高校に入って早々作った草野球チームの練習中に、どこぞの爽やか好青年と知り合ったおれですが、いつの間にやらその好青年とお付き合いする事になりました。お付き合いですお付き合い。どつき合いでも五分づき米でもありませんので、あしからず。
で、色々あってAまでやってしまった訳ですが。
…あれから10日、会ってないんです。
だって、あの後すぐに中間考査。それが終わればコンラッドに会える…かと思いきや、運が悪いというか無情というか、テスト期間終了2日前から、コンラッドは仕事でしばらく家を空ける事になってしまいマシタ。
何処に行ったのかって?
…パスポートが必要な所。
時計は11時半を過ぎていた。
放課には些か早いこの時間に、ユーリが自宅に帰ってきているのは珍しい事であった。大学生の勝利がいるのはまだ良しとしても。
何故こんな時間にユーリが家にいるのかと言うと…今日は7日間のテスト期間の最終日で、午前中で学校が終わったからである。
昼食は渋谷家自家製のカレーであった。美子ママがいつものフリフリエプロン姿で鼻歌を歌いながらそれを煮込んでいる。
「今日のカレーは特に自信があるのよっ。いくらでもおかわりしてね、村田君」
そう、皿にご飯を盛るユーリの他に、いそいそとダイニングテーブルを拭いているムラケンがいた。
元々、帰りにユーリからDVDを返して貰うべく立ち寄ったのだが、ムラケンの両親が旅行中でいないと知った美子ママの熱心な誘いによって、昼食を食べて行く事になったのである。
レポートをきりの良い所まで仕上げて2階から降りて来た勝利の、ムラケンを見た時の目つきといったらなかった。
「それで、ゆーちゃんのクラスは、文化祭で何をやるの?」
「隣と合同で夏の定番・お化け屋敷」
「あらそうなの。で、ゆーちゃんは何をやるの? お岩さん? ドラキュラ? フランケンシュタインはダメよ、せっかく可愛いのに包帯グルグルなんて」
「おれがやんのは、チケットのもぎり」
…ヴォルフラムとセットで、だ。早い話が客寄せ係である。
美子ママが皿にカレーを盛りつけ終わり、それをテーブルに運ぶ。ユーリが水を並べ、食事の準備は整った。
その時、電話がプルルッと電子音を発した。一番近かった勝利がその応対に出る。
「はい、もしもし。渋谷ですが」
『し…
いやに聞こえにくい上、何かが崩れるような激しい音。
何事かと勝利は眉を潜めた。一体何処からの電話だろうか。
「もしもーし?」
『…失礼、渋谷さんのお宅ですか?』
若い男性の声。勝利はその男性を『海外版・風の又三郎』と心の中で呼ぶ事に勝手に決めた。
文法的・語法的に正確な日本語だが、ほんの僅かに発音がおかしい。外国人だろうか。
「そうですけど?」
父親の知り合いかと勝利は思った。昔、一家でボストンで暮らしていた事もあったので、その時の繋がりではないかと思ったのだ。
が、電話の相手が指名したのは、父ではなかった。
『息子さんはいらっしゃいますか?』
「息子にも色々いますけど」
ギャルゲーオタの兄と野球小僧の弟。さあどっちだ。
『あ…そうか、お兄さんがいたんだっけ。…ユーリ君の方です』
「ゆーちゃんに?」
一瞬、勝利は耳を疑った。何故、ユーリに外人から電話が来るのだろうか、と。
しかし「少々お待ち下さい」と形式的に述べる他にはなく、勝利はメロディボタンを押し、弟を呼んだ。
「ゆーちゃん、電話だぞ」
「おれに?」
ユーリが電話を替わる。その表情が2秒でぱっと明るくなった。
「うん。あ、ちょっと待って。今、電話替えるからさ」
そう言って、急いで子機に電話を繋げるユーリ。
「先にカレー食ってていいよ」
と言い残し、彼はダッシュで自分の部屋に駆け上がって行った。
ひょこっとリビングから覗く3つの頭が、その後ろ姿を目で追う。上から勝利・美子ママ・ムラケンだ。
「何だ、あいつ…?」
「長電話にならないといいけど。カレーが冷めちゃうもの」
思い思いの言葉を述べる2人とは別に、ムラケンだけは、何も言わずにニコニコと笑顔であった。
「今のがお兄さん?」
『そう、兄貴の勝利。すっげームカつくの』
