒にいて楽しいと思う。小さい頃から殆ど彼女と始終一緒にいるせいか、エフラムには友人がいなかった。エイリークもエフラムにくっついていたので、友人は実はあまりいない。友人は二人の共通の幼なじみである、グラドのリオン皇子だけかもしれない。
幼いのかもしれない。いつまでも一緒にいて、互いに依存しあってはいけないのかもしれない。
だが誰よりも早く、長く共にいるのはエイリークだ。どうして今更別れなければいけないのか分からない。一緒にいれば、喧嘩もするが、しかしとても楽しいのに。
ホールの中央では、曲に乗ってダンスが行われている。聞いた事はない曲だったがそのリズムから、どの振り付けなのかエイリークにはすぐ判った。
「兄上、そういえばダンスの練習を最近していませんでしたね」
「ああ…そうだったな。父上も特にこの日の為に猛練習しろとは仰らなかったが…考えてみれば三ヶ月くらい、やっていなかったな」
「兄上が、あまりに歴史がお出来にならないから」
「うっ…仕方ないだろう。ああやって部屋の中で延々話を聞くだけだと、どうしても頭に入らないんだ」
「でも、リオンの話ならある程度覚えていけると仰っていませんでしたか?」
「リオンならな。マクレガー司祭の話は…眠くなる」
エイリークが隣でくすくすと笑った。一応着飾ってはいるが、何故かエフラムにはあまり普段と変わらないような印象を与えた。
「話が逸れたが…ああ、ダンスの話だったな。そう言えば、お前は俺を相手にダンスの練習をするのを嫌がっていたが、どうしてだ?」
「決まってます、いつまで経っても兄上が私の足をよく踏むからです。おかげで私はダンスしながら、兄上の足を回避すべく気をつけなければいけないんですよ。まあ、ここ最近はそれも大分良くなってきていましたけど…」
「ああ、すまん。足を踏まないように気をつけると、逆に踊りの方が駄目になるんだ。だが…この間の時は踏まなかったし、良く出来てたと先生にも言われていたろう?」
「はい」
「苦労したんだぞ。今日こそ踏まずに完璧に踊りきろうと、細心の注意を払って踊ったんだからな。おかげでたった数分間でかなり気疲れしたが…」
ふと、エイリークはある視線に気づいて顔をそちらへ向けた。一人の少女がこちらを見ていた。特に何か探ろうとするような不快な視線ではなく、純粋な興味を込めた視線を向けてくる。
その少女の顔だけは二人とも知っていた。宴の前に招待客全員がフレリア国王と王子・王女に順繰りに挨拶をするが、その時二人が挨拶した相手だ。今回の宴の主役の、ターナ王女だ。黒い長い髪をまとめ、それに髪飾りをあしらっている。
「ターナ王女がこっちを見ているな」
エフラムも妹の目線を辿って、ターナに気が付いた。
「ええ、何故でしょうか?」
「単にお前に興味があるんじゃないか? お前は同じ女で、それも同年代だしな」
エフラムの言葉が正しいようだった。ターナは笑顔を浮かべてこちらに歩み寄ってきた。まだ幼さの残る、あどけない少女という印象だった。
「ルネスのエフラム王子とエイリーク王女、だったわよね?」
「ええ」
「改めて、フレリア王女ターナです。ようこそお越し下さいました」
非常に気さくな王女だった。この少女の場合はそれでいいのかもしれない。とにかく、非常に天真爛漫な雰囲気をまとっている。
「あの、おいくつ?」
「どちらも十四になります」
そうエイリークが答えると、ターナがきょとんとした。
「え?」
「双子ですから」
ああなるほど、とターナは頷いた。そして彼女は、いきなりこんな言葉を投げかけて二人を驚かせた。
「あの…お友達になってくれません?」
その、ターナのあまりに直球な言い回しに、二人はひっくり返りそうになる程の衝撃を受けた。
「だめ?」
黒瑪瑙より黒く、しかしそれに負けない輝きを放ちながら、ターナの円らな瞳が動く。
