「貴方が、ヒューブの、従兄弟?」
ニコラは自分で自分の言った言葉が理解出来ないかのように、グウェンダルを穴が空く程見つめている。
「ええええ!? あのっ、え、ええっ、きゃあああ!?」
驚愕のあまり一人でわたわたとし始めるニコラを、ユーリがなだめた。彼女のこんな悲鳴が外に聞こえようものなら、通行人に警察を呼ばれかねないし。
グウェンダルはグウェンダルで、ふつふつとわき上がってくる怒りをおさめようとでもしているのだろうか、眉間の皺をいっそう深めながら、視線を部屋中に巡らせる。
「あいつは…この事を知っているのか? お前の妊娠を…」
その質問に対するニコラの返事は、首を横に振る事だった。
「言う前に、失踪してしまったんです」
「…」
「ヒューブは今何処にいるんですか?」
「私が知るか!」
あまりに恐ろしい剣幕でグウェンダルが怒鳴ったので、ニコラが思わず身体を竦ませる。
今度は、ユーリはグウェンダルをなだめなくてはならなかった。
「ぐ、グウェンダル、落ち着けよ。そんな怖い顔しないで、な?」
「…」
グウェンダルは椅子に座って暫時考えこんだ。が、すぐに待合室のドアを開けて、出て行ってしまった。
後に残されたユーリ・ニコラ・グレタは、それぞれ沈黙していたが、ユーリがグウェンダルの椅子の側に立って、ニコラに話しかけた。
「…ニコラ、その…彼氏は何でいなくなった訳?」
「分からないわ。けれど…遺していった手紙や、失踪前の様子を考えると、事故の事が原因じゃないかと思うの」
「事故?」
ユーリとグレタがきょとんとして互いに視線を交わす。
「ヒューブは車の整備士だったの。車って言っても、普通の車じゃなくて、レーシングカーの」
「…」
「けれど、半年くらい前にレース中の事故で彼は怪我をしたの。…怪我そのものは治ったのよ。けれども、彼はとっても落ち込んでいたわ。そして…突然…いなくなって……」
グウェンダルは待合室の受付の電話を使って、何処かに電話をかけていた。ユーリが診察室から出てきた時、用件を終わって受話器を切る所だった。
「グウェンダル、電話してたのか?」
「…ゲーゲンヒューバーの実家に連絡を取った」
「あ…なるほど。で、どうだった?」
「…息子の行方は、知らないそうだ」
「そっか…」
「あの娘はどうしている?」
「あっちでグレタと話をしてる。なあ…その、ゲーゲンヒューバーって人、車の整備士だったんだって?」
グウェンダルが首肯した。
「ひょっとして、コンラッドの所属してるチームの人?」
グウェンダルは否定も肯定もしなかった。ただ無言で押し黙っていた。
「ユーリ」
「何?」
「…この事を、他言するな。特に、コンラートには絶対に」
「…うん」
敢えてユーリは理由を聞かなかった。グウェンダルのその時の表情。到底、聞く気にはなれなかった。
そして彼は診察室へと戻った。ユーリとこれ以上、この話題について話す事を避ける為に。
診察室に戻って椅子に座る。
「医者には行っているのか?」
「あ、はい」
手帳の真新しさから見て、妊娠に気づいたのは相当後だったに違いない。
「…あいつの実家に、連絡を入れた方が良いだろう」
一人で、それも一度倒れた身体なのだから。
「ヒューブのご両親に? でも、あたしなんかが突然『息子さんの恋人です』って名乗っても、大丈夫なんでしょうか…」
困り果てて俯くニコラ。グレタが何やら期待を込めた眼差しをグウェンダルに向ける。
その視線を受けた為だけではないが、グウェンダルはこう言った。
「…私から話を通す」
ユーリは驚いた。そして、グウェンダルがその人を寄せ付けない雰囲気の割に、意外に優しい事を、その時初めて知った。
待合室の電話が鳴り、グウェンダルがその応対に出る為に診察室を出ていく。
「良かったね、ニコラ」
グレタがそう言いながら向けた満面の笑顔につられて、ようやくニコラも笑顔を見せた。
「グウェンはすっごく優しいんだよ」
「そうね」
グレタに笑いかけた笑顔のまま、ニコラはユーリを見た。
「貴方はとってもいい人を恋人に持ったのね。弟さんとの間で三角関係なんて、大変だろうけれど…」
まだそんな誤解が残っていたのか!
