何故うどんなのか…単に、すいていたからだ。
4人掛けのテーブルに座る3人の男。内訳は美形1人、好青年1人、男子高校生1人だ。
「…話を整理するとだ」
ユーリが水の入ったグラスを指で軽くつつく。
「コンラッドとギュンターは知り合いなんだよな」
「そう。昔の家庭教師と教え子の関係」
コンラッドがユーリの隣から答えた。ギュンターが先程から自分に対して何やら言いたげな視線を向けているのを彼はしっかり察知していたが、生憎、その理由が分からない。が、それは後で訊く事にした。
「そしてユーリとギュンターは同じ学校の生徒と教師で、俺とユーリは知り合い。そういう事になるね」
「そのようですね」
「にしても、何つーか、すごい偶然…」
「私もです。まさか野球がお好きな陛下が、コンラートと接点があるなどとは思いもよりませんでした」
何で敬語なんだギュンター、と、心の中でそれぞれツッコミを入れるユーリとコンラッド。
そのギュンターが突然椅子から立ち上がった。
「あ、何処行くの?」
「一時、失礼致します。家人に連絡を入れて参りますので」
そう言うと、ギュンターは入り口の所に据え付けられている公衆電話の元へと歩いて行った。すれ違った親子連れが全員、振り返って彼を見ていた。
その後ろ姿を見ていたコンラッドだったが視線をユーリに戻した。
「ギュンターは教え方が上手だろう?」
「うん。赴任早々なのにすっごい人気」
一説によると、ファンクラブも既にあるとかないとか。何を食べたらあんな美形になるのだろうか、と、不思議に思わずにはいられない。
「そう言えば、初めて会った時、あんた『コンラッド』って呼べっておれに言ったよな。あれ、何で?」
「その方が呼びやすいかと思って」
「ああ、なるほど」
ユーリは納得して顎に手をついた。…腹が減った。
話が途絶えた事に気づいて隣に目をくれると、コンラッドは椅子の背もたれによりかかって座っている。少し俯き加減なその横顔から、午前中のレースの事をユーリは思い出し、思いつくままに質問をした。
「…コンラッドってさ、走るの嫌いなの?」
コンラッドが顔を上げてユーリを見た。
「あの、レースに出るのが嫌なのかってことなんだけど…」
コンラッドの表情は凍り付いたようだった。薄く開いた唇からは今にも何か言葉が出てきそうだったが、結局何も言わず、噤まれて黙ったままだった。
自分でも何故そんな事を尋ねてしまったのか、ユーリには解らなかった。
「…ごめん、変な事言った?」
「いや…」
「ギュンター、まだかな。早くしないと、うどん来ちゃうよ」
話題と共に目線を変えたユーリを、コンラッドが笑みの消えた面持ちで見つめていた。
ユーリを途中で車から下ろしてから、コンラッドはギュンターも送った。
「何処まで送ろうか、ギュンター」
「駅前で下ろして下さい」
助手席のギュンターは答えた。楽器店に赴いて、楽譜の注文に行かなくてはならないからだ。
少し開いた窓から風が入り、肩に流れている長い髪が僅かにそよいだ。
「…コンラート」
何か訊かれるだろうな、とコンラッドは最初から解っていた。今日のレース結果が結果だ。ギュンターが訝るような要素があっても、無理はない。
「…今日の事なのですが、率直に言うと、安心致しました」
「…えっ?」
コンラッドの反応が少し遅れた。予想を超えた台詞を聞いた気がするが、聞き間違いか何かだろうか。
「以前に比べて元気そうでしたので」
「…」
コンラッドの横顔が、止まった。思考だけが動いていた。
この所、半年前の事を思い出しても思考が止まらなくなっていた事に気づいた。特に昨日はそうだった。レースの事ばかり考えていたが、そこから遡上して半年前の事故を嫌が応にも思い出すような事はなかった。以前は何をするにつけてもその事が思い出されるばかりだったのに…。
「コンラート?」
ユーリに会ったから?
