「なあ、ヴォルフラム。お前んトコって車だろ? いいの?」
「問題ない、近くに待機させているからな」
「あ、そうですか…」
スポーツ用品店の女性店員がちらちらとヴォルフラムの美貌に関心を向けているが、本人は気づいているのかいないのかまるでそれを無視して、ユーリの側から離れない。
「あ、渋谷。あれ、結構いいんじゃない?」
ムラケンが指さしたのは、赤のフレンチスリーブのTシャツと、超のつく程フリフリなミニスカートを着たマネキンだ。
「どうって…おれにどう言えと?」
まさか着ろと言う訳ではあるまい…。
「うん、ああいうの着たチアガールがうちのチームにいてくれれば、士気が上がるだろうなって」
「なるほど」
ムラケンの案には一理あるかもしれない、と、ユーリは思った。他の同級生の男子と同じく、ユーリだって可愛い格好の女の子は好きだった。最も、ときめきを覚えるのは何故か年上かロリ系のどちらかだけなのだが。
「何だとユーリ! そんな、女の応援なんか無くとも、僕がいるだろう!? この間の試合は都合で行けなかったが、今度は必ず応援しに行くからな!」
もうヴォルフラムのこの手の台詞にも、学校で夫婦だの婚約者だのと冷やかされるのにも、ユーリは慣れてきていた。いつの間にこのわがままプーに好かれてしまったのか、それだけは不思議でならなかったが、(友人同士という意味で)付き合ってみると案外ヴォルフラムとは仲良くやっていけるような気がし始めていた。だからと言って、学校における噂を実際にその身で体現する気は毛頭ないが。
紐を購入した後、店を出てからユーリとヴォルフラムはムラケンと別れた。自分で帰ると言い張るユーリを、ヴォルフラムが強引に引きずるようにして連れて行く。
「帰り道で不逞の輩に襲われたらどうする」
「いや、見るからにおれってビンボー学生だし。不良に絡まれるくらいの事ならあるかもしんないけどさ」
「僕が言っているのは金銭目的ではなく、身体が目的の場合だ」
「か、カラダって……おれ、どう見ても男だけど」
「そんなの、誰にでも判る」
「なら、おれに襲いかかる変態なんか絶対いないって分かるだろ? お前ぐらい可愛いんならまだしも…」
横断歩道を渡り、ヴォルフラムが車を呼んだ場所へと向かう。しかしそこにはまだ例のメルセデスの姿がない。
「遅いな、何をやっているんだ。僕が少し近くを見てくる。が、ユーリ」
「何?」
ヴォルフラムが横目でじろりとこちらを睨んだので、ユーリはぎょくんと身をすくませた。
「僕のいない間に、他の女にうつつを抜かすなよ」
「商店街のど真ん中で、どうやって女の人にうつつを抜かせと…」
「いいな!」
入念にそう言い置いてから、ヴォルフラムが周辺を探しに行った。ユーリは愛用デジアナGショックの液晶を見て時刻を確かめた。4時35分。
それから、彼は何気なく自分の右方向に頭を向けた。
ある少女の姿が目に留まった。ショートカットの、ちょっと可愛い女の子だが、顔色が何だかすぐれない。病気かな? とユーリが思ったその瞬間、少女は前のめりになり、一旦体勢を立て直したもの、また前へふらっと倒れた。ユーリが駆け寄って抱き留めなければ、地面に頭をぶつけていた事だろう。
「だ、大丈夫、お嬢さんっ!?」
声をかけるが、少女からの返事はない。近くで見ると、びっくりするほど顔が青かった。どこからどう見ても急病人だ。
そこへヴォルフラムが戻ってきたが、ユーリが見知らぬ女性と密着(ヴォルフラムにはそう見えた)しているのを見て、かっと頭に血を昇らせた。
「ユーリっ! お前、この浮気者! 僕という者がいながら、そんな棒みたいな女と…!」
機関銃の如き速度で叱責の言葉を吐き始めたヴォルフラムだったが、ユーリはそれ所ではなかった。
「大変なんだよヴォルフ、この人、病人みたいなんだ!」
