「人目を忍んで外出なんて、何か、スパイ映画みたいだな」
との、ユーリの正直な感想に、コンラッドは笑った。
2人が外へ出ると、雨がまだ降っている最中だった。一緒の傘に入ろうなどと問題発言をかますコンラッドを放っておいて、ユーリは自分の傘をさしてしまう。
「なあ…さっき出る前に電話かけてたけど、どこで会えるんだ?」
「グウェンダルの所で」
「はっ、何で?」
「そこが一番近くて人目もないから、いいかなと思って」
どうせあまり流行ってないしな…などと、長兄に失礼な事をつい考えてしまうコンラッド。だが、事実、グウェンダルの診療所は流行っているとは言えない。彼の腕が悪いのではなく、隣の薬局の存在のせいかもしれない。アニシナときたら毒を作るばかりで、薬などちっとも処方してくれないのだ。
今の自分はさぞかし浮かれて見えるだろう、と、コンラッドは思った。悪天候など全く気にならない。ただただ嬉しくてたまらなくて、コンラッドはユーリに左手を伸ばした。
「何?」
「手、繋ごう?」
「えっ、やだよ、こんな所で」
「大丈夫大丈夫、こんな天気だからみんな足元しか見ていないし、男同士だから問題ないよ」
「男同士だから問題なんだよっ!」
顔を赤くするユーリのあまりの可愛さに、コンラッドは笑って、それ以上の無理は言わなかった。
そうこうするうちに目的地に到着する。既に診察時間は終わっているが、いつもこの時間でもドアが開いている事を、コンラッドは知っている。押して中に入るとドアベルが鳴った。
「…誰も、いないのかな?」
ユーリが言った。ドアベルの音を聞いて出てくる人影は全くない。グウェンダルもグレタも不在なのだろうか。それなら、診療所にも鍵をかけて行きそうなものだが。
その時、隣家からちゅいーん、ガリガリガリ…という、怪しい機械音が。
「あの音は…アニシナさん?」
「おそらくね。また何か発明品でも造ったのかな? 今夜か明日はグウェンダルにとって厄日だ」
「何で?」
「いつも実験台にさせられ…」
と、その時アニシナの家から診療所の壁を貫いてはっきりと響いた男性の悲鳴が、コンラッドの台詞をかき消した。
「…」
コンラッドとユーリは顔を見合わせた。
…ご愁傷様、グウェンダル…。
2人は各々、心の中で合掌した。
「…にしても、グレタは何処行ったんだ?」
「アニシナの所、かな」
「そっか」
ユーリは待合室の椅子にすとんと座った。コンラッドがその左隣に座る。
手足を措く所のないユーリを見て、コンラッドは
「大丈夫」
と、優しく声をかけてユーリの左手を握った。不安げな彼には申し訳ないが、今の自分の顔はさぞかしにやけている事だろう…と、つくづく思いながら。
「コンラッドさぁ…何か、やたらと嬉しそうな上に随分落ち着いてるけど、あんたに責任があるってこと、分かってる?」
「勿論。でも、あんまり嬉しくて」
コンラッドの手がユーリの手を放し、代わりにユーリの肩に手を乗せる。
「だって、貴方がこんなに早く、現実に俺に振り向いてくれるなんて思わなかった。足なんか…今にも震えだしそうなんだよ?」
この事、今頃は帰国早々時差ボケをおして出勤中のヨザックが聞いたら、何と言うだろうか。
「コンラッド…おれの事、好き?」
そう尋ねるユーリは羞恥心も露わの表情だったが、自分でそれに気づかなかった。
「好きだよ、とってもね。ユーリは?」
「…うん、好きだよ」
面と向かってユーリがコンラッドに『好きだ』と、コンラッドのそれと同じ意味で言ったのは、それが初めてだった。
コンラッドが心底満足げに笑って、ユーリの顔を覗き込む。ユーリは思わず手を握りしめた。
…だが、診療所の外で車を停車する音が聞こえ、雰囲気は破れてしまった。
「ああ…来たみたいだ」
エンジン音でコンラッドはそう判断した。ユーリの肩から手を離して立ち上がり、出迎えに出ようとする。
