I promise, eternally.(13)
…あにうえ。
ひとは、しんでしまったらどこへいくんですか?


さあ…わからないな、しんだことがないからな。


しんだら、だいすきなひとのそばに、いられなくなるんでしょうか?


それは、おれはいやだな。さびしいよ。


わたしも、さびしいです。あにうえがいないのは…いやです。


おれは、しんだらエイリークのそばにいくよ。
だから、そんなにかなしいかおをするな。




私も、死んだら貴方の側に行けるといい。






本当に、行けたらいい。
が、だからといって今ある生を投げ出す気は、エイリークには更々なかった。
四人という極めて少ない頭数では、とても作戦らしい作戦の元に戦闘を展開し得る訳もなかったが、剣を扱うエイリークとヨシュアが前に立ち、それをヒーニアスとサレフが援護する。その形でどうにかやり過ごし続けていた。
最も、エイリークが前方に出る事については、男三人は似通った渋い顔をした。彼らは性格こそ違えど、騎士性は共通しているらしい。しかし、エイリークが前に立って戦う事ばかりは、どうにも変更しようのないことだった。
「…っ…大丈夫か…王女……?」
息を整えながらヨシュアがエイリークに駆け寄る。
「はい…」
エイリークはそう気丈に答えたが、あまり大丈夫ではない様にヨシュアには思われた。彼女は自分と違って砂漠での生活、特に戦闘に慣れていない。それに、負傷した右足が度々痛む筈だ。それは彼女の戦い振りを見ていて分かった。
そこへ、ヒーニアスとサレフが二人の元に駆け寄って来た。
「エイリーク、怪我をしている」
ヒーニアスが言っているのは、頬の傷の事だ。浅い切り傷が出来ていて、血が滲んでいる。
「大丈夫です。それよりも…」
それよりも…と、彼女は顔にかかる髪を手でのけ、周囲を見回した。
周囲に敵兵の姿はない。現在この砂漠の上で立って歩いているのは、彼ら四人だけだ。後は灼熱の中で横たわっている。
「俺はあっちを見てくる」
「私も行こう」
ヨシュアは帽子をかぶり直しながら、サレフと共におよそ西の方向に様子見に向かった。
今や砂漠の酷暑と、加えて昨日からの飢渇が、著しく四人の体力を削いでいっている。この状態でどこまで戦い抜けるのかは、もう殆ど見えかかっていた。
エイリークが戦闘の混乱の最中に脱ぎ捨ててしまった日差し避けの外套を、ヒーニアスは拾い上げて彼女にかけてやる。戦う時には邪魔とはいえ、それ以外の時には着ていなければ、日光に苦しめられる事になる。
「ありがとうございます」
自分の外套もかぶり直そうとして、ふと、ヒーニアスは手を止める。
勘が、彼の頭の中で警鐘を鳴らす。
「ヒーニアス王子?」
ヒーニアスは南方の空を凝視した。そして少し歩いていき、砂が盛り上がって高くなっている所に上がる。
暑さと疲労で視界が揺らぎ、思わず目頭を手で押さえる。体力の低下を実感した。
もう一度空を睨むと、飛竜の姿が見えた。背中に人間が乗っている。しかも、こちらの方へと向かっている。速い竜だ。
ヒーニアスは即座に地面の低い方へと降りた。
「エイリーク、竜騎士の一団がこちらに向かって来ている」
「…!」
砂漠のど真ん中では、隠れてやり過ごす事も出来ない。
現在ヒーニアスの手元にある矢は十本程だ。一矢で一騎を射落とす自信がない訳ではない。しかし竜騎士六騎全てを一人で射落とすとなると、全員を射落とす前に懐に入られる可能性があるのだ。
ヒーニアスとエイリークは、ヨシュア達が偵察に向かった西の方角へと走った。とりあえずは二人と合流しなければ話にならない。
エイリークが転びかける。ヒーニアスが彼女の腕を掴んで助け、また疾走する。一歩一歩踏み出す度に砂に足が沈むのを、もどかしく悔しく思った。
エイリークが後ろを振り返ると、彼女にも竜騎士らの姿が視認出来た。方角を変えてこちらに向かっている。こちらに気づいたのだ。
走っても走っても、ヨシュアとサレフの姿は見つからなかった。彼らは一体どこまで行ったのだろうか。エイリークとヒーニアスに見えてくるのは、ジャハナの王城の石の壁だけだった。
それと同時に、風に乗って聞こえる飛竜のいななきと翼のはばたく音が明瞭になってくる。何者かの笑い声もした気がする。