コンラッドは苦笑した。自分はグウェンダルにあからさまに反抗した事はなかったが、ヴォルフラムといい、ユーリといい、普通の兄弟関係とはそういうものなのだろうか…と、疑問が湧く。
『アラスカは今何時?』
そう、コンラッドが今いるのは通称『ラスト・フロンティア』、アラスカなのだ。今年の冬にそこでレースが開催されるらしい。
「夕方の6時過ぎだよ。そっちは昼間?」
『うん。そっちはやっぱり寒い?』
「寒いよ。夏だんて思えない。気温は大体15度で、それ以上は上がらないし」
コンラッドが電話をしているのは、ホテルの一室だった。暖房が良く効いている。
部屋はシングルではなくダブルで、同室の相手は飲み物を取りに行ったっきり、まだ戻っていなかった。相方がいつ戻って来てもおかしくないが、どうせ日本語が分からないのだから、通話において言葉を選ぶ必要はない。
「都市部はともかく、山間部は寒くて寒くて。それでも地域によっては、日本の冬と大差ない所もあるらしいけど…本当かどうか」
当たり障り無い話でしばらく2人は笑い合った。
『なあ、予定通りの日程で帰って来られる?』
「多分。明日で下見が済んで、大体の用件も終わるから」
今回はレースのコースを下見するだけだ。それが終わった後、相棒を送ってアリゾナまで行き、すぐにフロリダへ飛んで父親の様子を見に行く。こういう時にでも寄って置かないと、実家に帰る時間が取れないのだ。父親の様子をヨザックに任せっ放し、というのも何だし。日本に戻るのはその後の事になる。
『ゆーちゃん? カレー冷めちゃうわよ?』
電話の向こうで女性の声が聞こえた。直接会った事はないが、ユーリの母親だ。ユーリの家に電話すれば、大抵彼女が応対に出てくる。
「ひょっとして、お昼の真っ最中だった?」
『あー、うん』
「それは悪い事をしたなあ。じゃあ、今日はこの辺にしておこうかな」
『うん、ごめんな』
「貴方のせいじゃない」
…早く戻って、ユーリの顔が見たい。そう思った。
「…早く戻って、貴方の唇の暖かさを感じたいな」
電話の向こうのユーリの反応を視覚的に想像してみる。
2週間。それがたまらなく長い。
「愛してる、ユーリ…それじゃあ」
コンラッドが電話を切ると同時に、ドアが開き、同室の後輩が戻って来た。
「隊長、これで良かったですか?」
ミネラルウォーターの瓶を受け取ったコンラッドは、シャツのポケットに携帯電話を入れ、蓋を開けた。
「ああ。ありがとう、ライアン」
ライアンはコンラッドの学生時代の後輩だ。と言っても、休みの度に出ていた草レースで偶然知り合うまで、同じ学校に通っているとは気づかなかったのだが。
現在、ライアンはアリゾナの動物園で働いているが、2年程前から都合をつけては【ルッテンベルク】の選手としてストックカーレースに出場している。明日下見するレースも、ライアンが出場する。コンラッドはその隣でナビを担当するのだ。
「ところで隊長、さっき誰かと話してましたか?」
「ちょっと電話をね」
ドア越しに電話の声が聞こえていたらしい。
「ああそうそう、同僚に電話しないと。一日一回はケイジの声を聞かないと落ち着かなくて」
目の色を変えて電話をしようとするライアンを、慌ててコンラッドは制止した。悪いが、レースの相談が先だ。
2人は資料を引っ張り出して、コースに関する相談を始めた。
その翌日。
学校帰りにユーリはグウェンダルの診療所を訪ねた。
ドアを押し開けると、ドアベルが鳴る。待合室であみぐるみを並べていたグウェンダルが振り返った。
「ユーリ」
「グウェンダル。元気そうじゃん、グレタは?」
「奥にいる。ちょうど良かった、お前に連絡をしようと思っていた所だ」
「おれに?」
ユーリは首を傾げた。
「あの娘の意識が戻った」
「あ…あのお嬢さん? どうだった?」
「特に異常はみられなかった」
グウェンダルが白衣を直した。
「それで、今は?」
「隣の部屋で、職場の同僚に連絡を取っている」
なるほど、耳を澄ませば診察室の方から、若い女性の話し声がドア越しに聞こえてくる。
「あ、そっか。何週間もずっと音信不通状態だったんだもんな」
ふと、グウェンダルの髪が乱れているのにユーリは気づいた。
そう言えば少し顔色が良くない。
…アニシナの実験台をやっているせいだろうか……?
