続・眞魔国の男は秘密がいっぱい(6)
グウェンダルとアニシナがカーベルニコフに向かってから、三日目の朝がやってきた。

…もう許しません。絶対に許しません。
例えあの男が泣こうが叫ぼうか暴れようが、容赦は致しません!

そう、アニシナは心に決めた。
徹夜でようやく完成させた魔動装置のあちこちを点検する。拘束具が台にしっかり取り付けられている事を確認すると、必要な道具の数を確認し始める。
メス、鉗子、注射器、手袋などなど。
それと、耳栓と洗濯ばさみ。耳栓はグウェンダルが騒いだ時の為にアニシナが使うのだが、洗濯ばさみの方はアニシナ自身、自分でもどうして用意したのか解らなかった。
ここ数日、アニシナは激しい苛立ちを抱えて生活していたが、自分でもそれを自覚していた。そして、それがグウェンダルのせいだという事も分かっていた。
そう、グウェンダルがいけないのだ。十貴族の一員とはいえ単なる家臣に過ぎない身。それなのに、恐れ多くも魔王陛下に恋心を抱いた男だ。また同時に、弟の恋路を邪魔している兄でもある。
しかもグウェンダルときたら、こちらの気持ちをいちいちかき乱すのだ。
…昨日、ボートに乗った時もそうだった。
一体、グウェンダルが何を考えて自分をボート遊びに連れ出したのか、アニシナには解らない。だが、ボートに乗る時に手を差し伸べられたり、乗っている最中に髪に触られかけたりした時は、今まで体験した事のないような戸惑いを感じた。なので、つい反射的にグウェンダルの手を払いのけてしまったが、あれはグウェンダルがいけないのである。そう、グウェンダルがいけないのだ…。
……だが、そんな奇っ怪な感情とも、これでオサラバだ。
今夜、グウェンダルのぶなしめじは役立たずになるだろう。
「おはっ、おはははははは…!」
アニシナは高笑いした。だが、突然あくびがこみ上げてきた。
「…少し仮眠を取りましょうか…」
連日の徹夜で寝不足気味だが、今晩も徹夜になるだろう。
今晩、皆が寝静まった頃にグウェンダルをこの部屋に連れてきて、そして……
「…一夜明ければ、皆が『はっぴっぴっvv』でしょう」
ちなみに、この場合の『皆』とは、『グウェンダルを除く皆』という意味だ。
グウェンダルは今朝から色々と何かしているらしいが、アニシナの知った事ではない。まあ、せいぜい『男』でいられる最期の時間を楽しめば良いのだ…。
「おはっ、おははははははっ…!」



一方、朝から多忙な生活を送っている者が、グウェンダルとアニシナ以外にもいた。
ギーゼラである。
アニシナが不在なので、同人活動関係の諸事を独りで処理しなくてはならない。
ペーパーを書いた後で印刷し、それが済んだら次は自分の原稿にトーンを貼る。ベタ塗りと写植はコンラッドにやらせているのだが、彼はまだ、トーン貼りが出来るレベルではない。それが終わったら、次はコンラッドの原稿の編集だ。とにかく、しなくてはならない事が沢山ある。
「アシスタントでも雇おうかしら…」
そう呟きながら、ペーパーのイラストを描く。
アシスタントにするなら誰だろう? コンラッドは使えない。使えそうだと思っていたのだが、意外に手先が不器用だったし、彼は彼のコンユ小説があるし、しかも魔王陛下の護衛役なので、アシスタントには出来ない。
つくづくジュリアが羨ましい、と、ギーゼラは思った。
眞魔国の同人活動の先駆者だったスザナ・ジュリアは、ギーゼラにとってはまさに生涯の恩人である。彼女がギーゼラに全てを教えてくれたのだ。ヤオイだの百合だの攻め受けだのカップリングだの、そんな世界に、ジュリアはギーゼラを連れて行ったのだ。
そんなスザナ・ジュリアには、協力者がいた。アーダルベルトである。
よく、3人で原稿作業をしながら、カップリング談義に花を咲かせたものだ。あの頃はコンラッドとヨザックの関係について3人で妄想しては、「あれはヨザ×コンだ」「いやコン×ヨザだ」「リバーシブルだ」などと主張し合っていたものだが、コンラッドはそれを知らない。
「…コンラート閣下受けっていうのも、いいわね…」
ヨザコンとかグウェコンとか。そんな妄想を彼女が始めた時、ドアが叩かれた。
「はい?」
ギーゼラはペーパーをしまい込み、椅子から立ち上がった。
「ギーゼラさん、おれだけど」
「陛下? まあ、どうなされたんです?」
ギーゼラは驚きながらもドアを開けて、ユーリを招き入れた。
「ダカスコスに、ここにいるって聞いたんだけど…今、大丈夫? ちょっと話があるんだ」
「ええ、構いません。どうぞ、おかけになって下さい」
「ありがとう」
ユーリは椅子に座り、ギーゼラは机を挟んで向かいに腰を下ろした。
「何かご用でしたら、呼んでいただければ、私から参りましたのに…」
「いや、いいんだよ。プライベートな用件だし」
「と、いいますと?」
「うん…」
ユーリは少し逡巡して、口を開いた。
「あのさ、ギーゼラさんって、コンラッドと…その、何かあんの?」
「はい?」
ギーゼラには、質問の意味が良く解らなかった。小首を傾げてユーリを見据える。
「それは、どういう事ですか?」
「だからー…よく、コンラッドのやつ、ギーゼラさんの部屋に来てるって話じゃん?」
「ええ、確かに…」
「その…付き合ってんの?」