「いや…あまりに直な言い方なので、びっくりしただけだ。普通、友人というものは、『なろう』と言ってなるものでもないような気がするんだが」
「ええ、でも、何て言ったらいいか分からなかったんだもの」
ふと、耳に届くダンスの曲が終わった。それを見ていた招待客から拍手がおこる。
「そうだわ、エフラム王子、一度踊ってくれないかしら?」
「は…?」
…何の前触れもなく話を変えるな。しかも、何で俺なんだ。その人選の理由は何だ。
エフラムはぐるぐるとそんな事を考えた。
「結構なお誘いだが、俺はあまりダンスが上手くない」
と、一応正直にエフラムは言ったのだが、
「あら、そんなの問題ないわ。私も得意な方じゃないもの。でも一度人前で踊ってみたいのよ。ね、お願い」
ターナは受け付けない。
エイリークが視線で『一度くらいなら踊ってあげてもいいでしょう』と伝えると、エフラムはそれに渋々従い、ターナの誘いを受け入れた。
ターナの手を取ってホールの中央に向かう兄の背中が遠のいていく。
急に自分の周りに穴が空いたように寂しくなった。
…だめ。こんな事、大人になったら当たり前の事なのよ。独りの時が多くなって当然なの。
…。
自分は駄目だなあ、と、エイリークは思った。
ターナの誘いを受けるように頼んだのは他ならぬ自分自身なのに、いざ兄を連れて行かれると、どうしても踊りに誘ったターナを恨めしく思ってしまう。小さい頃、エフラムを外の遊びに誘った子供達に感じたような気持ちだ。自分を残して外へ駆けていってしまう兄にこちらから何か言う事はなかったが、しかし、兄はそんな自分の表情を見るなりすぐ戻ってきてくれた。
自分に向かって『色気がない』だの『胸がない』だの何だのと、エフラムは口の悪い所があるが…………やさしいのだと思う。誇らしいと思う。
そして、今日こういう場にでも出ないと解らないが…兄は、見目がいい。密かに本人の知らない所、ルネスの貴族の姫達の間で騒がれているだけの事はある。
…いつか、自分から見て兄を挟んだ反対側の隣に、誰かが来るのだ。
………さびしい。
「エフラム王子は、やっぱりダンスのお稽古はエイリークとするの?」
「ああ。それとターナ王女、『王子』はつけなくていい」
「そう? あ、それなら私の事もターナって呼んでね」
いいでしょう? とターナ。女というのは生まれながらの外交官だ、という言葉につくづく賛同したい。エイリークもよく、形こそ違えど、すんなりと自分を懐柔してしまう。
「うわぁ…エフラム、上手じゃない」
「そうなのか?」
自分では上手か下手か、客観的な視点から見る事が出来ないので良く解らない。だが少なくとも今の所、ターナの足は踏んでいない。ただし、危うくよろけそうになったが、ターナには気づかれていなかった。
「ええ! ターナのお兄さまみたい。お兄さまもとてもお上手なのよ」
「そうか」
どう返事したらいいのか困って、当たり障りのない返事を返す。
踊りながら喋るのはターナの方で、エフラムはそれに一言二言答えるだけだった。エフラムは楽しくないのかしら、と目の前で首を傾げるターナの仕草にも、エフラムはまるで気づかない。自分の目に映る挙動の裏側までは、彼は見ていなかった。
踊っている当人達は気づいていなかったが、傍目から見れば二人のダンスは、その年頃にしては感嘆ものだった。観客の視線が二人に集まる。宴の主役たるターナに視線が集まるのは無論だが、その彼女の踊りの相手を見事に務めて彼女を楽しませているエフラムの存在も、注目される要因だった。
視界を横切る妹の姿。壁に立てかけた小さな人形のような姿。とても遠のいて見える。ついステップを崩して、妹に駆け寄っていってしまいそうになる衝動を抑えた。
何だっ! あれはああああっ!