ユーリは頭を抱えた。
「ユーリ、サンカクカンケイってなーに?」
まだその単語を知らないグレタが、首を傾げる。
「え、え、ええーとデスネ…さ、三角形のおにぎりにおける、具と海苔とご飯の比率の事でありましてー…」
我ながら苦しい嘘八百だと思いながら、何とかごまかそうとし、しかし言葉に詰まってしまうユーリ。
「グレタはね、おにぎりの具は鮭が好きー!」
だが、グレタは意外にもあっさりとごまかされてくれた。
「ユーリは?」
「え? ああ、うーん…鮭とか、ツナもいいなぁ」
「ニコラは?」
「あたしは…今は、梅干しが食べたいかな」
ああなるほど、と、ユーリは何だか納得してしまった。
ニコラの笑顔を見ていると、彼女に対しても『半年前の事故』とやらの経緯を掘り下げて聞く勇気は持てなくなっていった。
翌日。午後2時5分前。
…ごくり。
ユーリの喉が嚥下した。
只今、5時間目。授業内容はLHRである。各クラスでは文化祭に向けての話し合いがなされている時間だ。
…いいか、落ち着けおれ。冷静になれ。
そう、ユーリは自分に言い聞かせた。
当たるのはクラスの男子の中で、ただ1人だけだ。
そして、これまで8人がこの試練を乗り越えた。よって、確率は13分の1。それなら大した確率ではない。12人は外れるのだ。自分が外れる確率の方が、当たる確率よりも高いではないか。
「…」
ええい、ままよ!
ユーリはぐっと指先に触れた紙を摘むと、一気に引き抜いた。
周囲のクラスメイト達が一刹那、息を飲む。
ユーリの指先には小さな白い紙があった。そして、その先端には…一言。
『ご愁傷さま』
「ぎゃー!」
ユーリは廊下にまで届くような悲鳴を上げた。他クラスから苦情が来なかったのは、話し合いで何処の組も騒がしいせいだ。
「えっ、渋谷君当たったのっ?」
女子がわっと手を叩いた。一方、他の男子達はほっとして胸をなで下ろす。
「おめでとー!!」
めでたいと言うならば、何故にクジの文字が「ご愁傷さま」なのか、気になる所だ。
「すごいじゃないかユーリ」
ヴォルフラムが笑顔でユーリの肩を叩いた。
「運がいいな。13分の1の確率で当てるなんて」
「運がいいどころか、超不幸だろ!」
本気で泣き出しそうになるのを、ユーリは必死でこらえた。ちなみにヴォルフラムは幸運にもハズレを引いた8人の内の1人である。
「とりあえず、これで『ミス・眞魔高校』のクラス代表は渋谷に決定ってコトで」
委員長が生徒会への提出用紙に、さらさらとユーリの名前を書き込んでいった。
そう、ユーリはたったいま、文化祭で行うミニイベント『ミス・眞魔高校選抜大会(仮)』のクラス代表に決定してしまったのである。
ミスコンでありながら何故に男子が出場するのか…というと、それは昨今の男女同権主義云々の為だ。本来は生徒会役員の男子が出場するものなのだが、今年の生徒会は役員全員が女子という、カカア天下状態な生徒会になってしまった為、急遽、各学年の2クラスから代表を出す事になったのだ。
「あ、そうだ渋谷。これ」
委員長が一枚のプリントをユーリに見せる。ユーリは前の教壇まで歩いて行き、それを受け取った。
「何?」
「ミスコンの注意事項。あと、テーマも書いてあるってさ」
「テーマなんてあるんだ。ふんふん…去年は『メロウ系』ねぇ」
野球命のユーリは、メロウ系ってつまりどんなのを指しているのだろう…と、自分のファッションに対する無知を心の中で露呈しながら、自分の席に戻って、上から順繰りにプリントに目を通した。
「何が書いてあるんだ?」
後ろからヴォルフラムがそれを覗き込んだ。
「…えーと、何々、普段の写真を一枚提出する事。つまりフツーの時の写真って事だよな。学ランじゃなきゃいけないのかな」
「さあな」
「まあ制服でも私服でもいいけどさ。それで、今年のテーマは……?」
「『コスプレ』?」
ムラケンが購買で買って来たコーヒー牛乳のパックに、ストローを差す。
「ふうん、ちょっとマニアックだね」
「ちょっとじゃないだろ。一昨年が『ミニスカ』、去年が『メロウ系』、それで何で今年は『コスプレ』なんだよ!」
ユーリは自分の不運を呪いながら、母親手製の弁当の蓋を開けた。
ムラケンがコーヒー牛乳を飲みながら、注意事項の書かれたプリントに目を通した。
「…あれ? ねえ渋谷、このプリントに『スタイリスト&メイクさんを最低1人、必ず付ける事』って、なってるけど?」
「ああ…うん。女子の誰かに頼もうかと思ったんだけどさぁ…」
ユーリがチラリとヴォルフラムに一瞥をくれる。
「僕が受け持つ事になった」