「病人…?」
ヴォルフラムの怒りがぴたと止まった。
「早く病院に連れて行かなきゃ、えーと110番110番!」
ユーリは慌てて自分の携帯電話を学ランのポケット取りだしたが、ヴォルフラムはその手に自分の手を置き、押しとどめた。
「落ち着けユーリ、110番は警察だ。今、ここまで車を回させる。そして僕の兄上の診療所に運ぼう。その方が早い。いいな?」
そう言うとヴォルフラムは自家用車を呼びつけた。その、てきぱきと落ち着いた動作についついユーリは感心してしまう。 車はすぐに来た。ユーリが何とか少女を抱えてそれに乗り込んだ後、ヴォルフラムの指示で運転手は近くの診療所へと車を向けた。
車で3分もかからない住宅地の一角に、ヴォルフラムの兄が経営する診療所はあった。
「ま、【マイド・イン・クリニック】…?」
意味不明なネーミングであるが、最も、その点においては隣接する建物、【女王様の着想】薬局も張り合えそうだ。
いやいやそれよりも今は少女の具合が気になる所。
ヴォルフラムが入り口のドアを開け、ユーリが少女を両手て抱えて後から中に入った。
「兄上!」
待合室は壁紙や床などが白系統で統一されており、壁にいくつかポスターが貼られていた。こざっぱりとした印象だが、それだけにあちらこちらに置かれたあみぐるみ達の存在が気になる。
「兄上、いらっしゃいますかっ!?」
ヴォルフラムが改めて大声で呼びかけると、診察室に繋がっていると思われるドアを開け、白衣姿の長身の男性が姿を見せた。ちなみに医者のお約束アイテム・聴診器は首から下げていない。
年齢は20代後半か、30代前半か。おそらく実年齢の割に老けて見える人物なのだろう。それは眉間の皺のせいなのだろうが、人によっては、その皺が悩ましく見えるかもしれない。ヴォルフラムが華奢な美少年なので兄も同様のタイプかとユーリは想像していたのだが、全く違う、ダンディーなタイプだ。ただし路線が異なるとはいえ、美形である事に間違いはなかった。
「どうした、ヴォルフラム」
「兄上、急病人なのです。診て頂けませんか」
ヴォルフラムの兄はユーリと、その腕に抱えられている少女に目をやった。
「病人というのは、その娘か?」
「はい。先程道端で突然倒れて…」
「どれ」
ヴォルフラムの兄はユーリの腕から少女を軽々と抱え上げた。その頃には情けなくも、ユーリの腕は痺れそうになっていた。
くるりと診察室の方を向くと、ヴォルフラムの兄は人を呼んだ。
「グレタ!」
「はーい」
名前を呼ばれて出てきたのは、縮れた赤毛の少女だった。まだ10歳くらいだろう。ひょっとして娘さん? とユーリは思った。
「どうしたのグウェンダル、患者さん?」
「そうだ、ベッドの用意を」
「はーい」
とてとてっと奥へ走っていくその少女に続き、ヴォルフラムの兄
ユーリが痺れた腕を軽く振りながら椅子に座ると、ヴォルフラムがその隣に腰を下ろした。
「意外だなあ、お前の兄貴っていう位だから、お前みたいな美少年系を想像してたのに」
「グウェンダル兄上と僕とは父親が違うからな。僕は母上似だが、兄上は父上似だ」
「えっ、そうなの? じゃ、異父兄弟ってやつ?」
「そうだ」
「ふーん…」
グウェンダルの父親も眉間に皺が寄っているのかどうか、気になる。
待合室があみぐるみで溢れてうっすらファンシーなのは…まさか、あのグウェンダルの趣味ではないだろう…。
「予定より早まったが、ちょうどいい機会だな」
いきなりそう言うと、ヴォルフラムは鼻でふふんと笑って足を組んだ。
「何が?」
「決まっているだろう、兄上にお前を紹介するんだ。近い内に母上にも紹介するからな」
「はあ…」
診察室から先程の少女が顔を出した。
「ヴォルフ、グウェンダルがね、診察終わったからこっち来てって」