ヒーニアスは心の中で怒りのあまり声を上げた。
ホールの中央にて注目を集める妹のダンスは、確かに上手い。楽しみにしていた宴の為に一生懸命練習しただけの事はある。だがヒーニアスが問題にしているのはそれではなく、妹が何処ぞの見知らぬ(あくまでも、ヒーニアスにとって見知らぬ)男と踊っている点だ。
元々、ヒーニアスは世間知らずな妹をこんな場所に出すのを好まない(そういう事をいつまでも言っているから妹が世間知らずなのだという事に、本人は気づいていない)。どんな連中が近づいてくるか解ったものではない。女性としても、王族としても危険がある。それを散々諭しても、妹は聞き入れようとはしなかった。反抗期というやつか。
父も、まだ幼い娘を心配してはいるようだったが、元々父は一人娘で末っ子の妹に甘いのだ。
そして宴の当日、ヒーニアスは自分自身の事はそっちのけで妹の監視をしていた。何人かが話しかけてきたりダンスの相手を申し込んできたりしたが、それも全て断り、遠くからターナの姿を見失わないよう努めていた。
なのに、だ。少し目を離した隙にこれだった。しかも遠目で見るターナの表情は非常にまずい。相手の踊りの上手な事に、とてもうっとりしているように見える。いくら踊りが上手くて見目が多少良くても、それだけで妹の好意を受ける事など、本人が許してもヒーニアスは許さない。
踊りが終わり、二人が中央から端へと歩いて去っていく。それをヒーニアスは追いかけた。
「ターナ!」
「ありがとう、エフラム。とっても楽しかったわ」
「そうか」
「ねえエイリーク、どうだった?」
「とても上手でしたよ。貴方も兄上も。皆さん見ていらしたもの」
先程のダンス、一瞬兄の顔に横切った感情が、エイリークにははっきり解った。
来なくていい、そのまま踊っていてほしいと首を横に振ったら、視線をターナに戻してくれた。いいのだ。ターナの楽しい時間の邪魔はしたくなかった。一人で他人の海に身体を置く時間も、いい経験だと思ったのだ。…決して居心地は良くなかったが、世間はそういうものだろう。
「え、そうなの? 皆さん見てたの?」
きょとんとターナが首を傾げた。まるで気づかず、彼女はダンスに夢中になっていた。この日の為に必死で覚えたステップは、幸い失敗しなかった。
「あ、エイリークも誰かと踊ってきたら?」
「え…」
と言われても、誰をパートナーにすればいいと言うのだろう。エイリークは困惑してターナの顔を見た。すると手を出して、エフラムが助け船を出した。
「兄上」
「心配しても疲れてはいない。どうって事はないさ」
実際は、らしくもない気遣いで精神的に疲れていたのだが、たった数分ぐらいなら、妹の為なら割ける。命がかかっている訳でもあるまいし。…しかし、ターナが見ているだろうからやはり失敗は出来ないだろうが……。
兄妹の手が重なろうとした時、三人の輪に声がかかった。
「ターナ!」
呼ばれた本人はぱっと顔を上げ、笑顔になった。エフラムら二人も、その声の主の顔は見て知っていた。フレリア王子ヒーニアスだ。弓の名手だという評判だが、実際にその腕を目にした事はない。二人より二歳上で、エフラムより背が多少高かった。
「お兄さま」
歩み寄ってターナの隣に割り入って来たヒーニアスは、エイリークよりむしろエフラムの方をいやにじろじろと観察してくる。ターナの目線と違って、居心地を悪くさせる視線だった。ターナが側でそれを注意するが、聞かない。
「お兄さま!」
「…ルネスの、エフラム王子とエイリーク王女だったな?」
彼は宴の前に挨拶した時の二人をはっきりと覚えていた。双子だという事と、兄妹揃って見目麗しかったので印象に残っていたのだ。先程ターナとダンスしている時には、遠目だったのではっきり気づかなかったのだが。
エイリークは裾を引いてヒーニアスに挨拶したが、エフラムは黙りこくっていた。相手が何をしに来たのか見当も付かなかった。彼の頭には『単に話をしに来ただけなのではないか』という考えはなかった。それはヒーニアスの態度から見て明らかだ。
ヒーニアスは妹に挨拶を返し、はっきりとこちらを見つめてくる。自分が何かしたのだろうか。
「武術に秀でていると聞いたが…」
と、一息おいてエフラムの腕をこれみよがしに見やり、
「女のような腕だな」
と口にした。
「お、お兄さま!」
兄の露骨な非礼に憤慨したターナが、ヒーニアスをたしなめる意味で呼ぶ。あからさますぎる挑発にヒーニアスは自分でも嫌気がさしそうだったが、妹をどこぞのうつけから引き離す為なら耐えられる。
いつものエフラムならあまり相手にしないようなセリフだった。こういう風にはっきり敵愾心を向けられた場合、あまり無反応でいるとかえって頭が少し足りないのかと勘違いされかねないだろうから、それなりに視線をきつくする。それがいつもの反応だ。
だがその夜は少々機嫌が悪かった。…足首と肩が凝っていたのだ。
エフラムは真っ直ぐヒーニアスを睨み付けた。
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I promise, eternally.(2)
2007/02/15:加筆修正。