ディモルフォセカをくれた君(34)
隣の部屋の扉が開いて、その音に反応して、半分閉じかけていたユーリの瞼が開いた。いつの間にやらうとうとして、他人様の家のベッドに転がってしまっていた。
この部屋にノックもしないで入ってきた、という事は、コンラッドかもしれない。まだ仲直りの科白を考えついていなかった事を思い出して、少々ユーリは焦る。いっその事、『なかった事作戦』で行くか、とも思いながら、ベッドから腰を浮かせた。
だが、その時、ものすごく乱暴に床に荷物を投げ捨てる音が聞こえた。『置いた』と言うより『投げ捨てる』といった表現が相応しい、荒々しい物音だった。
ユーリの中で、呼びかけようとした意欲が一気に萎えた。

誰!? 今の誰!? 何ですか今の乱暴な音は!! 今のコンラッド!?
おかーさんそんな子に育てた覚えはありませんよ! いや育ててないけどさ!

おそるおそる、ユーリは寝室のドアを押して隣室を覗いた。
コンラッドがいた。何処に行っていたのか知らないが、全身ビシっと決めた格好だ。茶色のスーツにオフホワイトのシャツ。ワインレッドのネクタイは、些か彼には地味だ。
コンラッドは眉を潜めた不機嫌さ丸出しの表情のまま、そのネクタイを片手で緩めていた。無論、ユーリには気づいていない。
コンラッドを中心にして、半径1メートル程の空間にピリピリした空気が漂っている。それが伝わってきて、ユーリはすっかり出て行きづらくなってしまった。どうしたものかと困り果ててしまう。
あんな状態のコンラッドと話し合い…それも仲直りの為の話し合いなんて出来るのだろうか? また喧嘩になりはしないだろうか?
ぐるぐると少しの間悩んだ。が、無意識に押してしまったドアの蝶番が、音を立てる。ユーリは心の中で悲鳴を上げたが、時既に遅し。その音をコンラッドは聞き逃していなかった。
目が合った。銀の散った黄玉色の瞳。久しぶりに見る。何年も見ていなかったかのように、とても懐かしい気持ちがした。
だが、うっとりと見とれている場合ではない。
「あ、あの、コンラッド…?」
こわごわ声を掛けてみるユーリ。上着を脱ごうとしていたコンラッドの顔からは、眉間の皺も消えている。呆けたように薄く口が開いていたが、さっぱり表情が読めなくて、ユーリは困ってしまった。怒っているのか喜んでいるのか、それすらも解らない。
「えーと………その…」
…気まずい。
ここまで連れてきてくれたグウェンダルには悪いが、いざ顔を合わせてみると頭が真っ白になって、ユーリは何を言ったら良いのか解らなくなってしまった。
混乱した頭で彼が言ったのは、

