続・眞魔国の男は秘密がいっぱい(8)
「…結構な味でした」
ディナーをデザートで締めて、アニシナは口元をナプキンで拭いた。
グウェンダルはそんな彼女を真向かいで見つめながら、この女性もいずれは結婚するのだ、と思った。
アニシナはグウェンダルの視線に気づくと、席を立って、テラスに出た。上り詰めつつある満月を見ながら、今夜のグウェンダルの不審さについて考えた。
今夜の彼は、かなりおかしい。普段とはあまりに違いすぎている。

…やはり、陛下と離れているせいでしょうか?

そう考えると、アニシナは猛烈に腹が立ってきた。
「アニシナ」
「何です…か…」
振り返ったアニシナの目の前には、一輪の紅いバラが。
「…」
彼女はそれを無言で受け取った。
…彼女の胸の中で、もやもやしたものが大きくなってくる。
「それから、お前にこれを…」
と、グウェンダルがプレゼントの箱を差し出そうとした時。









ついに、アニシナが切れた。










「いい加減にしなさい!!」

アニシナは声を張り上げた。
肩で息をしながら、グウェンダルをきっと睨み付ける。
「貴方ときたら、さっきから私の心をいちいちかき乱してっ…一体、何を企んでいるのですか!?」
「は…? い、いや、私は何も企んでなどいない」
「嘘おっしゃい!」
グウェンダルは唖然としていた。
「! さては貴方…私たちの作戦に気づいたのですね。それで、私に揺さぶりをかけてきたのでしょう!」
「た、企み? 何の事だ?」
「とぼけても無駄です!」
アニシナはびしっとグウェンダルを指さした。そして、不意にニヤリと口元を歪めた。かなりあくどい笑みだ。
「まあ…今更気づいたところで、貴方にはどうしようもありませんがね。今頃は、ウェラー卿が陛下を籠絡している筈ですからね」
「何!?」
「ふふん。泣こうがわめこうが、もう手遅れです。貴方が今から急いで血盟城に戻ったところで、到着は明日の朝になるでしょう。それまでには、陛下はウェラー卿に寝取られてしまっていますよ」
「…」
「残念でしたね……おは、おはははははっ!」
絶句しているグウェンダルを見て、アニシナは勝ち誇ったような笑い声を立てた。
…が。

「…アニシナ…お前、本当にそれでいいのか?」
「は…?」

アニシナは笑い声を止めた。
「…どういう意味ですか」
「…コンラートに浮気されても構わないのか? 二股を公認するのか?」
「…ハァ? 一体、貴方は何を言っているのですか」
アニシナは首を傾げた。
「コンラートが陛下とデキることに、問題があるとでも?」
問題だらけだと思うが…とりあえず挙げるなら、『お前を裏切る事になる』という問題点があるぞ」
「私を、裏切る? 何故です?」
「その…お前とコンラートは特別な…つまり、恋愛関係にあるのだろう?」
…恋愛関係?
アニシナの脳裏に、コンラッドが書いたコンユ小説の一節が浮かんだ。

『お帰りユーリ。ご飯にする? お風呂にする? それとも俺?』
『ご飯にして、その次は風呂。それから、ゆっくり…しよっ。ねっvv』



…あのやり取りを、私とコンラートがすると?


「っ…怖気がするような事を!!!」
アニシナの全身に鳥肌が立った。
「コンラートと私が恋愛!? 冗談にも程があります。あんな男と付き合うくらいなら、貴方と結婚した方がましです!」
「…」
それは誉めているのだろうか、それともけなしているのだろうか。
だが、とにかくグウェンダルには解った事がある。
「つまり、お前とコンラートは何でもないのか?」
「当然でしょう。あの男はユーリ陛下にメロメロドキュンで、ひがな一日陛下の側に理由をつけて侍っては、陛下の唇やケツばかり見ているのですよ。どうして私が、そんな男と付き合う事になるのです?」
「それは……」
「…貴方、何か勘違いしているのでは?」
「そうか…そうかもしれないな。確かに、私の勘違いだったかもしれない…心当たりがある」
グウェンダルは安堵し、椅子につこうとした。
が、不意にアニシナが声を上げた。
「何処へ行こうというのですか。今更、血盟城へ戻った所で無駄ですよ」
「! そ、そうだった。ユーリに連絡を取らなくてはいかん!」
何だか良く解らないが、アニシナの話によると今夜、コンラッドはユーリを襲う気らしい。
それを知った以上、放ってはおけない。ポケットの何処かに入れておいた通信機を探そうとしたグウェンダルだったが、アニシナにむんずと腕を掴まれた。
「貴方という人は…全く、往生際の悪い人ですね! 貴方が陛下を想うなど、身分違いも甚だしいですよ!」
「…何?」
グウェンダルは己の耳を疑った。
「…アニシナ…私はユーリに恋などしていないぞ?」
「…?」
アニシナがぴくりと片眉を持ち上げた。
「でも、貴方は…陛下と親密そうにしていたではありませんか」
「ああ、あれか。あれは、あいつと相談事があっただけだ」
「……ほう。なるほど、そういう事だったのですか、そうですか」
アニシナはすっかり納得して、うんうん頷いた。
「つまり、貴方は陛下に恋をしている訳ではないのですね?」
「ああ」
「そうですか。それが解って、すっきりしました」
アニシナは爽快な表情になった。
だが、気分が晴れた途端、急激な疲労と眠気が彼女に襲いかかってきた。
「では、私はこれで」
「ちょ、ちょっと待て。私にはまだ用が…」
しかし、アニシナは聞いていない。彼女は豪快にあくびをすると、こう言った。
「私はこのところ徹夜で寝不足なのですよ…そろそろ失礼して、今夜は早めに休みます。では」
有無も言わせない勢いでそう言うと、アニシナは一直線にドアまで歩いていって、ドアをバタンと閉めた。
肝心の…肝心の告白が残っていたのにっ…!

