ディモルフォセカをくれた君(35)
服を脱がそうと試みて、お互いに相手に手を伸ばした。
コンラッドは自分で上着を脱ぐと、それ以上はもどかしくて、先にユーリの制服を脱がしてしまう事にする。
Yシャツのボタンを彼に外されながら、ユーリはユーリで、コンラッドのネクタイを解こうかと思ったが、他人のネクタイを締めた経験がない為に、勝手が解らない。そうこうするうちにコンラッドの唇が顔や首筋に振ってきて、後は彼になされるがままになってしまった。
使用人がいる事を考慮して、声を抑えた方がいいだろうか。ふと、そう考えたユーリだったが、まるでコンラッドはそれを見透かしたように、耳元で、
「声、我慢しなくても大丈夫だよ」
と囁いた。
それは、部屋の外までは聞こえないから我慢しなくても良い、という事なのか。それとも、聞こえても構わないから我慢しなくても良い、という事なのだろうか。どちらにも取れるし、コンラッドの思考なら後者の理由も十分考えられた。
ユーリは素直に嬌声を上げる事を選ぼうと思ったが、コンラッドが何かを思い出したように顔を上げた。
「どうしたんだよ」
「いや…」
よりにもよってこのタイミングで、コンラッドは思い出してしまった。
こっちには、スキンもローションも持ってきていないと言う事を。
しばらく使う機会はないだろうと思って、その2つを寝室に置き去りにしてきた自分が腹立たしい。
今から買いに行くのはかなり馬鹿馬鹿しい。使用人の誰かが持っていないだろうか…無理か。
「ああ…そういえば、おれ、持ってるよ」
「えっ?」
ユーリが制服のポケットから取り出してみせたものを見て、どうしてそんな物をユーリが身に付けているのか、ものの2秒で、コンラッドは頭の中で妄想した。
だがユーリがあっけらかんと答えた言葉で、その妄想は自動的に否定された。
「一昨日辺りさ、街頭で何か、ビラ配りしてて。これも配ってたんだよ」
そう言ってはい、とユーリが手渡したコンドームの袋には、STD感染防止を目指す何処かの市民団体の名前があった。
助かった。コンラッドは心の中で呟いた。
「貰ったっきり忘れてたけど、使える?」
「多分」
安心して今の行為に心を傾ける事にした。
相手の熱も吐息も奪い取ろうとするかのような激しさで抱き合う。
いつでもこの温もりを思い出せる、そう思える位に沢山抱いて。ユーリはそう心の中で思い、そして求めた。
「あの…さ…」
「ん…何?」
「あれ…こっちに、持ってきてなかったの?」
「使うとは思わなかったから」
「そう…」
「何?」
「何でもないよ」
使う気がなかった。その事を嬉しいと思う自分の気持ちを、ユーリは素直に認めた。
淡くてつたない恋情しか知らなかったユーリは、コンラッドとの関係において暴れ出しそうな感情を抱く度に、自分で驚かされる。明瞭で具体的な対象を持った性的な欲求も同様に、コンラッドと付き合い始めてから、胸中に宿ったものだった。
今は、出会った頃は勿論、付き合い始めた頃よりもずっと、彼を想っている。
コンラッドは今までどういう恋をしてきたのだろう。
ユーリから見れば歩く『モテ男マニュアル』の様な彼。ユーリより遥かに情痴の楽しみに詳しい事もあって、過去にある程度の経験がある事はほぼ確実だろうと思われる。
気にならないと言えば嘘になるが、その過去に由来する手並みに魅せられているのも事実だ。