が、先に呼び出し相手の方が建物内に入ってきた。
健全な高校生にはある意味辛いセクシー美女だ。その色気は半径5メートル以上届く程。見事なまでにしっかりと出る所は出ている肢体を、これまた随分と露出の多い服で覆っている。金の長い巻き毛の髪が、肌に艶めかしく流れていて…ユーリはこれ以上心の中で形容するのをやめた。ものすんごいお色気おねーさん。その一言に尽きるかもしれない。コンラッドより明らかに年上だが、せいぜい三十路前後だろう。
「コンラート、ああ…ごめんなさいね。あんな事になってしまって、貴方に迷惑をかけて」
声もこれまたお色気たっぷりだ。
「いえいえ、あれは俺が誘ったんですから。お呼び立てして申し訳ありません」
「ところでグウェンはいないの? 姿が見えないけれど…」
「またアニシナの所ですよ。俺としても、彼がいてくれた方が良かったんですが…」
その時、女性と、コンラッドの背中に隠れていたユーリの視線がぱちっと合った。
「あら、まあ、可愛らしいお方っ」
きらきらっと目を輝かせて、その女性はユーリに抱きついた。
ぎゃああああ!!とユーリが心で叫び声を上げる。いきなりの柔らかい感触と香水の匂いで、ユーリの心臓は跳ね上がった。
「お名前は何と仰るの?」
「し…渋谷有利です」
美女に近くで話しかけられ、完全にユーリはしどろもどろになっていた。脳みそがホワイトアウトしそうだ。かろうじて自我を保ったユーリだったが、結構キツい。
「『ユーリ』…?」
女性は婉然と首を傾げ、考え込むような仕草を見せる。が、ぱちっと両手を胸の前で叩いて、こう言った。
「…それでは…貴方が、ヴォルフラムの婚約者?」
「えっ?」
ヴォルフラムなどという思いがけない名前の登場に、ユーリは目を瞬かせる。コンラッドも目を丸くした。
「聞いていた以上に可愛らしい方。ああ、こんなに早くお会い出来るなんて、あたくし、とっっても嬉しいわ」
女性はぎゅーっとユーリを抱きしめた。
二重に混乱して狼狽するユーリに、コンラッドがようやく助け船を出す。
「母上、ユーリが困惑していますよ」
そう言ってやんわりと美女をユーリから引き離した。
嬉し恥ずかしな時間が去って、一息。ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、ふと、コンラッドの言葉を頭の中で反芻する。
「……は、母上ぇ!? 今母上って言ったよな!?」
いっそそれがアメリカンジョークの一種だったなら、ウケの1つも取れるかもしれないが…
「そう」
どうやらジョークでも冗談でも、ましてやジョー・パントリアーノでもなく、真実らしい。
「こちらが俺の母上です」
呆気に取られて声も出ないユーリの前で、コンラッドは金髪セクシー美女の肩に手を置いてそう言い、微笑んだ。
…ざっつ・あめーずぃんぐ。
にわかには信じがたい事であった。しかし言われてみると、目の前の女性の中に、確かにヴォルフラムと同じ面影を見いだす事が出来る。
この外見でグウェンダルのような息子がいるなど、超常現象だ。何歳の時にグウェンダルを産んだんですかっ!?と聞きたくなる。
「あたくしの名前はツェツィーリエと言いますの」
「つぇつぃーりえ、さん…?」
美女の指先がユーリの唇を軽く押さえる。
「ツェリって呼んで、ツェリ。ねっ? いいでしょう?」
いいも悪いも何も…断れませんよ…。
ユーリは心の中で返答した。
コンラッドがあのような写真を撮られて平然としていられる理由が、ようやくユーリには理解出来た。
あれは歳の差カップルの密会写真かと思いきや、実は親と子がレストランで食事をしている、ただのほのぼの写真に過ぎなかったのだ。
…くそー! だったら最初に言ってくれよ!
コンラッドの、いじわる!