…残されたグウェンダルはがっくりときて、床に座り込んだ。
そして、大きく溜息をついたのだった…。




ギーゼラは徹夜でイベント準備への作業をする準備を整えた。
夕食後に入浴し、それから厨房から眠気覚まし用に茶を調達する。
全ての支度を調えると、気合いを入れてイベント宣伝チラシのイラストを描き始めた。
ようやく、眞魔国で初めてのイベント開催にこぎ着けたのだ。初の試みだけあって、やはり、申し込みは少ない。最初はそんなものだろう。だが、いつか、眞魔国中の本屋に同人誌が置かれるようにしてみせる。
残念ながら、このイベントにはギーゼラやアニシナは参加出来ない。イベントの準備で精一杯で、本の販売までは出来そうにないのだ。だがその代わり、コンラッド&ダカスコスを売り子として送り込む事になっている。ダカスコスは『割の良いバイトがある』という胡散臭い文句で釣ったのだが、仕事の内容までは知らない筈だ。

…そうだわ。ダカスコスにアシスタントのアルバイトをさせる手があるわね…。

そんな事を考えていると、ドアがノックされた。
…こんな遅くに、一体誰だろう? ギーゼラは不審に思いながらドアを開けると、そこにはユーリがいた。
「まあ、陛下。一体どうなされたんですか?」
「うん…こんな時間にごめん。でも、ギーゼラさんとこしか、相談するあてがなくて…」
よく見ると、ユーリは寝間着姿だった。しかも裸足である。髪はかなり乱れていたし、しかも寝間着のボタンが一つ飛んでいる。
明らかに不審だった。
「とにかく、中に入って下さい」
ギーゼラはユーリを中に入れた。椅子をすすめると、茶を出した。眠気覚まし用のものだが、他には何もない。
ユーリは沈んだ表情をしている。彼の身に何か起こったのは間違いなかった。
ギーゼラは自分の肩掛けを出してきて、ユーリにかけてやり、彼の向かいに椅子を持ってきて座った。
一体、どうしてユーリがこんな所にいるのだろう。今夜のユーリは、コンラッドによって籠絡される事になっている筈なのに…。
…。
まさか。
「陛下…何があったのです?」
「…その…今日、早めに寝ようと思ったんだ。そしたら、コンラッドが部屋に来たんだ」
「…」
「それで…あいつ…おれの事が好きだ、って言ったんだよ」
「…」
あまり驚かないギーゼラを見て、ユーリは首を傾げる。
「ギーゼラさん…知ってたの? コンラッドの気持ち…」
「はい。実は…ウェラー卿が私の部屋に出入りしていたのは、例の啓蒙活動の手伝い以外にも理由があるのです」
ギーゼラは躊躇いがちに言った。
「私は閣下の恋愛の悩みについて、相談を受けていました」
「…」
「それで、陛下。ウェラー卿はどうなされたのですか?」
ユーリの顔が紅潮した。
「おれ…コンラッドが突然そんな事言うもんだから、すっかり混乱してた。そしたら…いきなりこう、ギュッってされて…」
ユーリは口ごもり、手に持ったカップの水面を見つめていた。
どうやら、かなり言いにくい事をされた様である。
「……それで…顔にキスされた。おでことか、ほっぺたとか…色々。何もかも分かんなくなっちゃって、思わずコンラッドを突き飛ばして、部屋から出てきちゃったんだ……」
「それで、ここにいらした…と?」
ユーリは頷いた。
ギーゼラは内心で思った……『あのロクデナシのヘタレ野郎!!』と。
強引に関係をつけなかっただけマシかもしれないが、だからって、告白してから間髪入れずにハグしてチュー、はないだろう。ただでさえ、ユーリはうぶなのに。
コンラッドの事だ。きっと今頃、ユーリに逃げられたのがショックで落ち込んでいるに違いない。
…落ち込むよりも先に、追いかけて来いっつーの。
「何て言うか、どうしたらいいか分からなかったんだ。コンラッドにそんな風に想われてるなんて、想像もしてなくて……」
「…ショックでしたか?」
「ううん。そんな事ないよ。嫌じゃ…ない、けど…何て言ったらいいんだろう。おれはコンラッドの事、そういう風に見てなかったから…その……」
「陛下…とりあえずは落ち着いて下さい。突然の事で、まだ、混乱されておられます」
「うん…そうだね」
ユーリはお茶を一口飲んだ。そして溜息を漏らした。
ギーゼラは自分の見込みが外れていた事を知った。
ユーリはコンラッドに気があると思っていたのだが、どうやら、それは違うらしい。いや、それどころかこの様子だと、グウェンダルにも気がないのではないか。
「…ギーゼラさん、おれ、どうしたらいい? あいつに何て言ったらいいのかな…」
彼女は内心、頭を抱えたかった。
ノンケのユーリを、どうにかしてコンラッドとくっつけなくてはいけない。
だが、同性同士のカップルのキューピッド役なんて、ギーゼラには経験がない。
さて…どうしたら良いものか。
いっそのこと、ウェラー卿がきちんと籠絡してくれれば、こんなややこしい事態にはなかったのに。
「…陛下は、ウェラー卿の事をどうお思いですか?」
「ただの友達…っていうか、友達以上だけど…恋人とか、そんな風に考えた事はない。でも、コンラッドは…特別だよ。おれにとっては」
随分と曖昧な事を…ギーゼラはそう思ったが、口には出さない。初々しいユーリは、見ていて可愛いと思うからだ。
「では、閣下の事をお嫌いではないのですよね?」
「うん」
「でも、恋人にしたいとはお思いでない、と?」
「したくないって言うと少しキツい言い方になるけど…強いて言うなら『する気がない』かな…」
ユーリは面を上げた。
「ギーゼラさん、コンラッドの奴から相談受けてたんだろ? おれの事、何て言ってた?」
…コンラッドがユーリの事を何と言っていたか?

