I promise, eternally.(11)
船上とタイゼル港での夜だけでは、ターナは結論めいたものを出せなかった。
自分の直感は疑わしいかもしれない。
兄妹間ではあまりに親愛の情が強すぎて、恋が芽生える例はないと聞いた事がある。全くもって賛同する。兄のヒーニアスは始終口うるさいが、根は優しい。が、その兄に恋心などとはとんでもない。想像もつかないし、そもそもあり得ない。
まして、エフラムが妹を―――――特殊な意味で―――――愛しているという事があろうか?
…しかし、自分の直感は。彼のあれを恋だと告げている。
それについて、不思議と嫉妬めいた感情は湧かなかった。彼に対する感情がごく淡いもので留まっていたのかもしれないし、彼の想いの真摯かつ深刻な事を感じ取ったせいかもしれない。また、他に原因があるのかもしれない。もしかしたらその全てが理由なのかもしれない。
嫉妬はない。抱いているものがあるとすれば…余計な世話だが、空漠とした不安だ。



ザールブル湿原での戦闘はまさに激戦だった。その日の夜は地形の複雑な湿地帯で野営が出来なかった為、戦の疲労をおして進軍しなくてはならなかった。
野営地には少し進軍した先の森の中が選ばれた。天幕の設置が終わると、ターナは夕食が出来るまでの間を利用して、アキオスの様子を見に行った。天馬騎士は斥候任務などで急遽飛ぶ事があるので、どの馬より早く出せるよう、他の馬の端に繋がれている。アキオスに馬草をやるついでに、他の馬にもやっておいた方がいいだろうか…と彼女が考えながら足を運ぶと、先にエフラムが一人で馬に馬草をやっていた。到底一国の王子のする仕事ではないが、彼は暇さえあれば、いつもこれらのような部下のするべき労働を進んで手伝っている。
「エフラム」
「ああ、ターナか」
エフラムはちょうどアキオスに馬草をやっていた所だった。
「あっ、ごめんなさい。先に馬草をやってくれたの?」
「ついでさ、量はこのくらいでいいのか?」
「ええ、ありがとう」
アキオスがエフラムの頭を鼻先で小突く。これは怒っているのではなく、単に構ってもらいたいだけだ。
ターナもエフラムと一緒に、馬草を他の馬にやるのを手伝った。
「…ねえ、エフラム」
「ん?」
「さっき、ヴァネッサから聞いたんだけど…お兄さまが傭兵団を派遣してきたって話は、本当?」
「ああ。今、あいつはエイリークと同行してジャハナに向かってるらしい」
「ねえ…お兄さまは、わたしがこっちにいる事をご存知かしら?」
「ヘイデン様には一応知らせたからな。ヒーニアスの所に、その知らせが届いていないとも限らない」
「やだわー…合流したらきっとガミガミと叱られちゃう」
無断で出てきた以上、叱責を覚悟していたが、なまじ父より兄の方が口うるさいので余計に困る。具体的に兄に何を言われるか、彼女は一瞬で想像し得た。そして、その想像にげんなりとした。
「ジャハナか…近いな、グラドに」
「…そうね…」
「俺は、あいつを一番安全な所にやったつもりだったんだがな…」
飼い葉を与え終わったエフラムは、上体を起こして背伸びした。今日の戦はかなり疲れた。また、精神的にも辛い所のある戦いだった。直向きに己の主君への忠誠を貫いた、あの女将軍の最期が一時、エフラムの心を揺らがせた。
だが。それでも立ち止まる事はしない。遠くでは妹が戦っているのだ。エイリークが諦めない限り、自分も折れる事は出来ない。
と、ターナが水を汲む手桶を一つ手に取ったのに気づいた。
「ターナ、それなら俺が行って来る」
「いいの。大丈夫、わたしも一つくらいなら持てるわ」
「そうか…」
彼女がそう言うので、エフラムは手桶を二つ両手に提げて、一緒に沢に向かった。