そんなばかな、まだ知り合ったばかりだぞ。
けれども、俺はユーリを気に入っている
「コンラートっ?」
ギュンターの呼びかけにようやくコンラッドは気づいた。
「あっ、何です、ギュンター?」
「いえ、何も…呼んでも返事がありませんでしたから」
「少しぼーっとしていた。すまない。…ところでギュンター。ユーリから聞いたんだが、授業中に鼻血を出したり号泣したりしてるって?」
コンラッドは故意に話題を変えた。
「な、何故その事を!? いえ、その前に、陛下が私の噂をなさっていたのですか!?」
ギュンターが赤面して狼狽え始めた。こんなギュンターを、コンラッドは初めて見た。
それにしても、先程からユーリを『陛下』と呼んでいるのは何故なのだろうか。気になる。
「それでコンラッド。陛下は私の事を何と仰っていましたか?」
しかも生徒に敬語だ。その点も気になる。
「女子生徒に人気がある、とか」
「そのような事をお気になされていらっしゃるとは…今の私の心は陛下ただお1人のもの。それ以外の女子生徒などにもてても、嬉しくも何ともないと言うのに…」
「…ギュンター…?」
何だかギュンターがおかしい。今まで知っていた彼とは少々違うような気が。…まあ、以前から、酔えばかなりおかしくなる男ではあったが。
「それで、他には何と仰っていましたか?」
「ん? 歌が上手だとか、すごい美形だとか…」
「ああ…陛下にそのようなお褒めの言葉を頂くなど、何という光栄。しかし陛下のあの可憐なお声や可愛らしい挙止動作に比べれば、私など到底つま先にも及びません」
ギュンターから陛下ラブオーラが漂っている。余程ユーリが気に入ったと見えて、ついコンラッドは笑みを零した。
「はっ…そう言えばコンラート。そう言う貴方は陛下と何もないのですか!?」
「俺が、ユーリと?」
どういう意味を包含した質問なのかすぐに察したコンラッドは、思わず笑ってしまった。
「ある筈ないだろう。ユーリは、弟みたいなものさ」
可愛いかと聞かれればそうかもしれないが、ギュンターのような感情までは持っていない筈だ。そうは言っても安心出来ないのか、ギュンターは疑わしげな視線を脇から向けてくる。
「しかし、貴方はとにかく女性にもてますからねえ…」
「だから、ユーリは男だって」
どうやらギュンターは『愛に性別は無関係』論者だったらしい。そんな持論を持っているのは初耳だったが、だからと言って、自分までその同類項に入れないで貰いたかった。
GW明け早々、ユーリは予鈴と同時に教室へ到着した。『予』鈴という名称の割には、それが鳴る前に教室に入っていないと、校門でちくちく教師に小言を言われる。
息を整えながらロッカー室に入り、辞書の類を取り出していると、ムラケンが寄ってきて
「24分、ぎりぎりセーフだね、渋谷」
と笑って言った。
「あー…ムラケン、久しぶり」
「じゃじゃじゃじゃーん、お土産〜」
何故か『運命』のイントロと共に取り出されたのは…色鮮やかな紐で装飾された革帯に吊した、金属製のベル。手のひらに乗る程度の大きさだ。
「って…村田。お前、確かバチカンに行ったんじゃなかったっけ?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ何で『Switzerland』って書いてあるんだよ? バチカン市国ってイタリアだろ?」
「そうだねぇ。あ、渋谷、転校生が来たって話、聞いたかい?」
「はぁ? こんな時期に?」
さりげにごまかされたのにも気づかないユーリだった。
「うん。で、その転校生くんが渋谷の事を…」
今にも外れそうな程、ロッカー室のドアが荒々しく開いた。2人は音のした方向に何気なく顔を上げ…ユーリだけが凍り付いた。
「ここにいたのかユーリ! 遅いぞ、僕は散々待ったんだからな!」
「こっ…この間のウィーン少年合唱団OB!?」
