続・眞魔国の男は秘密がいっぱい(5)
グウェンダルとアニシナが出かけてから、二日目の朝。
そんな朝早くから、コンラッドはユーリの寝室にやってきた。魔王陛下をお起こしするには、些か早い時刻である。
彼が来たのは、勿論、ユーリを起こす為ではない。
寝込みを襲う為…でもない。
いや、それもいいのだが…と言うか、むしろ喜んでそうしたいのだが、万が一そんな事をすれば、ギーゼラに殺される。
彼がこうして来たのは、ユーリの様子を探る為だ。
昨日のユーリは部屋に籠もりっぱなしだった。入浴の時に部屋を一度出ただけで、食事も部屋で摂ったらしい。
『グウェンダル閣下が不在なので、寂しがっているのかもしれないわ』。ギーゼラはそう指摘した。
だから、コンラッドは来たのだ。ユーリを慰める言葉をかける為に。
『俺なら、グウェンと違って、貴方を寂しがらせたりしません。一緒にいます』『コンラッド……』…と、こういう作戦だ。
「陛下、俺です」
ドアを叩いて中に入った。
魔王専用ベッドの上で、パジャマ姿のユーリが座り込んでいた。起き抜けのぼさぼさな髪が愛くるしい。
「ああ…コンラッド、おはよう。今日は随分来るの早いんだな」
「おはようございます、陛下」
「もう、陛下って呼ぶなよ。名付け親」

これだよ、これ!

コンラッドは心の中で悶えた。彼は、このやり取りがとにかく大好きで、ユーリに『陛下って呼ぶな』と言われる度に、きゅんきゅんしてしまう。
「それで、ユーリ。昨日は良く眠れましたか?」
「うん、まあね」
ユーリはベッドから降りて着替えようとしたが、コンラッドが彼の前でベッドに腰を下ろしたので、目を丸くした。
「…何?」
「ユーリ…目の下にクマが出来てる」
やばい、とユーリは思った。昨日、夜遅くまでグウェンダルと通信して作戦を立てていたので、本当の所、昨晩はあまり眠っていないのだ。
「き、昨日はちょっと夢見が悪くてさあ…」
「…ユーリ」
「?」
コンラッドが、何故か心配そうな顔つきになった。
「…俺なら、そんな思いはさせませんよ?」
「は…はあ。…うん、まあ、そうだね」
そりゃあ確かに、コンラッドが出てくる夢は、悪夢でも何でもないだろう。
しかし…。
「でも…場合によるんじゃない?」
「えっ…」
コンラッドが絶句した。
「だって、そうじゃん」
例えば、コンラッドが女装している最中の夢とか、コンラッドがアニシナに全身永久脱毛される夢とか。そういう夢は、明らかに『悪夢』と呼ぶに相応しいだろう。
「……そう…ですか?」
「うん」
「そんな事ありませんよ。…そんな風に見えるんですか?」
「うん。だってコンラッド、モテるんだろ?」
女性陣のアイドルが全身永久脱毛される夢など、見るだけで犯罪だ。ユーリはそう思ったのだが…
「そうですか…」
何故かコンラッドはショックを受けたような顔で、部屋から出て行った。

…どうしたんだろう?

ユーリは不思議に思いつつ、枕の下の通信機を取り出して、グウェンダルと連絡を取ってみた。
「…グウェンダル?」

(『………起きたのか?』)

グウェンダルの声が聞こえてきた。
「うん。ごめん、ひょっとして待ってた?」

(『いや…今、ちょうど薬を塗った所だった』)

「ああ…大丈夫?」

(『…まだ痛む』)

「そっか…」
グウェンダル達は、昨晩カーベルニコフに到着した。
グウェンダルによると、到着して早々、アニシナが何やら妙な笛を取り出したのだという。
彼女がそれを吹いた途端、デンシャムが飼っている鳥の一部が、何処からともなく羽ばたいてやってきたのだそうな。
一部とはいえ、鳥好きのデンシャムが飼っている鳥は相当な数に上る。それらの鳥が、何と、一斉にグウェンダルに襲いかかったのだ。
…到着早々、前途多難なグウェンダルであった。



「こんな事ってあるか…?」
コンラッドは机に突っ伏した。その机には、ギーゼラのペン入れ中の原稿が広がっていたので、彼女はコンラッドの頭を定規で引っぱたいて、顔を上げさせた。
「ウェラー卿、こんな所で寝ないでくれないかしら。それに、気落ちしている暇があるなら、手伝ってくれない?」
「手伝うって…」
「コピー本の化粧裁ちをして。それくらいなら出来るでしょう?」
ギーゼラは机を少し片付けた。それからコンラッドの前に、カッターマット、定規、カッター、それにコピー本の山を置いた。
コンラッドは仕方なくそれを受け取って、コピー本の一冊一冊のページの端に定規をあてて、はみ出した部分を切り落としていく。
「…俺って、そんなに浮気しそうに見えるのかな」
「さあ…でも、陛下にはそう見えるみたいね」
「ユーリにそんな風に思われていたなんて、正直、ものすごいショックなんだが…」
「…だから陛下は、グウェンダル閣下に心を動かしつつあるのかも。閣下は身持ちが堅そうだものね」
「…じゃあ、俺が『絶対浮気しない』って誓ったら、ユーリは俺の胸に飛び込んできてくれるかな?」
「それはどうかしらね。グウェンダル閣下のお話では、陛下はまだ貴方に気があるみたいだけど…でも、閣下が外出されてからの陛下の落ち込みようは、ただ事じゃないわ」
「…」
「ひょっとしたら陛下、閣下と離れてしまって初めて、閣下の方をお好きになっていた…って、気づいたのかも」
「そ、それは困る!」
コンラッドは危うく手元を狂わせる所だった。
「じゃあ、俺にどうしろって言うんだ」

