グウェンダルが案内したのはテラスのある広い部屋だった。カーテンが開いたままの窓からは、昇ったばかりの月が覗いている。満月だった。
「この部屋…私の魔動装置が保管されていた筈ですが」
アニシナは部屋の中を見回したが、非常に綺麗に片付いている。しかも、花まで飾ってある。
「隣にある。火を使うから、窓がある部屋が必要だったんだ」
「なるほど」
部屋の中にある調度はテーブルと、そのすぐ側に設えられている調理台のみだった。テーブルのすぐ側で料理する、という趣向らしい。
大きな円形のテーブルには白いテーブルクロスがかかり、白い食器が整然と並んでいる。燭台が一台置かれており、蝋燭には灯りが灯っていた。
グウェンダルがアニシナのために椅子を引いた。彼女は無言でそれを受ける。彼が食前酒をすすめると、アニシナはそれを受けた。
何なんだ、今日のこの男は…そんなアニシナの視線を浴びつつ、グウェンダルは彼女の見ている前で調理を始めた。銅のフライパンを熱し始める。
「…」
正直、グウェンダルはかなり緊張していた。
まず、今の自分の格好が気になっていた。こんな格好は初めてで、戸惑ってしまう。
もっときちんとした服装の方が良いのではないかと思ったが、それはユーリに却下された。ユーリによると『私的な食事だし、普段とは違う自分を見せる事が重要なのだ』という。
だが…やり過ぎたのではないか、という危機感も持ってしまう。その証拠に、先程からアニシナが妙な目つきで自分を見ているのだ。そう、まるで何か異様なものでも見るような。
「…考えてみれば…」
不意に、アニシナが口を開いた。
「ん?」
「…貴方と、こうして二人で食事をした経験は、あまりありませんでしたね」
「そうだな…他の誰かと一緒、という場合なら、沢山あったが…お前にはお前の、私には私のするべき事があった。昔からそうだった」
「…」
「…お前は一人で何でもこなしてきた。そんなお前を見ながら、時々思った…一体、どこにそんな活力があるのだろうか、と」
グウェンダルは話をしながら、今夜の食材である野鳥の肉を切り分けていた。
「誰かに頼ろうか、とは、考えた事はなかったのか?」
「私は、自分一人では到底出来ないような事については、積極的に他人からの助力を受けていたつもりですが? 例えば、貴方から」
「私か?」
「ええ、まあ。色々と」
「…気づかなかったな。いや、実験台の事だけは別だが」
「私の実験台になる事は、貴方のライフワークでしょう」
「…そうだな…」
その頃。
ユーリは入浴を終えて部屋に戻ると、枕の下に隠したままの通信機を手にとった。
今頃、グウェンダルはアニシナに夕食を供している最中だろう。その間は、連絡を取らない事にしていた。目の前にアニシナがいる状態では、連絡の取りようがない。
「うーん…」
ユーリはベッドに横になって、想像した。
もしも、グウェンダルとアニシナが上手くいかなかったら、どうなるのだろう。やはりコンラッドとアニシナが結婚してしまうのだろうか?
もしもあの二人が結婚したら、アニシナがグウェンダルを『お義兄さま』などと呼ぶ事になる訳だ。
「あれ? っていうか…その場合はコンラッドが婿入りすんのかな? どうなんだろ…?」
そんな事を考えながら寝間着に着替えていると、外からドアが叩かれた。
「誰?」
「陛下、俺です」
「コンラッド?」
ユーリは驚いてベッドから跳ね起きた。パジャマのボタンを止めてから、ドアを開ける。
コンラッドが立っていた。
「ああ、お休みになる所だったんですか?」
「いいよ、入って」
「それでは、お言葉に甘えて」
コンラッドは中に入った。そしてユーリを観察した。
…予想と違って、ユーリには、つい先程まで泣いていたような様子は全く見られない。どういう事なのだろう。自分の知らないうちに芝居が上手になったのだろうか。それとも、これから泣く所だったのだろうか。
…そうか、明日グウェンダルが帰ってくるから、気持ちが明るくなっているんだな。
コンラッドは作戦を変更した。
「陛下…」
「陛下って呼ぶなよ、名付け親」
「そうでした、ユーリ。実は…大事な話があるんです」
「うん?」
都合の良い事に、ユーリは寝台に腰を下ろした。コンラッドがその隣に座る。この場の雰囲気を、ユーリを押し倒す方向に持って行く為に。
「どうしたんだよ、深刻な顔しちゃってさ」
ユーリは首を傾げた。その仕草が可愛くて、コンラッドはユーリを押し倒したくてたまらなくなった…が、何とか自分を抑える。いきなり襲いかかったら、ユーリにはただの変態だと思われてしまうだろう。
「…本当は、こんな事を打ち明けるつもりはなかったんです。一生、自分の胸の内に秘めておく覚悟でした」
「はあ…」
「でも、ここ2、3日の間に分かったんです。この気持ちを隠しておくことなど、やはり、出来ないと」
「…はあ…」
ユーリはただただ相槌をうつのみだった。コンラッドの真剣な表情や語り口だけでは、彼が何を言わんとしているのか、予想もつかない。
「ユーリ…俺の言いたい事が分かりますか?」
「…え、え、ええっ!?」
ユーリは驚いて声を上げた。コンラッドが何を言おうとしているのか、今、卒然と思い当たったのである。
「ほ、本気なの、コンラッド?」
「ええ…本気です。心の底から愛しているんです」
ユーリは口をぱくぱくさせた。
そんなユーリを見つめて、コンラッドが切なげに目を細める。しかし、心の中では『今だ! 今こそ押しまくるんだ俺!』と、自らにエールを送っていた。
「でも…おれ、グウェンダルが…」
「ユーリ」