そうだ…おれはこうしてコンラッドに抱かれているのが好きなんだ。
時々不満も感じるけれど、何をされても、つまる所は許せてしまいそうになる。

「…コンラッド…」
ユーリがコンラッドの背中に回していた手を前に滑らせる。僅かに触れる指先は静かに上がって、コンラッドの首に這った。無意識の内に官能的だった。ユーリがやると、不思議と罪深いような印象をコンラッドは受ける。上向きの視線で見上げられ、思わず甘い戦慄を覚えた。
「なあ…咥えんの、やらせて」
コンラッドは少し驚いた。
「あんた、沢山してくれるだろ? おれは一度しかやった事ないじゃん。なあ…やらせてよ、あんまり上手くないだろうけどさ」
その前にその目つきをどうにかして欲しい、と、コンラッドは思った。煽られ過ぎて凶暴さが強くなりそうなのを堪える。
ユーリが口での奉仕をしてくれた事は、最初の一度きりだ。その逆、つまりコンラッドがした事は、いくらでもある。が、恬然とした顔で喜んでやってのけるコンラッドと違い、ユーリにとっては羞恥心に強く訴えかけられる行為だと、少なくともコンラッドは思っていた。
「無理にしなくてもいいよ?」
「おれがやりたいの」
そう言うとユーリは起き上がり、ボタンを完全に外されていたYシャツの袖を、両腕から引き抜いた。
率直な嬉しさと漠然とした不安。コンラッドはあまり気が進まなかった。仲直りしたばかりの今は、ユーリが嫌がるような事をさせる気になれない。
なのに、そういう時に限って、どうしてユーリの方が乗り気なのだろう。その理由を口に出して尋ねる暇は、コンラッドに与えられなかった。
「やっぱ…さ、やんないと、上達…しないだろうしさ」
それはそうなのだが。
頬を染めながらユーリがコンラッドの服を脱がそうと手を伸ばす。だがセックスの主導権を相手に取られるのはコンラッドの好みではなかったので、彼は自分でベルトを外した。
ユーリがしてくれるというなら、やはり嬉しい。だから、そこまで望むのなら、と、半分はユーリの為、もう半分は自分の為に考えて、好きな様にさせてみる事を彼は選んだ。
コンラッドの目に、ユーリが赤い舌先を彼のものに這わせるのが見えた。一度教えたきりなので、巧いとはお世辞にも言い難い。だが、それでも視覚からも快感を得られるので、気分がいい。
上下に揺れるユーリの黒い髪を撫でた。愛おしい、と、つくづく思った。
「ユーリ…もういいよ」
「ん…や…このまま出して」
そんな大胆な台詞をユーリが口にする日が来ようとは。
「無理しなくていいよ」
「出してよ…飲みたいんだ」
…危うく、コンラッドの中の理性という名の自戒が跡形もなく消失する所だった。
「…っ……」
ユーリは口を使ってコンラッドを追い上げた。彼に教えられたように。
口を大きく開けているので顎が疲弊してくる。それでも続けた。
今、自分がしている事に、自虐的な快感を覚える。
口内を満たす熱がひたすら愛おしい。
コンラッドも同じ様な事を思いながらいつもしてくれているのだろうか、と、熱に浮かされた頭の片隅でユーリは考えた。
コンラッドが呻いた。目線だけを上に向けたユーリと目が合って、どきっとする。
意識が緊張を失って緩んでいく。その勢いに任せて、コンラッドはユーリの口に精を放った。
「…!」
心の準備だけはしていたが、想像と違うベクトルの苦味にユーリは顔をしかめる。そう多くない量の筈なのに、飲み下すのは一苦労だった。
「ごめんね、ユーリ」
コンラッドは息を整えながらそう言った。
「いいよ。…あんたさ、よく、口でしてくれるじゃん?」
ユーリは口を手の甲で拭った。
「その時…口の中に出すの…恥ずかしいけど…嬉しいんだ。あんたもそういう気持ちになった?」
「なったよ」
たった今。
「でも苦かったでしょ?」
「まあね、でも平気」