「グウェンダル、大丈夫か? 疲れてる? 目の色のクマすごいけど…」
グウェンダルの背丈はユーリより遥かに高いので、ユーリがグウェンダルの顔を覗き込もうとすると、姿勢を直立から崩す事になる。
「大した事は……」
ガチャリ、と、診察室のドアが開いた。
顔を出したのはショートカットに円らな瞳の少女であった。待合室の光景を見るなり、何故かぎょっとしてその目を大きく見張る。そしてぽっ、と何故か顔を赤らめた。
…何故顔を赤らめるのだろうか。
2人の頭には猛烈に嫌な予感が過ぎった。
「あのっ…ごめんなさい、お邪魔でしたっ」
『そんなんじゃないっ!』
2人はすぐさま叫んだ。
「えっ、でも…その、キスする所じゃ…?」
「違う違う!」
ユーリは激しく首を左右に振って否定した。
グウェンダルがユーリを指さして、
「こいつは、弟の…こ、婚約者だ」
と、教えてやる。
…正確には弟と婚約した覚えすらないのだが。
「えっ? じゃあ…そんな…」
ますます少女の顔が赤くなった。
「すごいわ、禁断の恋なんですねっ」
「ちっがーうっ!!」
少女の名前はニコラと言った。郵便局の事務員をしているのだという。
「家族は?」
グウェンダルが尋ねると、ニコラは首を左右に振った。
診察室のからグウェンダルは立ち上がり、ニコラの腹部に目を向ける。
「…相手の男には連絡を取ったのか?」
すると、ニコラは膝の上に置いた手でぎゅっと拳を作り、俯いた。ニコラの後ろに椅子を借りて座っているユーリからは、彼女の表情は見えなかった。
「彼は…今、何処にいるのか分からないんです」
グウェンダルは無言だった。僅かに眉を潜めただけだ。
別れたのか、それとも捨てられたのか等とあからさまな質問をするのは気が引ける。
沈黙が数秒続いたが、ニコラは顔を両手で覆って泣き出してしまった。
彼女の前方と後方で、2人の男が困り果てて視線を交わし合う。今のユーリとグウェンダルの気持ちは一緒だ、『どうしたら良いものか』。
「ヒューブ…」
涙声でニコラはそう呼んだ。
それが相手の男性の名前かな?と、ユーリが思いながら視線をニコラからグウェンダルに移すと、グウェンダルは顔色を変えていた。
「『ヒューブ』というのは、お前の恋人の名前か?」
「えっ…はい」
ニコラが涙を止めて顔を上げる。グレタが机からティッシュの箱を取ってきて、ニコラに渡した。それで彼女は顔に流れる涙を拭った。
「『ヒューブ』っていうのは愛称で、本当はゲーゲンヒューバーって言う名前なんです」
グウェンダルの眉がぎゅっと潜められ、こめかみにぴしっと血管が浮いた。
「あ…あの男…!」
その表情と声色で脅されたら怯まずにはいられないだろう。グウェンダルは机の書類を握りしめた。事実、ニコラの顔が引きつっている。しかし子供のグレタが平然としているのを見て、ユーリは彼女をすごいと思った。
「えー…とぉ、グウェンダル…何で怒ってるの? 知り合いなのかよ?」
まさかそんな偶然がある筈が…
「…その男は、私の従兄弟だ」
…あった。
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