・・・。

「陛下…陛下は何か勘違いをされています」
ギーゼラは困ったように微笑んだ。
「私とウェラー卿は、そのような関係ではありません」
「そうなの?」
「はい。そういう噂が立っているとは、思いもしませんでしたが…」
「そっか、何だ。単なる噂なのか」
ユーリはほっと胸をなで下ろした。
「…じゃあ、コンラッドとはどういう関係なの?」
「実は…私とフォンカーベルニコフ卿は、ある啓蒙活動を行っているのです。ウェラー卿は、善意でそれを手伝って下さっているのですよ」
「啓蒙活動? 具体的に何やってんの?」
文学です」
「ふうん。文学か。それじゃあ、おれは手伝えそうにないなあ…文学の事なんて、おれ、全然分かんないから」
「そんな、陛下に活動を認めていただけるだけで光栄です」
「そう? うん、じゃあどんどんやっちゃっていいよ。頑張ってるんだもんな」
それから少し世間話をして、ユーリは部屋を出て行った。
…ギーゼラは椅子に座り、再びペーパーを描き始めた。
しばらくしてペーパーを描き終わり、次の作業に移った。
その間、かなり時間が経過した事だろう。
やがて日が暮れて、彼女がコンラッドの原稿を編集している最中、そのコンラッドがやって来た。
「ギーゼラ、編集上がったか?」
ギーゼラの向かいに腰を下ろす。
「ええ、今終わったわ。貴方の方は、何をしていたの?」
すると、コンラッドは満足げな笑みを浮かべて言った。
「今夜はユーリとウフフムフフvvな予定だから、それに備えて仮眠を取ってた♪」

ピシリ!