「分かった。行くぞユーリ」
2人はドアをくぐって奥へと入った。
机が1つ、何だか良く解らない医療器械がいくつか、そしてベッドが2台。1台は使用していないが、もう1台には緑のカーテンがかかっている。
グウェンダルはそのカーテンの中から出てきた所だった。
「それで、ヴォルフラム、この娘は?」
「いえ、ユーリが道端で助けた女なので、僕は名前も何も…あっ、そうだ兄上、紹介します」
ヴォルフラムは後ろに経っていたユーリをぐいぐいと前方に押し出した。
「ユーリです。ユーリ、こちらが僕の兄上のグウェンダルだ」
「ど…どうも」
グウェンダルは微かに眉を動かしてユーリを見た。その凝視するような目つきにユーリは戸惑った。
「兄上、僕はこのユーリと婚約しました」
『なっ、何っ!?』
突然の爆弾発言。ユーリのみならず、グウェンダルまでもが喫驚し、2人の声はぴったりハモった。
「ちょ、ちょっと待てよヴォルフ!」
「ヴォルフラム、こいつは男だぞ」
学校内では何故か殆ど聞けなかった常識的なツッコミを入れてくれたグウェンダルに、ユーリはちょっとだけ感動した。
「なになに? ヴォルフ、婚約したの?」
ショックを受ける所か、キラキラッと目を輝かせているグレタ。
「そうだぞグレタ。ああ、ユーリ、こっちはグレタだ。今はこうして兄上の所に住んでいるが、将来は僕の養女になる予定だ」
「養女ぉ!?」
高校生でまだ結婚もしていないのに、将来パパになる事が決定済み、という事だ。ユーリの理解の域を超えている。
「つまり、お前は僕の婚約者なのだから、グレタはお前の娘ということに…」
「ちょい待てタンマ! そんな早計な…!」
グレタがユーリのズボンの裾を引っ張った。
「お兄ちゃん、グレタのおとーさまになるの?」
「え…」
罪のない円らな瞳でそう問われると、ユーリはつい首肯してしまいそうになる。
しかし、グレタの方は返事を待たずに、
「じゃあヴォルフと同じで、おとーさまって呼んじゃう!」
と決定し、ユーリに抱きついた。
この雰囲気は…こ……断れない…。
すっかり盛り上がっている弟とその養女(予定)に対し、グウェンダルは眉間を手で押さえている。
「ヴォルフラム…母上にはお話ししたのか?」
「いえ、母上にはまだ申し上げていません」
「そうか…」
「しかし、近日中にはユーリを紹介したいと思っています」
「…」
「あ、そうだグウェンダル…さん、あの人の具合は?」
「あの娘なら、おそらく過労だ。鎮静剤を与えて休ませている。家族に連絡を取らなくてはならんのだが…」
見ず知らずの、出会ったばかりの赤の他人の家族の連絡先など、知る筈もない。
「…意識が戻った時に訊く。それで構わんだろう」
「そうだな。…あ、これ、あの人の持ち物」
ユーリは腕にかけていた女持ちのバッグの存在に気づき、それをグウェンダルに渡した。それを無言で受け取ろうとしたグウェンダルだったが、外側のポケットからちらりと手帳のようなものが見えた。上部に書かれている題字は半分しか見えなかったが、それがどういう用途のものであるかは、一般常識だ。
「グウェンダル?」
グウェンダルはそれをすっと取り出した。
「…『母子健康手帳』?」
通称、『母子手帳』。貰い立てピチピチ、名前も住所も書かれていない全くの新品。
つまり……彼女は妊娠しているのだ。
翌日、ユーリは学校の帰りにグウェンダルの診療所へと立ち寄った。
明るく挨拶をしながら中に入ると、グレタが出てきた。
「あっ、ユーリ!」
「こんにちは、グレタ。グウェンダル…さんは?」
歳がかなり離れているだけに、どうもグウェンダルは呼び捨てにしづらかった。
「グウェンは奥だよ」
グレタに手を引かれ、ユーリは診察室へと入った。
グウェンダルは机に向かって熱心に両手を動かしている。竹製の棒、鮮やかな色の太い糸。