そんな事も私に聞かなくちゃ解らないなんて、この男、どうしようもない××××野郎ね…。

ギーゼラは内心でコンラッドを罵った。…軍隊用語で。と言うか、軍曹用語で。
「そうね…とりあえず、陛下が寂しさに耐えきれなくなるまでは、普通に接したら?」
「でも、グウェンダルが帰ってくるのは明後日だぞ?」
「大丈夫よ。一日目から部屋に閉じこもる位だもの。今晩は何とか我慢出来ても、明日の夜にはきっと、陛下、お部屋でシクシク泣いておられるわ」
「なるほど。そこを俺が襲って…」
…コンラッドは冗談のつもりでそう言ったのだ。
だが、ギーゼラには通じなかった。彼女はどこからかハリセンを取り出し、それを用いてコンラッドの側頭部を殴り飛ばした。
殴られた勢いでコンラッドは床に倒れる。
そのこめかみにギーゼラはぐりぐりとハリセンの先端を押しつけた。
「ち・が・う・で・しょう? 『寂しさのあまり泣きじゃくっている陛下のお姿を見て、自分の気持ちを隠しておく事に耐えられなくなる』んでしょうが…!」
「痛い痛い痛いギーゼラ!」
「貴様はどうやら、一からその腐れきった根性を叩き直してやらんといかん様だな…」
…この後…コンラッドは、軍曹モードに移行したギーゼラに散々罵られたのだった。



その頃のアニシナは、というと。
実家に帰るなり、自分の部屋で、かなり怪しげな作業をしていた。と言っても彼女が怪しい事をするのはいつもの事なので、『ガガガガガ!』とか『ギーコギーコ』という物音がした所で、誰も驚きはしない。
「アニシナぁ、君がいきなり帰って来るなんて驚いたよぉ。フォンヴォルテール卿がいらっしゃるとは聞いていたけどぉ、まさか君まで帰って来るなんてぇ…」
「うるさいですよデンシャム。私は忙しいのです」
久しぶりに会う兄には目もくれず、アニシナは何やらテーブルを改造していた。
古いが、造りはしっかりしているテーブルだった。天板はかなり広く、ベッドよりも一回り大きいくらいの広さだ。
そのテーブルのあちこちに、アニシナは妙な金具を取り付けていた。
「今度は何を造ってるんだい?」
「…ちょっと、魔王陛下に対して恐れ多い事を考えている、身の程知らずの愚か者がおりましてね。これは、その者に私が制裁を加えてやる為の、拘束具です」
「こ、拘束具…?」
その単語の物騒な響きと、妹の鬼気迫る横顔に、デンシャムはおののいた。
「…そういえばアニシナぁ。どうして今回はまた、フォンヴォルテール卿がいらしたんだい? まさか君達、本当に今度こそ結婚するんじゃ…」
「ハァ!?」
アニシナがものすごい声で兄を怒鳴りつけた。手に持っていたスパナを床に叩き付け
「『結婚』と言ったのですか!? 私があんな不届き者と結婚する筈がないでしょう!! あの男は私の実験台下僕奴隷永遠の犠牲者です! いえ、勝手な事をしないだけ、鎖に繋いだ犬の方がまだマシですね!!」
「…」
…デンシャムはアニシナの気迫に押されて、すっかり何も言えなくなってしまった。
「これ以上下らない戯れ言を言うのでしたら、この部屋から出て行きなさい! さあさあさあ!」
使途不明の巨大ハンマーを振り上げ、アニシナはデンシャムを追い立てて、部屋から出て行かせた。
だが腹立たしい事に、兄と入れ違いにグウェンダルが訪ねてきたのだ。
彼のぶなしめじを役立たずにする為の魔動装置は、今、設置している真っ最中だ。設置は明日まで終わらないだろう。
だがアニシナは、今すぐグウェンダルを殴り倒したくなった。
グウェンダルは彼女が持っている巨大ハンマーに一瞬後じさったが、逃げはしなかった。
「アニシナ…散歩に行かないか」
「散歩、ですか?」
アニシナはハンマーを下ろした。
「…………いいでしょう」



「…それで、どうなったんだ? グウェンダル?」
ユーリは通信機越しに訪ねた。外はもう日が落ち、空に闇の帳が降りている。
「ちゃんとアニシナさんと一緒にボートに乗った?」

(『ああ…』)

「で、アニシナさんの髪の毛を耳にかけてあげたのか?」

(『…かけようとしたら、右手を思い切り叩かれた』)

「あちゃー…何か、かなり冷淡にあしらわれちゃってるなあ…」

(『やはり…こっちに来てから、あいつは苛立っている』)

「うん…そうみたいだな。アニシナさんがイライラしてるのって、コンラッドと離れたせいかなあ? でも、コンラッドの方は普通みたいだけどな…おれが聞いた所によると、ギーゼラさんの所に出入りしてるらしいんだよね」

(『な…何!? あの男、アニシナだけでなく、ギーゼラまで毒牙にかける気なのか?』)

「いや、そういうんじゃ……あー、うーん…どうだろ? 考えてみれば、何でコンラッドがギーゼラさんの所に出入りしてるんだろう……」
ユーリは考えた。
「…おれ、明日コンラッドに聞いてみるよ。今日は流石に遅いから、明日の午前中にあいつに問いただしてみる事にする。だからグウェンダル、あんたは明日の為に休みなよ」

(『…解った。頼んだぞ』)

戻る
次へ