「だって、実際に本人がいないと、信じてくれないんじゃないかと思って」
「…」
ユーリは反論出来なかった。確かにコンラッドの言う通り、とても信じられなかっただろうと思った。
帰り道は雨が上がっていたが、天気予報によると、今夜は明け方まで降るらしい。
「…それじゃあ、明日辺りにはあっちこっちの新聞とかに、出るの? 『実は親子だった!』とか」
「多分。ヴォルフラムと母上の親子関係は業界じゃ有名だけれど、グウェンや俺の方は全く知られてないからね」
「そうなんだ。でも何で?」
「隠す理由はないけれど、進んで吹聴する程の事でもないから」
正確には、隠す理由になりうる事柄がない訳でもない。が、むやみに話す事ではない。今、父親が日本にいなくて良かった、と、コンラッドは思った。
「あー…もう7時かぁ」
ユーリが腕時計を見て、あからさまに残念がった。コンラッドが笑みを深くして、こう言う。
「もっと2人でいたいのに」
「そうそう……って、え、ちょっ、何言わせるんだよっ、コンラッド!」
ユーリがばしっと照れ隠しにコンラッドの背中を叩いた。
元々コンラッドが母親と食事に行ったのは、彼女にユーリの話をする為だった。何せ、グウェンダルにもギュンターにも、ユーリは自分の友人ではなく『ヴォルフラムの婚約者』で通ってしまっている。なので、いっそ弟を出し抜いて母親に紹介してしまおうと思ったのだ。だが…成果は上がらなかった。あの日の食事では結局その話を切り出せなかったし、その上、こういう面倒な事態が起こってしまった。
しかも既にヴォルフラムに先手を打たれてしまっていたとは。
…まあ、結局はユーリが嫉妬してくれたのが分かって、万々歳なのだが。
「どうしたのコンラッド?」
「うん、いや、何でも…」
もっと一緒にいたい。が、少なくとも今日は無理だ。
公園を横切った。広い割に外灯が少ない為、ひどく鬱蒼とした雰囲気を漂わせる場所だ。
「やっぱり、誰もいないなぁ。こんな時間だもんな」
「ここは、良く出るって噂の場所だからね」
「幽霊が?」
「そう。一昨年ここで殺人事件があったらしいけど、その被害者の幽霊が出るんだって」
聞かなきゃ良かった。迷信と笑い飛ばすには些か生々しい話を聞かされて、ユーリは顔を引きつらせた。
コンラッドはユーリの手の甲に自分の手を寄せて、暗に頼んでみた。繋ぎたい、と。
ユーリはと言うと、コンラッドの手が触れた途端びっくりして肩を思わず竦ませたが、公園の中だけならいいか、と思い、おずおずとその手を握って歩き続けた。
自分より少し大きいコンラッドの手は暖かくて、何処か切ない。しっかり握りたいと思う一方、強く握ると壊してしまうんじゃないかとも思う。自分如きの握力で壊れる事はないだろうが、何というか、そっと大事に握っていたかった。
これからどうなるのだろうか、と、漠然とした不安がユーリの胸の内に浮かぶ。
…母上様。人生、何があるか分かったもんじゃありませんね…まさかこんな展開が待ち受けていようとは思いませんでした…。
「ユーリ、後で電話してもいい?」
「うん。あー、おふくろが出るかもしんないけど、いい?」
「いいよ」
コンラッドがユーリの髪にそっと触れた。そうしたい気持ちに今、なった。
ユーリの歩みが、自然に止まる。長々とここでこうしている訳にはいかないと理解していながら、離れがたさで触れられる事を望んでしまう。
もう少し早くコンラッドの家に行けば良かった、と、今更ながら思った。マンションの電話ボックス前で煩悶しまくったのは、結果的には失敗だった。
コンラッドがユーリの肩をそっと掴む。
割と重大な事の筈なのに、ユーリの思考は半分程ぼんやりとしていた。
触れるだけのキスは一刹那儚くて、次の瞬間、確かな現実のものへと姿を変える。
あまり長い時間をかけなかった、否、かけられたなかったのは、雨の止んだ天霧る空が一気に暗くなったからだった。
次へ
前へ
戻る
ディモルフォセカをくれた君(13)
ゆーちゃんがオトメでしたが、それ以上に手が早いなぁ次男…。まあ、毎日会える仲じゃないし、この話は別の要素で一悶着させたいんで…。
ところでヨザックが帰国した事を書くスキが全くありませんでした! 決して書くの忘れてたんじゃありませんから、ええ! 私の中では、この後ゆーちゃんと別れて帰宅したコンラッドは、フロの後でヨザックに電話した…のはいいものの、ご機嫌な余り、14時間の時差をコロリと忘れていた上、ヨザックは残業中。怒られてしまうのでした…という事になってます。
ところでヨザックが帰国した事を書くスキが全くありませんでした! 決して書くの忘れてたんじゃありませんから、ええ! 私の中では、この後ゆーちゃんと別れて帰宅したコンラッドは、フロの後でヨザックに電話した…のはいいものの、ご機嫌な余り、14時間の時差をコロリと忘れていた上、ヨザックは残業中。怒られてしまうのでした…という事になってます。