コンラッドはユーリの言葉を遮って、肩を掴んだ。
「俺ならずっと側にいてあげる事が出来ます。グウェンダルと違って、寂しい思いなんかさせたりしません」
「でも、グウェンダルは仕事があるからで、別にいい加減な訳じゃ…」
「それでも、寂しい思いをさせる事には変わりはないでしょう?」
「…うん…確かに」
「身分が違うという事は良く解っているんです。それでも、俺の気持ちは止められない」
ここでもう一押しだ。コンラッドはそう思った。
「俺の一生をかけて、必ず幸せにします。約束します。だから、ユーリ……俺を、選んで下さい。どうか…」
「…」
ユーリは俯いた。
しばし、沈黙が流れる。
やがて…ユーリはゆっくりと、首を縦に振った。
「うん…分かった。いいよ」
「本当ですか?」
「うん、いいよ。結婚してもいい」
「!! ほ、本当に!?」
「うん」
コンラッドの心の中で勝利のファンファーレが鳴った。
今、確かにユーリは言った。結婚してもいいと。
ついにユーリをモノにしたのだ。これで、明日からはユーリとのラブラブメロドキュンvvな生活が始まる訳である。
いや、その前にこれからめくるめく婚前交渉の時間が待っている。何も知らないユーリに全てを教えて差し上げる、という、ウフフムフフな時間が。
「ユーリ…嬉しいです。とても嬉しいです。ああ、まるで夢みたいだ…」
「そんなに喜ぶなんて…よっぽど本気なんだな」
ユーリはくすりと笑った。
「でもさ…どっちがどっちの家に行くの? やっぱり、あんたが婿入りすんの?」
「ええ、まあ、そうなるでしょうね」
「そっか…」
ユーリは少し俯いた。
「おれ、ちょっと寂しいな。あんたがアニシナさんと結婚しちゃったら………」
「…はあ?」
コンラッドは間抜けな声を上げた。
「でも、あんたがそこまで本気なら仕方ないよな。グウェンダルは悲しむだろうけど……」
「ちょ、ちょっと待って下さいユーリ。どうしてアニシナの名前が出てくるんですか? っていうか、今、何て言いました? 俺とアニシナが結婚する?」
「うん。そうなんだろ?」
・・・。
コンラッドは顎が外れそうになる程驚いた。
アニシナと自分が結婚。結婚。けっこんけっこんけっこん………。
「は…吐き気が…」
コンラッドは思わず口元に手をやった。意外な反応にユーリが狼狽える。
「ど、どうしたんだよコンラッド。何、おれの所に、アニシナさんとの結婚の許可を貰いに来たんじゃないの?」
ダメ押しを喰らったような気がして、コンラッドは目眩がした。
気を取り直して、ユーリと向かい合う。
ユーリは明らかに何か誤解をしている。まずは、それを解かなくてはいけない。
「…ユーリ…俺はアニシナと結婚する気なんてないよ」
「えっ、それじゃ遊びだったのかよ!? 最低だな、あんた!」
「ち、違いますよ! 遊びも何も、俺と彼女はそんな関係じゃありません。一体どこをどうしたら、そんな風に勘違い出来るんですか?」
「え…」
ユーリが目を丸くした。
「だって…あんたとアニシナさんって、付き合ってるんだろ? おれはグウェンダルからそう聞いたよ?」
「グウェンが!? そんな…あのグウェンが、そんなデタラメを言うなんて…」
自分ならまだしも。
「でも、そう言ってたんだよ。あんた達が付き合ってる事を知って、あいつ、すっごく落ち込んでた」
「落ち込んでた…?」
コンラッドはその時ふと、先日の長兄との口論を思い出した。
「…あれ…?」
コンラッドが首を傾げる。
「何、なんか心当たりがあるのか?」
……『私が誰よりもあいつを側で支えてやっている。それに、あいつの事を誰よりも理解しているつもりだ』……
「…ひょっとして…あの時グウェンが言っていたのは、アニシナの事だったのかな…? え、それじゃあ、彼が好きなのは、アニシナなんですか?」
「うん」
ユーリは頷いた。
「なーんだ。それじゃ、グウェンダルが勘違いしてただけか」
「その様ですね…」
コンラッドは内心思った。やばい、と。
グウェンダルが本当に好きなのはユーリではない、アニシナなのだ。だが、そのグウェンダルは今夜、他ならぬアニシナによってぶなしめじを役立たずにされてしまう事になっている。
…まずい事になった。どうにかしようにも、アニシナに連絡を取る方法がない。
「あれ?」
ユーリが声を上げた。
「でもさ、そうすると…コンラッドの好きな人って、誰なんだ?」
「えっ…」
「いや、だって今あんた言ったじゃん。心の底から愛してる、って。一体、どこの誰を、心の底から愛しちゃってるんだ?」
「…」
コンラッドは無言でユーリの手を握った。
「?」
「…貴方、です」
「え?」
「俺が愛しているのは貴方なんです…ユーリ」
…え?
「えっ、え、えええええ!?」
ユーリは驚きのあまり、夜だというのに大きな声を上げてしまった。顔を真っ赤にして呆然とするユーリに、コンラッドは困ったように笑った。
「そんなに驚かなくても…大部分は伝わってなくても、ほんの少しくらいは、俺の気持ちは伝わってるもんだと思っていたんですが…」
「伝わってなかったよ。あの、その…マジで?」
コンラッドは頷いた。そしてユーリの両肩を、優しく抱いた。
頬を染めているユーリを、心から可愛いと思った。あまりにも可愛かったものだから、つい、コンラッドはユーリを抱き締めてしまった。
ただただ腕の中の温もりが愛おしくてたまらなくて、いつの間にかユーリの額に接吻していた。
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続・眞魔国の男は秘密がいっぱい(7)