「…じゃ、邪魔だったろ?」

の、一言だった。
「ご…ごめんな、仕事で疲れてるの分かってるのに、突然押しかけて。おれ、やっぱり帰るわ」
ユーリは笑って、部屋の隅に置いておいた鞄の方に足を向けた。だが、その視界にコンラッドが正面から割り込んできた。そして、彼はユーリの肩に手を置いた。引き留めようとしているのは明らかだった。
「ユーリ、その…」
動揺して右往左往する下向きの視線が、上に上がり、ユーリの瞳を捉える。
「…ごめん」
そう言って、コンラッドは愁然とうなだれた。
その、バツの悪そうな表情が、ユーリには少しだけ可愛く見えた。と同時に、それまで抱えていたコンラッドに対する様々な不満が、雲散霧消してしまった。
「おれも…悪かったよ」
「…それじゃあ…もう、怒ってない?」
「怒ってない。あんたは…どう?」
コンラッドは首を横に振った。
「…じゃあ…おれ達、仲直りって事?」
「多分…そうだと思う」
…コンラッドはユーリの頬を撫でた。ユーリの方がされるがままになっていると、相手の顔が近づいてくる。もう、ユーリは何をされるのか気づかない程の初心な少年ではなかった。
顎を上向きにして瞼を閉じる、
記憶の中の口づけと現実のそれに、ある程度の差を感じた。忘れそうになっていたのか、と思うと切なくなる。切なくなる分好きなのだという思いが、各々の心に染み渡った。
「…ここまで、どうやって来たの?」
「グウェンダルがさ…連れてきてくれた」
コンラッドは力はともかく金はさして無いタイプの色男だったが、今なら、グウェンダルに可愛らしいぴよの縫いぐるみを10でも100個でも送ってやりたい気分だった。
「電話したら迎えに来てくれるってさ」
コンラッドは微笑を浮かべながら、頭の中で瞬時に時間を計算した。グウェンダルが迎えに来るまでの時間、ユーリの自宅までの距離…それらを差し引いて余る時間を弾き出す。
「久しぶりに2人でゆっくり話せるね」
と、口では平和的かつ健全な事を言いながら、コンラッドは忽然とユーリを抱き上げた。軽々と。
いわゆる『お姫様抱っこ』である。ユーリは内心で悲鳴を上げて、真っ赤になったが、下ろして欲しいとは言わなかった。と言うか、言う暇もなくベッドまで持ち運ばれてしまった。
「そ、そういやコンラッド!」
ユーリは写真の件を思い出して、コンラッドに突きつけた。
「これっ! 何なんだよ!? 何であんたが持ってるわけ?」
「ああ、それ」
あー見つかっちゃったかーと言いたげな顔のコンラッドだったが、特に恥ずかしいとは思わないので、平然としていた。
「ギーゼラから貰ったんだ。要らない写真だって言うから」
「貰うなよ!」
と言うか、ギーゼラもギーゼラで、譲渡しないで欲しい。
「だって俺も、この格好のユーリをもう一度見たかったし。…ああ、それとも『着てみせて』って俺が頼んだら、着てくれた?」
着る訳がない…とは言い切れない。コンラッドに切実にそれを望まれたら、断れなかったかもしれない…そして終いには恥ずかしい思いをさせられただろう。
「あんたのオヤジ趣味は分かってんだよ。その格好のおれとやりたい、とか思ってんだろ?」
コンラッドは正直になって否定せず、苦笑しただけだった。ユーリに近づきながら、低く囁いてみせる。
「俺とするのは嫌い?」
「…嫌いだったら…今、あんたを押し退けてると思わない?」
その答えにコンラッドは満足し、ユーリの手から写真を取り上げてその辺りに置いた。
「好きだ、って言って。ユーリ」
息がかかる。四肢が陶然とさせられる。
「あんたの事? それともあっちの方?」
「どっちも」
不意打ちのようにキスを仕掛けてから、コンラッドはユーリを押し倒した。
「好きだって言って、ユーリ。俺が好きだって」
「…好きだよ」

言わなくても分かってるだろ?

「もっと言って…」
ユ−リの黒い髪に指を通すと、指先がじわりと熱くなるような錯覚を抱く。
何か貴い物を抱くように、優しく彼の頬に手を這わせた。
「好きだよ」
「もっと」

俺を好きだと言って。俺だけが好きだと。

「…あんたも言えよ…」
「…好きだよ、ユーリ…」
愛してる。
だから、どうか貴方も俺を愛して。
しつこい程に嫉妬してしまうけれど、それでも嫌いにならないで。

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またもや短くてすみません。ここで切らないと恐ろしく長くなってしまうので。
…何かね、あれです。そこはかとなくえっちぃ雰囲気が強いですが、話の都合上仕方なかったんです…許して…。
次の話は例によってえっちぃシーンのある話です。いつもの様に飛ばしてもついて行けるように書いていますが、今回ばかりは、出来れば飛ばさない方が雰囲気を掴めると思います…。