セクエンツィア(7)
女性はパスカル、と名乗った。
アスベル達は、てっきり彼女もアスベル達の様にウォールブリッジで足止めをくらったものだと思っていたのだが、そうではなかった。何と彼女は、南側からウォールブリッジを越えてきたのだという。
「バロニアの大翠緑石を近くで見てみたかったんだけどさ、なんか大きな事件があったらしくって、見学させてもらえなかったんだよね。で、する事も無くなっちゃったし、船が出港停止されてるせいで宿屋は満室だし、引き返してきたって訳。もう一度見たいものもあったしね」
王都の港が封鎖されているという事は、東ラント道からグレル旧街道を進む経路は使えない。グレルサイドにはここから向かうしかなさそうだ。アスベルとリチャードはちらりと視線を交わして頷き合った。
どうやって彼女にこちらの目的を気づかせずにウォールブリッジを越える方法を聞き出そうか、アスベルは考えようとしたが、先にリチャードが質問を始めた。
「パスカルさん。パスカルさんの『もう一度見たいもの』って、何だい?」
「ああ、あれあれ」
パスカルはちょいちょいと二人を手招きしながら、崖の下に降りて行った。街道からは見えないだろう奥まった所の地面に、大きな石の台座が埋まっている。
「ここから地下にある遺跡に行けるんだよ。あたしが見たいものってのは、そこ」
「……ひょっとして、パスカルさんはその遺跡を通って、ウォールブリッジを南から北に抜けたのかい?」
「うん、そうだよ〜」
「その遺跡は、僕らでも通れるだろうか?」
「多分ね。何、二人はここ通りたいの? ならさ、遺跡を出るとこまで一緒に行こうよ。えーと……名前なんだっけ?」
「俺はアスベル、それで……」
「……僕はリチャードだ」
リチャードが本名を名乗った事にアスベルは驚き、そして焦った。しかしパスカルは別段何も思わなかったらしく、
「アスベルにリチャードね。んじゃ、これからよろしく!」
と言って、元気よく握手を求めてきただけだった。


リチャードがパスカルに本名を名乗ったのは、一つの賭けであった。彼女が言う通り、本当に地下遺跡を経由してウォールブリッジを越えられるのなら、それは願ってもない事だ。しかし、彼女が叔父の追っ手でないという保証はどこにも無い。そんな状況で彼女に案内されるまま地下遺跡とやらに潜るのは危険だと考えた為、いっその事、地上で彼女の素性を探っておこうと思ったのだ。
リチャードが名乗った時の反応から推測すると、おそらく彼女は叔父の追っ手ではないだろう。一風変わった女性ではあるが、悪い人間ではないような気がする。恐ろしく芝居が上手いだけという可能性はまだ捨てきれないが、結局のところ、二人はこんな所でいつまでも立ち往生している訳にもいかないのだから、どこかで妥協せざるを得ない。
それに、地下遺跡に潜るには、彼女に転送装置を操作してもらわなければいけなかった。パスカルは『簡単に行けるよ』等と言ってはいるが、どうやら彼女の辞書の『簡単』という単語の意味は、一般のそれとは少々異なる様だ。
地下遺跡は、広大な空間の中に人工の足場がぽつぽつと浮かんでいる、とても不思議な空間だった。その足場と足場の間を、動く石に乗って渡っていく。遺跡内には魔物は生息していたが、人間の姿はリチャード達以外には見られなかった。
「こういう遺跡を調べて回っているという事は、パスカルさんは考古学者なのかい?」
「ん〜、まあ、そんなとこかもね。そういえば、二人ってどんな関係なの。兄弟?」
「兄弟か……」
リチャードは思わず笑ってしまった。アスベルの兄だと思われるのは、どちらかというとリチャードにとっては光栄な事なのだが、おそらく、そんな勘違いをするのはパスカルくらいのものだろう。
「アスベルは、僕のかけがえのない親友だよ」
リチャードはすぐさまそう答えた。率直な気持ちを述べたつもりだったが、リチャードの言葉を聞いたアスベルは、一瞬だけ表情を強張らせた。その反応を見たリチャードの心中に不安が兆した。彼との友情は疑うべくもないが、何か、アスベルの気に障るような言い方をしてしまったのだろうか。
「どしたの、アスベル?」
パスカルもアスベルの異変に気づき、くるりと彼の方を向いて首を傾げた。彼女に見つめられて、アスベルが大げさな程に身を竦ませる。
「ああ、いや……俺も、そう思ってる。リチャードは、俺の大切な親友だって。ただ、その……目の前でそう言われると、何というか、その……」
「はは〜ん、さてはアスベル、照れてるんだね。いいねえ、青春だねえ」
パスカルはそう言ってにやにやと笑った。
アスベルはリチャードと目が合うと、困ったような笑みを浮かべた。その表情を見た途端、リチャードの胸に兆した不安はかき消えた。
一体、何を気にする事があるというのだろう。アスベルの自分に対する友情に、間違いなんてありはしないのに。