しかもどうして同じ制服を着ているのか、どうしてこんな所に彼がいるのか、あまり考えたくないが、考えてしまう。
「失礼な、僕の仕事はモデルだ」
相変わらず態度の大きい美少年である。
「さあ教室に入れユーリ! 鐘が鳴るぞ!」
美少年はユーリの腕を掴むやいなや、華奢な見た目を裏切る力で彼を教室まで引きずっていったのだった。
その美少年…ヴォルフラムの転校で、ユーリのクラスには休み時間毎に学校中から女子が殺到した。ムラケンの話によると、相当売れている若手のモデルらしい。そう言われると納得がいくが、こんな時期にこんな普通の高校に転校してきた理由が不明だった。
しかしヴォルフラム本人は何故かユーリを気に入ったらしく、彼にばかり構い、他の者には目もくれない。ユーリが芸術科目で音楽を選択していると知って、ヴォルフラムは「どうして美術を選ばなかった!?」と激しくユーリを譴責した。
音楽の授業終了後、教室に戻る途中でユーリはクラスメイトの女子達に引き留められた。
「ねえねえ渋谷君! ヴォルフラム君と仲いいよね」
「う、うん…」
「彼女とかいるのかな?」
「さあ…」
第3者には仲が良いように見えるらしいが、実際、ヴォルフラムの事はあまり知らない。確実に言い切れるのはただ1つ、わがままプーだ、という事だ。
「いないんじゃないの?」
安易に憶測で返事をしてしまった事をユーリが後悔したのは、約1週間後だった。
それまでの間、日が経つごとに、学校中の女子生徒の中で落ち込んでいる者がどんどん増えていった。
ある日ユーリが登校すると、隣の席の女子の周りにずらっと他の女子連中が集まっていた。他に生徒は誰も来ていない。
彼女達はユーリが来た事に気づくと、一斉にギロッ! と彼を睨みつけた。
「どっ…どうしたんデスカ?」
情けなくもその勢いに怯み、丁寧語で質問してしまうユーリ。女は集団で詰め寄るからズルイと思う。
「渋谷君のせいよ!」
女子の1人が尋常ならざる剣幕で言った。
「…何が?」
おそるおそる突っ込んで尋ねてみる。
「解んないの!? 渋谷君のせいで、ヴォルフラム君にあたし達が近づけないじゃない!」
「おっ、おれぇ!?」
「そうよ! あたしの知り合い、すっごく可愛いのに、冷たく振られちゃったのよ!? その時何て言われたと思う!? 『僕にはユーリがいるから、他の女になんか興味ない』て言われたのよ!!」
「女に興味ないって…ヴォルフって、ひょっとしてナルシー?」
「何言ってんのよ、違うでしょ! 渋谷君が彼にべったりしてるせいじゃない!」
「え…ええっ!?」
女子連中の怒声を聞きつけたのか、何事かと他クラスからギャラリーが集まってくる。
そこへ渦中の人・ヴォルフラムがやって来た。ユーリが女子と話をしている光景を視認するなり、大股でユーリに歩み寄って来た。
「ユーリ! そんな女共と何をしている!」
朝っぱらそう怒鳴りつけながら、ヴォルフラムはユーリに詰め寄る際に、女子をやや乱暴に押し退けたのだ。それがユーリの怒りに触れた。
「おい、ヴォルフラム! 何だよ、その言いぐさ! もう少し女の人には優しくしろよ。て言うか、何でお前が怒ってるんだよ」
むしろユーリの方が怒りたい気分だ。
「僕のいない隙に、お前が何処ぞの素性も知れない女と話をしているからだ!」
「素性も知れないって…おい、この子達に対してその態度はないだろ! 冷たすぎるぞ!」
「僕にはお前というれっきとした相手がいるのに、どうして他の女に愛想を振りまかなくてはならないんだ」
ざわざわっとギャラリー一同が騒然とした。周囲から驚愕と好奇心に満ちた視線が、ユーリとヴォルフラムに浴びせられる。
肝心のユーリ本人が全くそれに気づかないまま……その騒動に関する数々の噂が、驚異的な速度で学校中に広まったのだった…。
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