コンラッドが手を伸ばしてユーリの背中に指を這わせると、ユーリが膝を立ててすり寄ってくる。その胸に優しく噛みつく時、先走りを滴らせたユーリのものの先端が、コンラッドの胸に触れた。それでYシャツやネクタイが汚れる事は気にならなかった。洗濯する使用人には申し訳ないが。
「コンラッド…シャツ、汚しちゃう…」
「いいよ」
汚したって、そこはそれだ。メイドのアンブリンならば、こちらが頼めば、気を利かせて見なかった事にし、収拾をつけてくれる。
コンラッドは自分の指を舐めて、後ろからユーリの中に挿し入れた。指先が前立腺を掠める度に、ユーリがコンラッドの肩に手をつき、彼に抱きついて、卑猥な姿を晒す。ユーリを嬉しい気分にさせる余裕はコンラッドにはなくて、コンドームの袋を切った。
その間、ユーリはぺたんとシーツの上に座って、所在なげに視線を彷徨わせた。この空白はいつも苦手だ。間が悪くて、じれったくて、そして待ち遠しい。
これまで会う度、9割方セックスを欠かさなかった事について、ユーリは不満を抱いていた。否、不満を抱いていた気でいた。抱いていたのは別の物だと言う事に、彼はようやく気がついた。
不安だったのだ。コンラッドが身を置く世界は、4年という年齢差以上の隔たり以上に、ユーリからは遠い。何百何千といる高校生の中に埋没してしまうような自分に比べて、コンラッドの何と抜出している事か。
体を繋ぐ事が先に立っている関係ではないと信じて、恋人同士なのだと自分に言い聞かせたかった。
いつも言われる『愛している』という言葉に確証が欲しくて。
「あんた…明日も練習とか、あるんだろ? おれが上に乗るよ」
例えこれまでもてない人生16年を生きてきたにせよ、高校生にもなって、しかも野球をしていれば、セックスが煙草と同じくスポーツの敵だという事くらい、ユーリは知っている。コンラッドが腰を痛めれば、オーナーに叱責されるのは必至だろう。そう思ったのだが、コンラッドは笑って、
「大丈夫」
と言ってのけ、ユーリを押し倒す。本当かよオイ、とユーリは突っ込もうかと思ったが、やめた。実際、コンラッドが行為の後で憔悴している様を見た事がない。
町中でユーリが偶然ゲッチューしたスキンは、こんな所で使う機会があったばかりか、都合の良い事にゼリー塗布済で、現状においては大助かりである。
ユーリがシーツを握りしめた。貫かれる感覚はいつも苦しくて嬉しい。コンラッドの熱を過剰に意識させられる。目前で顔を歪めて荒く息をつくお互いを見つめながら、共有する熱さに浮かされて、体を繋ぎ合う。
コンラッドが微笑み、呻き、そして愛おしむ表情で、愛しているという言葉と共に、ユーリの顔に落とす。
「愛してる、ユーリ…」
以前はそれを聞く度、どうしてそんなクサい台詞をさらりと言えるのかユーリは理解出来なくて、それゆえ、コンラッドが口にする『愛』とやらの程度が見えなかった。自分ならそんな言葉はとてもじゃないが言えないのに、どうして彼には出来るのか。ずっと不思議でならなかったが、やっと解った気がした。
ユーリは腕を伸ばしてコンラッドに縋り付き、がくがくと揺すぶられながら乱れる。快感に戦慄く目の前の口唇に自分のそれを重ねて濡らした。
切なげな声でユーリは言った。

「…愛してる…」

確かに。
得体の知れない新鮮さにコンラッドは感動を覚えた。
愛している。今のこの瞬間程、その言葉に至上の価値を感じた事はない。
両親から貰うその言葉は、コンラッド自身心から愛しているだけに、当然のように彼の心の中に不動の物として座っている。その他は全て、デートの前後でにしろ、ベッドの上での会話でにしろ、その時々の場の雰囲気を盛り上げる為の、刹那的な刺激を与える言葉でしかなかった。
「ユーリ…」
嬉しさと共に快感がこみ上げ、ともすれば果てそうになる。
ユーリに包まれているという感覚に心と体を浸して、異様な程の一体感を得ながら、そのまま高みに昇り詰めていった。

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