ヒーニアスは走りながら矢を屋筒から二本取り、同時に番えて後ろに放った。狙いを定める隙など殆ど無かったにも関わらず、彼の放った矢は二頭の竜を深々と眉間から後頭部へと貫く。だが当の本人はそれを確認する間もなく、エイリークを連れて更に走った。ヒーニアスはこんな所で死ぬ気はないし、エイリークを死なせるつもりもないのだ。
突然、ヒーニアスが前によろめいた。
「…王子!?」
エイリークが慄然とした。後方から竜騎士がヒーニアスの背中を斬りつけたのだ。
ヒーニアスは前に踏み込み、エイリークの腕を強く掴んで走り出した。それ程深い傷ではないと、背中の傷の熱さも酷暑のせいだと自分に言い聞かせ、無理矢理激痛を意識から追い出した。
二人は壁に追いつめられた。ヒーニアスはどうしても立てずに、壁に後ろ手をつく。乾いた無機的な感触は死の手触りを想像させた。
二人を追っていた竜騎士達はそれぞれ砂漠の地面近くまで降下してきた。無論、全員揃ってグラドの紋章が入った鎧をまとっている。その中に他とは格好の異なる者がいた。目つきや態度に不健全な空気が漂っている男だ。その男が上官だろうとエイリークは推測したが、誰なのかまでは分からなかった。
「鬼ごっこはもう終わりか? エイリーク。まあ、その人数にしては、随分健闘したと言えるか」
「…あなたは…?」
まるで自分を見知っているかのような口振りに、エイリークは怪訝そうな顔をしてみせる。グラドには過去何度も赴いたが、目の前の男の顔は彼女の記憶になかった。
「私を忘れたのか? ルネスを脱出する時に会っただろう」
「…」
そう言われて気づいた。ゼトに連れられてグラドから脱出する際に出会った竜騎士だ。ゼト程の騎士が、自分を庇いながらとはいえ苦戦し、そして負傷させられた相手。
「貴様がヴァルター将軍か」
ヒーニアスは吐き捨てるように名前を言った。ヴァルターという男が戦場で如何なる振る舞いを行う『騎士』か、そして彼がエイリーク達に何をしたか、ヒーニアスは十分聞き知っていた。
唐突に激しい痛みが背中を走って、思わずヒーニアスは拳を握りしめる。
「ヒーニアス王子」
「大丈夫だ」
ヒーニアスはエイリークに手を伸ばし、彼女を自分の後ろに入れて庇った。
「ヒーニアスというと、貴様はフレリアの王子か? くっくっく…その知略と弓の腕で、随分とこちらの手勢を悩ませてくれたようだが、これまでだなぁ、その傷では」
飛竜から降りて鎧の音を立てながら歩み寄るヴァルターの顔は、勝者、もしくは征服者としての満足感で、笑みに歪んでいる。一方的に喋っているが、饒舌は嗜虐的な人間に良くある特徴だ。
「しかし安心しろ、貴様の骸はそれ相応の扱い方をしてやろう。それ相応のな」
ヴァルターの左右にいた竜騎士達が卑しい笑い声を立てた。
「…ヴァルター将軍、でしたね」
「うん?」
エイリークがヒーニアスの肩に手をかける。そして、彼女は彼の前に出た。
「何だ、命乞いか? ならば安心しろ、貴様には生きのびる道があるぞ。私の所有物として生きる道がな」
自分で自分の発した台詞に快感を覚えながら、ヴァルターはエイリークの砂にまみれた首を掴もうと手を伸ばした。
エイリークは殆ど身動きしなかった。全く、とは言えない。彼女はヴァルターの手を左手で、嫌悪感も露わに払いのけたのだ。
「…私は、こんな所で倒れる訳にはいきません。貴方のような人に命乞いをするつもりもありません」
「…何だと?」
ヴァルターを始めとしたグラド兵達は耳を疑った。この少女は何を言っているのだろうか。砂漠の熱にあてられでもしたのではないか、と。
「貴様、状況を分かっているのか? この人数を相手にして生き残れるなどと、本当に思っているのか?」
エイリークは剣を抜き放った。憔悴しているとはいえ、その毅然とした姿は、彼女の言葉が嘘や虚勢からでない事を物語っていた。
「私はルネスの王女です。貴方などには屈しない。決して!」
彼女は毅然とそう言った。砂埃にまみれたなりでもその姿は美しく、そして何処か厳かであった。
ヴァルターは一瞬気圧されたが、ふんと鼻を鳴らしてこう言った。
「…ルネスの王族は、揃いも揃って無謀な戦が好きらしいな」
ヴァルターがそう言うと、彼の部下が武器を構える。
ヒーニアスはそれを見て、右手を矢筒に伸ばした。
…例え、少しだけでもいい。もしかしたら一瞬でしかないかもしれない。
それでも、生き延びるつもりで抗ってみせる。
痛みを暫時忘れる事にして、彼は顔を上げた。