リチャードの言葉は嬉しかった。それは本当なのだ。
けれど、彼の「かけがえのない」という言葉を聞いた時、アスベルの脳裏にはある出来事が蘇った。
七年前、ラントを出ると宣言したアスベルに、シェリアは自分がヒューバートやソフィの分まで一緒にいると言った。その言葉にアスベルは憤慨してこう言ったのだ。シェリアは決してヒューバートやソフィの代わりにはなれない、と。
あの言葉が決して間違いだったとは思わない。けれども、アスベルにとって弟やソフィの代わりがいなかった様に、シェリアにとってもアスベルの代わりはいなかった筈なのだ。にも関わらず、アスベルは彼女を置いてラントを去った。全てを守りたいと思ったから騎士になろうとしたが、その為に、シェリアの心を守る事を放棄してしまったのではないだろうか……そう考えた瞬間、アスベルは初めて自分の目指してきたものに疑問を抱いてしまったのだ。
父の戦死を知った時も、同じ様な事を考えた。自分がラントを離れたから父は死んでしまったのではないか、と。しかしそこにはフェンデル軍の侵攻という、ある意味未知数の要素が関わっていたせいだろうか。ラントに留まるという選択肢もあったかもしれないと考えただけで、騎士になろうとしたのが間違いだったとまでは思わなかったのだ。けれど……シェリアの事は?
そこでパスカルに呼びかけられて我に返り、アスベルの思考は一旦中断された。だが、これ以上は考えない方がいいような気がしていた。けれども考える事をやめるという事は、やはりシェリアの存在を投げ捨てるという事になってしまう気がして……この七年間の努力は間違いだったというのだろうか。どうしたらいいのか、本当に解らない。
アスベルの思考が千々に乱れる。頭が痛い。実は昨晩からこうだった。久しぶりの野宿で体調を崩してしまったか……それともまさか、その前に雨に降られた時に、風邪でもひいてしまったのだろうか。その可能性はありそうだったが、アスベルは表面上は不調を隠した。リチャードに気づかれれば、おそらく彼を守らせてもらえなくなる。それだけは嫌だった。こんな頭痛、大した事ではない。きっとそのうち治るだろう。今はグレルサイドに向かうのが何より大事だし、それに今はパスカルという正体不明の同行者がいるのだから、気を抜く事は出来ない。
パスカルの事を、アスベルはどう見なしたらいいのか判断を付けかねていた。彼女はかなり掴み所のない女性である。彼女と会話していると、時々いきなり話題が突飛な方向に脱線していくのだが、それが意図的に話題を逸らそうとしているものかどうか、アスベルにはまだ解らない。また彼女自身の戦い方も随分変わっていて、実力を量りかねている所だ。
アスベルとて正直、人を疑うのはいい気分がしない。しかしこうも立て続けに色々な出来事が起こると、もう何があっても不思議でないような気がするのだ。
「アスベルって、あんま喋んないね。ひょっとして、お喋りは嫌い?」
「そういう訳じゃないが……」
アスベルがパスカルとの会話に消極的なのは、決して喋るのが嫌いな訳でも、パスカルの事が嫌いだからでもない。彼女をまだ疑ってはいるが、今の所見えている彼女の人間性には戸惑いつつも好感を抱いている。しかし……。
「アスベルは、この遺跡があまりに珍しいから、つい気を取られていたんだろう。僕も、この遺跡には興味があるしね。アンマルチア族の造った遺跡か……一体、いつ頃出来たものなのだろう? パスカルさん、どうかな」
「まあ、ざっと見た感じ……最低でも五百年か、それ以上昔のものじゃないかなあ」
「パスカルさんは、こういう遺跡を前にも見た事があるのかい?」
「うん。幾つかね」
……そう。リチャードのようにこうして巧みに話題をすり替えて、なおかつ自然に彼女から情報を引き出していければいいのだが、アスベルはこういう事が不得手だった。パスカルと話していると、ついついうっかりして口が滑りそうになるのだ。
そんなアスベルに対して、リチャードは無理はしなくていいと視線で告げてくる。今のアスベルは彼のその好意を受け入れ、同時に己の不甲斐なさを責めるより他になかった。
パスカルによれば、この地下遺跡と地上を繋ぐ出入り口は三つある。一つはアスベル達が通ってきた北出入口、もう一つはこれからアスベル達が目指す南出入口。それに加えて、ウォールブリッジのど真ん中に通じる出入口まであるのだという。間違えて一番最後の出入口に入ってしまったら目も当てられない。
石に乗って更に地下へと潜り、少し進むと広い足場に出た。そこには奇妙な大型の装置があったが、パスカルのお目当てはそれの様だった。
「あった〜、これこれ!」
「これは……何なんだ、一体?」
「昔の人が残した、幻みたいなものを映す装置だよ。そうだ、二人もついでに見ていきなよ。多分、すぐに出ると思うから」
パスカルは勝手知ったるといった様子で、板のようなものに浮かんだ様々な色の図形を、指でささっとなぞっていった。端で見ているアスベルには、彼女が一体何をどうしているのか全く理解出来ない。しかし装置が動いているのは確からしく、浮遊していた石の塊がぱっと放射状に開いた。
その時、パスカルの腹の虫が盛大に鳴った。しかし当の本人は、何の事かと言わんばかりに装置を操作し続けている。
「えーと……パスカル?」
「うん? 何、アスベル」
「腹減ったのか?」
「えー、そう?」
「いや、今腹の虫が鳴ってたぞ」
「そう? 全然気づかなかった。そう言われてみれば、そろそろお昼かな? ちょっと待ってね〜……えーと、これをこうして……」
……操作に没頭するあまり、アスベル達の話など半分くらいしか聞こえてなさそうだった。
アスベルはそんなに空腹感を感じなかったが、リチャードがパスカルに同意しているところを見ると、自分が食欲がないだけらしい。ここに来るまで食料を調達する機会は全くなかったが、グレルサイドに着くまで、あとどのくらいの時間がかかるのだろうか。
「……よし、えいっと」
パスカルはそう言って装置から少し離れた。装置の中央部から青い光が筒状に溢れたが、その中心で、何やらもやもやした絵のようなものが像を結ぶ。その幻がはっきりとした形になった瞬間、それを見上げていたアスベルとリチャードは同時に叫んだ。

ソフィ。

装置の上に現れた幻は、二人が友情の誓いを立てた少女にあまりにも似ていた。
七年前と何一つ変わりない姿で、まるであの頃の彼女がそこに立っているかのように。

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