…編み物だ。
「な…何してんの?」
編み物である事は一目瞭然なのに、驚きのあまり、そんな質問をしてしまったユーリ。
「編み物だ」
「しゅ…趣味?」
「精神統一の為だ」
「は、はあ…って事はあっちの待合室にある、黄色いネコとか白いクマとかは…」
「黄色いネコ…?」
グウェンダルが編み針を動かす手を止めた。
「あの、受付に置いてあるやつだよ」
するとグウェンダルはギロッ! とユーリを睨むように見た。そして、小さい声で呟くように言った。
「…あれは、キリンちゃんだ」
「キリン? へえ…なるほど、キリンね……ええっ!?」
似てねぇ! しかもちゃん付け!? と叫びそうになるのをユーリは堪えた。本当の事とはいえ、あまりに失礼だ。
そして思った。……こんなやり取りを最近何処かでしたような気が、するような、しないような……と。
「今日は何の用だ」
「うん、えーっ…と、昨日の人、具合は?」
「まだ意識は戻っていない。念の為に訊くが、あの娘は倒れた時、頭を打ったような事は無かったのだな?」
「それはないよ。すんでの所でおれが抱えたから」
「そうか」
グウェンダルの愛想のなさに、ユーリは自分が嫌われているのではないかという懸念を抱いた。
「なあ、グウェンダル…さん」
「無理して『さん』付けにしなくても構わん」
「じゃあグウェンダル、ひょっとして…怒ってる? ヴォルフがおれと婚約したの何だのって言い出した事」
「…」
「誤解しないでほしいんだけど、おれとヴォルフはそういう仲じゃないよ。って言うか、いつから婚約なんて事になったのか、おれ自身もよく分かんないし…」
「怒っている訳ではない」
「そっか、なら良かった」
「母上にはまだお会いしていないと聞いたが」
「あんたとヴォルフの? うん、まだだよ」
「ならば、会うのはやめておけ」
「反対されるから?」
「その逆だ…情熱的だとか言って、賛成される可能性の方が高い」
具体的な想像でもしてしまったのか、グウェンダルのこめかみには僅かに汗。どうやら、ちょっと変わった母親を持っているらしい。
「おれとヴォルフはただの友達だよ。て言うか、おれ、友達によると、年上かロリ系にしかときめかないみたいだし」
「ロリってなーに? オトコー?」
グレタの邪気無い質問。同様の質問を、彼女の養父(予定)から何度もされた記憶がある。
「違う違う、おれの好みのタイプが、自分より年上か年下って事」
「じゃあ、ヴォルフは特別なんだ!」
「そ、そういう訳でも…」
返答に詰まってユーリは周囲を見回した。
「ぎゃーっ! もう4時!? ヤバイよ帰ってベンキョーしないと!」
明日は数学の確認テスト。追試で昼休み返上、という事態は回避したい。
「ユーリ、もう帰っちゃうの?」
「…うん…」
少し寂しそうに自分を見上げるグレタを見ていると、名残惜しくてたまらなくなった。
「また来るから」
「ほんと? じゃあ待ってる!」
たった1日で随分グレタに懐かれたし、また、自分もこの子を随分好きになったものだなあと思った。子はかすがいと言うが、こんな子供が望んでくれるなら、養父になるのも悪くないかもしれない。…いや、結婚(出来るのか!?)相手が男でなければの話だが。
「じゃあ、グウェンダル。あのお嬢さんの事、よろしくな」
「待て」
グウェンダルは編み物を辞め、待合室にずらっと飾られていたあみぐるみの中から1つを大事そうに両手で取って、ユーリに差し出した。
「何…?」
「持っていけ」
白いコブタちゃん…に見えるが、きっとこれはこぐまなのだろう。
「あ、ありがとう。可愛いこぐまちゃんだな」
「……それは、ねこちゃんだ」
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