…その時だった。エイリークの視界の中の、遥か遠方の空が陽炎のように揺らいで見えた。
ぽつん、ぽつんと人影。それらが動いた。
ヒーニアスもそれに気づいた。彼はすぐさま咄嗟の判断でエイリークの腕を掴んで抱き寄せると、頭を外套で覆った。
それと同時だった。ヴァルターらの後方から、尋常ならざる暴風が、砂を荒々しく舞い上げながら向かってきたのは。
空を切る風の刃が身体を叩き、肌を裂く。鎧が砕ける。飛竜の何頭かが悲鳴を上げたが、エイリークとヒーニアスは目を閉じていたので、それを見る事は出来なかった。一瞬の事ながら、外套越しに彼らは猛々しい風を感じていた。
風が収まりかけ、二人が顔を上げる。二人と違って伏せる間もなく魔法の直撃を受けたグラド兵らは、その殆どが砂の上で動かぬ身と化していた。片方の翼をもがれた飛竜が、裂けた傷から血を流しながら小さく断末魔の鳴き声を発して倒れる。
運良く生き延びた竜騎士は何人かいたが、その運も、敏捷な身のこなしで斬り込んできたヨシュアによって、あえなく断たれていく。
エイリークは剣を振るって立ち上がり、ヒーニアスは矢を取って放った。彼が間違って味方に当てたりはしないと知っているので、ヨシュアもエイリークも戦闘で惑いはしない。
すると、しぶとくも運の繋がっていたヴァルターが、頭から血を流しながらエイリークに槍を振りかぶった。彼の攻撃を避けてエイリークは踏み込んだが、僅かに切り返しが遅れた。それは砂に足が沈んだせいもあるが、右膝の負傷のせいもあった。
その隙をヴァルターは見逃さなかった。右手の槍を手放し、左手で腰に下げていた剣を逆手に握って抜き放つ。素早い動作だった。そしてヴァルターはエイリークの剣を叩き落とすと、彼女に飛び退く猶予も許さない速さで剣を持ち替え、エイリークを掴まえ、後ろから剣を喉元に突きつけた。
他の兵を片づけたヨシュアとヒーニアス、サレフに緊張が走った。
エイリークが右手を後ろに振り上げた。その手にはエフラムから預かったあの短剣が握られていた。それを、ヴァルターの顔がある辺りに突き立てる。顔には届かなかったが、短剣の先端はヴァルターの首筋に浅からず刺さった。
エイリークの首を絞めていた、ヴァルターの腕の力が消えた。彼女はその両腕を払いのけてヴァルターから離れる。血の吹き出す音を聞きながら、彼女は振り返った。
ヴァルターの首と鎧が、彼自身の血で紅く染まっていた。他人の血ばかりを飽きる程浴びてきた鎧が、初めて持ち主の血を浴びた時であった。
ヴァルターが口元を悍ましい笑みで歪めた。
濁った双眸が、最期の残虐な光を放つ。
一歩、二歩。鎧の音を立てて足が踏み出される。
ヨシュアがエイリークの脇から躍り出て、一閃、剣をひらめかせた。
たった一撃。それで事は足りた。
彼の背後とエイリークの目の前、その間で、重い鎧が砂に着地する音がした。
…エイリークは短剣の血をマントで拭って元通りにしまった。そして砂漠に斜めに刺さった自分の剣を拾い上げる。この場を切り抜けはしたが、達成感のようなものは全く無かった。
「無事か?」
サレフの問いに、エイリークは首肯した。が、むしろ、それは話しかけてきたサレフの方にしたい質問だった。双聖器を用いた事による消耗の為か、驚く程彼の顔色は良くない。
「王子、あんたの方は大丈夫か?」
ヨシュアはヒーニアスに声をかけた。
「何処へ行っていたんだ、君たちは」
「グラドの天馬騎士と鉢合わせて、それを片付けるのに手間取った。急いで戻ったんだが、間に合って良かったぜ」
「なるほど………っ!」
「怪我してるのか?」
エイリークとサレフが二人に駆け寄る。
「これは…浅い傷だが、手当をした方がいいと思うぜ」
「…」
不意に何処からか馬のいななきが聞こえ、四人が身体を強ばらせた。天馬のものだ。
上空を見上げると、天馬と飛竜がそれぞれ一騎ずつ、こちらへ急速に向かって来る。
「どうやら、手当をする暇はなさそうだな…」
とヒーニアスが言った、その時、熱い風に乗って声が聞こえた。
「お兄さまー!!」
と。
聞き覚えのある声だった。こんな所にいる筈のない少女の声だ。
この四人の中で『お兄さま』等と呼ばれる者は、一人しかいない。
「…ターナ!?」
エイリークとヒーニアスの声がかぶった。

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2007/02/06:加筆修正。