ヴォルフラムはふふん、と鼻を鳴らして自慢げな顔でそう言った。どうしてそんなに自慢げなのか、ユーリには解らない。
「こいつと来たら、この僕がいながら、他の女に頼ろうとしていたんだ! こういう時こそ僕に頼るべきだろう!?」
「そっか。君、モデルだもんね。って事は…これは、相当期待出来るかな?」
「しなくていいって…」
「で、何を着る事にしたんだい? ナース服? セーラー服? 着ぐるみ? 僕は巫女さんの紅袴姿が好きだなぁ」
「ナースとかセーラー服はちょっとなぁ…」
着ぐるみは…案外楽しいかもしれないが、おそらく暑いだろう。一説によると、冬でも着ぐるみの下はシャツ一枚で十分暖かいらしい。否、むしろ汗だくらしい。
「袴ねぇ…おれの兄貴は袴は袴でも、弓道部の袴の方がいいらしいけど」
「紅だろうが紺だろうが、あんな栄えない服装の何がいいんだ」
「おれにも良く解らないけど、アレに見栄えを求めるのはどうか…って、そうじゃなくて」
話が逸れた。
「ホント、何にすりゃあいいんだろう…」
ユーリはぼんやりと思考を働かせた。
「野球部は脚線美が多いから、チャイナドレスはどう?」
「嫌」
ユーリは即答した。
「バドガールとか」
「あれはお色気美女が着るからこそいいと思うんですがね、村田さん」
「じゃあ裸エプロン」
「公然猥褻で捕まるだろ!」
ムラケンが意見を出す間、ヴォルフラムは沈黙していた。彼は『コスプレ』というものがどんな物なのかを、今日初めて知ったばかりだったので、ムラケンのようにぽんぽんと案を思いつく事が出来ないでいたのだ。
何かの制服ならいいのだろうか?
そう思って、ヴォルフラムはこう尋ねてみた。
「……ユーリ、メイドの服はどうだ?」
ユーリとムラケンがヴォルフラムの顔を見た。
「…え…メイド?」
真っ先にユーリの頭に浮かんだのは、黒いワンピースにフリフリの白いエプロン、そして白いカチューシャ…メイドさんのお約束アイテムの数々だった。
…あれを自分が着る。
想像すると、思わず立ちくらみがしてきた。
だが。
「メイドか。いいんじゃないかい?」
ムラケンはあっさりと賛同の声を口にした。
「でも、衣装そのものはどうやって用意するんだよ、ヴォルフ」
「僕の家にある」
「何で!?」
「使用人の服があるし、仕事で使った衣装もある。そのどちらかに、お前に合うのがあるかもしれない」
「使用人…って…お前の家、メイドさんがいるのかよ」
「執事や庭師もいるぞ」
「…」
そうだった。ヴォルフラムには送迎を行う運転手がいる。ならば執事や使用人がいてもおかしくはない。ならば料理長もいるのだろうか…。
「なら、来週にでも僕の家に着て、衣装合わせをするぞ。水曜日はどうだ?」
「ああ…その日ならいいよ。空いてる。野球の練習もないし」
「…そういえば渋谷」
ムラケンが卵焼きをぱくりと口に入れようとして、箸を止めた。
「何?」
「今月の末って…確か、君の誕生日じゃなかった?」
一転して暑い昼下がりの中にコンラッドは降りた。飛行機に乗る時には必須だった上着は、今はボストンを下げた脇に抱えられている。
白いボートの並ぶ船着き場を、コンラッドはサングラスをかけずに歩いた。自分の瞳は茶色なので日中でも物が見える方だが、かけた方が遥かにいいだろう程の眩しさである。ヒビを入れてしまったが為にサングラスは荷物の中にしまい込んであるのだが、例えそんな状態でも使用するべきだったかもしれない。海面に反射されて視界を恣意的なまでに明るくさせる日光が、たまらなく鬱陶しかった。
マリーナの一角に椅子を並べて座り込み、談笑している数人の男性達がいる。人種は様々だが、いずれも40代から50代といった所の中年男性ばかりで、そしていかにも釣りを愛好していそうな風体だ。1人が両手を胸の前で広げているが、おそらく釣った魚の大きさについて説明しているのだろうと思われた。
コンラッドは歩調を速めた。
近づいてくる足音に気づいた男性陣の1人が、話をやめて顔を上げる。
それが父・ダンヒーリーだった。
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ディモルフォセカをくれた君(15)
ダン様はちょっと色々と役回りがありますので、ここでチラリと出しました。
そしてマニメ史上、伝説に残る「メイド服ゆーちゃん」が…すいません、捨てがたかったんです…。ちなみに男子の女装ミスコンは、管理人の母校に実際に存在した、学園祭の行事です。
そしてマニメ史上、伝説に残る「メイド服ゆーちゃん」が…すいません、捨てがたかったんです…。ちなみに男子の女装ミスコンは、管理人の母校に実際に存在した、学園祭の行事です。