「思い上がっとるぞ、貴様!!」
ギーゼラの形相が一変した。机を叩き、眉を吊り上げてコンラッドを睨む。コンラッドは驚きのあまり身体が竦み、声も出せなかった。
「…いいか、そのどてっ腹のヘソの穴をかっぽじって、よーく聞け」
ギーゼラはコンラッドの回りを、コツコツと靴の音を立てて歩き回りながら、ドスの利いた声でこう言った。
「貴様のそのヘタレな脳みそは理解していないのだろうが、貴様の恋愛に私やフォンカーベルニコフ卿が手を貸してやる義理など、本当はないのだ。だが、私もフォンカーベルニコフ卿も実際はお前を援助している。それは何故だ? 言ってみろ」
「えーと…」
「質問にはすぐに答える!」
「は、はい、軍曹殿! 軍曹殿と毒女殿が、コンユを推奨しておられるからであります!」
…後にコンラッドは思ったのだが…はっきり言って、この時のギーゼラは、今までコンラッドが味わった事のないような恐怖を彼に与えていた。
「その通り…私たちはお前と陛下のカップリングを推奨している。お前の腕を見込んでな」
ギーゼラの声が一層冷えた。
「だが、実際はどうだ? 貴様と陛下の間に進展があったか? ん? どうだ、言ってみろ」
「…いいえ、ありません」
「その通り。進展など全くない。貴様と陛下の関係はいつまで経っても『魔王陛下とその護衛』のままだ。その結果、どういう事になったか…お前は分かっているのか?」
「と、いいますと…?」
「城内で、貴様と私の恋愛関係が噂されているのだ。これを貴様はどう思う、ウェラー卿?」
「はい…きょ、狂気の沙汰であります」
率直な意見だった。言い過ぎかな、とも思ったが、『光栄であります』などと心にもない感想を述べれば、かえって半殺しにされる気がした。
ギーゼラと恋愛関係にあるなんて、冗談ではない。想像するだけで立ちくらみがする。
コンラッドがそれだけの不快感を覚えているのだ、ギーゼラだって同様だろう。
「…」
ギーゼラは何も言わず、コンラッドの隣で立ち止まった。そして、世にも恐ろしい威圧的な声色でこう訊いてきた。
「ウェラー卿、貴様のぶなしめじは役立たずなのか?」
「!? い、いいえ!」
あまりの質問に、コンラッドは自分の耳を疑った。
「では、健常なのか?」
「はい…健常であります」
「ならば…未だに陛下をオトせないでいるのは、貴様にやる気がないからなのか?」
「いいえ、自分は、やる気があります!」
「では…何故だ? 答えろ、ウェラー卿」
「っ…」
…コンラッドは冷や汗をかいていた。
「はい…その、チャンスがないからであります。しかし、今夜はチャンスだと思っております。必ずや陛下を籠絡致します!」
「…」
ギーゼラはコンラッドの髪をいきなり掴んで頭を持ち上げ、自分の方を向かせた。
ぞっと底冷えのするような、ギーゼラの目つき。彼女がどれだけ怒り狂っているのか、コンラッドには判りすぎるくらいに判った。
「いいか、ウェラー卿。私は今回の噂によって、随分と気分を害した」
「…」
「貴様への援助を止めるとは言わん。だが私の忍耐にも限界があるという事は、今、貴様のその妄想で腐れきった脳ミソにも叩き込まれただろう。違うか?」
「はい、叩き込まれました…」
最早、コンラッドは泣きそうだった。
「貴様は言ったな。『チャンスさえあれば、陛下をオトせる』と。『今夜がチャンスだ』とも言ったな」
「はい、言いました…」
「ならば、貴様が今夜するべき事を言ってみろ」
「はい。今夜遅くに魔王陛下のご寝所をお訪ねします」
「何のために?」
「はい。涙にむせぶ陛下をお慰めして、そして誘惑する為であります」
「…いいだろう」
ギーゼラはコンラッドの頭から手を放し、そして椅子に座って、原稿の編集作業を再開した。
呆然としているコンラッドだったが、やがて立ち上がった。こんな所でボーっとしていれば、また、ギーゼラに怒鳴られる。
自分にはする事があるのだ。今夜の歩哨に話をつけて、陛下の寝所の辺りには見回りに来ない様に言いつける。それから、ユーリの枕を『裏・眠り隊』にすり替える。着ていく服も選んで…勿論、下着も新品だ。
「そ…それじゃ、ギーゼラ」
「ええ」
コンラッドは去り際に思った。
…これで万が一ユーリをオトせなかったら、明日はギーゼラに自分の墓を掘らされる事になるだろう…と。



日が沈んだ頃。
誰かの声で、アニシナは目を覚ました。
「…アニシナ? 目が覚めたか?」
「ん…何ですか…」
自分の寝台から起き上がって、アニシナは目をこする。下ろされたままの赤い髪は、背中で流れていた。
アニシナは顔を上げた。そして一気に眠気が吹っ飛んだ。
彼女を起こしたのはグウェンダルだったのである。しかも、その格好と言ったら!
いつもの服装と違い、白いシャツ姿で、上着は着ていなかった。部屋でくつろぐ時のような服装だ。
襟が大きく開けっ放しになっていて、首や鎖骨が見えている。コンラッドの鎖骨チラリズムは珍しくないが、グウェンダルなら別だ。普段の彼は、そんな格好はしていない。それについてギーゼラは『閣下は、あのキッチリと着込まれている所がイイのよねっ』などと言っていたが…。
また、髪の結び方もいつもと違っていた。いつもは後ろにくくって流している髪を、肩にかけている。
何だ、そのだらしのない服装は…アニシナはそう怒鳴ろうとしたのだが、しかし、口から出たのは、
「…何の用ですか?」
という質問だけだった。
「寝ていたのか?」
「ちょっと…寝不足でしてね」
アニシナは立ち上がると、手櫛で髪を整えた。それから櫛を取って、髪を梳く。頭を結い上げながら、グウェンダルに尋ねた。
「それで、私に何の用なのです?」
「…お前を夕食に招待したいんだ」
「は?」
アニシナは髪を結ってから、グウェンダルの方を向いた。
「貴方が夕食を作る、というのですか?」
「ああ…どうだ?」
アニシナは怪訝そうな顔をした。
グウェンダルの料理はこれまでにも何度か食べた事があるか、割と美味い。だから断る理由はないのだが…しかし、今のグウェンダルの服装を見ていると、何だか奇妙な気持ちになる。
「…まあ、よろしいでしょう」
結局、アニシナは了承した。

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