『雨の日って鬱になるよ』
『あら、どうして?』
『だって、早朝ランニングが出来ないだろう? 俺にとっては、ユーリのかわゆいおシリをじっくり眺めて堪能出来る、至福の時間なのに』

『…ウェラー卿。陛下って、どの位の頻度で、お独りでされているのかしら?』
『独りでする、って…何を?』
『あら、決まってるじゃない。イケナイ事よ』
『ああ、それか…さあ、 ユーリがそんな事をしているのは、見た事ないからな』
『あら、陛下大好きっ子の貴方も知らないの?』
『うん。俺も気になってるから、時々、夜にユーリの部屋に押しかけているんだが、一度もそんな場面に遭遇した事がない』
『じゃあ、もしも陛下がお独りでイケナイ事をされている所に遭遇したら、貴方はどうするの?』
『勿論。俺はユーリの臣下だから、なすべき事は決まってるさ…ユーリを手伝って差し上げるよ』

「…あの、ギーゼラさん?」
突然黙りこくった彼女の目の前で、ユーリが数回手を振って呼びかける。
「どうしたんだ、ギーゼラさん」

…。
言えない。こんな事言えないわ…。

「あ、はい。えーとですね…初めはそのようなつもりではなかったが、いつの間にか、心惹かれてしまったそうです」
「…」
ユーリが真っ赤になった。

うーん、確かにこれはかわゆいわね…

「陛下の事を本当に大切だと思っているので、自分の気持ちを打ち明ける気はないが、最近、日増しに陛下が愛おしくなってきて、自分の気持ちを隠しておくのが辛くなってきた…とも」
「そっか…そんなに悩んでたんだ、あいつ。おれ、全然気づかなかったよ」
「陛下のせいではありませんよ」
というより、気づかなくて正解だ。ギーゼラはそう思った。
何故、正解なのかというと…この間、コンラッドは彼女に、

『いやー、今日の夕食では、腸詰めを食べてるユーリを見て、ついついハァハァしてしまったよ。最近はユーリを見る度、ますますえっちな妄想をしちゃうんだよなあ…』

と、何の臆面もなくぬかしたのだ。
「…私は、ウェラー卿は陛下を大切にすると思いますよ」
正確には、『ウェラー卿が陛下を大事にするかどうかは分からないが、卿はおそらく、24時間陛下にベタ惚れできゅんきゅんしまくり、妄想が常に大暴走状態に違いない』なのだが。
「でも、陛下としては、閣下とお付き合いするのには…躊躇いがおありなのですよね?」
「うん」
ユーリは頷いた。
「そうですか。それなら…こういう方法があります」

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