自分の隣、正確にはその少し前をエフラムは歩いて行く。少し前だ。隣ではない。
「…ねえ、エフラム」
「何だ?」
ターナはぽつりと贅言を口にした。

「エフラムは、エイリークの事が好きなのね」

エフラムは立ち止まらなかった。だが、すぐに何かしら返答する事もなかった。
ターナはこう感じた…他人が彼の側に立てる位置は、せいぜい、隣までだ。それ以上は…エイリークの位置を越える事は、ないだろう。そう感じた。
そして、自分は、自分を一番愛してくれる相手を愛したい。だから、こうもすんなりと彼を諦められたのかもしれない。
「…ターナ」
エフラムは言い繕おうとして、しかし、彼女の真っ直ぐさの前にはそれが出来ない事を瞬時に悟った。
結局、彼が口にしたのは、
「…それで?」
という、抽象的な質問だった。ターナの発言に怒りは感じなかった。真実だからだ。そして、彼女に悪気はない筈だ。そんな人間ではない。
「ううん。別に、何もないの」
「…」
これがヒーニアスだったら、さぞかし色々と意見を加えてきたに違いない。それも非常にやかましく、それでいて論理的に。
しかし、そのようにかえって批判された方が、逆に自分の気持ちを徹する事が出来るのではないかとエフラムは思った。
「…だが…好ましくないだろう?」
「…そう…かしら?」
「え?」
これはエフラムにとって意外な返答だった。思わずターナの方を見ると、彼女は首を傾げながらこうエフラムに言った。
「わたしは…本人が幸せなら、それでいいんじゃないかって思うのだけれど」
「…」
ターナの純粋な論理を、迷わず己に適用出来るだけの身であったなら。
「だが、ターナ。俺はあいつの兄であり、ルネスの王子だ。そして俺はその事に誇りを持っている」
「…」
咄嗟に彼女は言葉を繰り出した。
「だって、エフラムは」

他の誰より―――――――――。

ターナはそれ以上言葉を続けられなかった。横を向いて自分を見るエフラムの双眸が、哀しげに曇ったのが見えたのだ。
同時に、自分が何故こうも易々とエフラムの感情を理解しようとする事が出来たのか、その理由が解った。
「…エフラム」
「…」
「…誰でも、自分に嘘は付けないわ」
「…」
ターナにしては大人びた台詞だな、と、エフラムは感じた。そして、彼女の言葉はそのまま真実であり、ある種の真理であった。
「ああ…分かっているよ」
度重なる懊悩の末にも、この感情を否定出来なかったのだから。
悩むのには飽きた。だから受け入れて、胸のうちに収めておくしかない。
「…ごめんなさい」
「何が?」
「わたし、言う必要のない事を言ってしまったのね。だって、エフラムは自分で良く解ってるようだから。…ごめんなさい」
「いや…ターナ、君は本当の事を言っただけさ」
…川に着いた二人は、桶に水を汲んだ。川に桶を差し入れた際に少し手が濡れる。流れの緩やかな水はとても冷たく、揺らいだ水面に白く月が映りこんでいた。
「ターナ。エイリークには言わないでくれるな?」
「ええ」
この感情で妹を縛ってしまうような事だけは、したくない。
見返りはいらない。笑顔があればそれでいい。嘘や強がりではなく、それが本音だ。
…まあ…多少の嫉妬は、胸中だけに留めておくから、許してほしい。
二人は水が入って急に重みを増した桶を手にぶら下げて、陣営へと戻った。
「変だな…」
「何が?」
「君に、こんな話をするなんて思わなかったよ」
意外にもエフラムは笑った横顔を見せた。
「なあターナ、俺は幸せな人間だと思わないか?」
「えっ?」
ターナの瞳に喫驚の色が浮かぶ。
「特別な理由をこしらえなくても、あいつの側にいられる」
…『兄』だから、用が無くても側に行ける。話が出来る。
「前向きなのね…意外だわ」
「意外だろ?」
「ええ。でも、何だか…」
「?」
ターナが笑った。
「そっちの方が、エフラムらしいわ」

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2007/02/11:加筆修正。