普段と変わらない量を盛ってもらった筈なのに、何故か今日は朝食のご飯の減りが悪い。味さえ、いつもと違うような気がする。
…寝ても覚めてもコンラッドの事ばっかり考えてないか、おれ?
『好きだ』って言われてから、段々コンラッドを見る目が変わってきてる。
…ひょっとして、いやひょっとしなくても、おれの方でもその気になってきてる…とか!?
「今日も雨ね、洗濯物が乾かなくて困っちゃうわ」
美子ママが、テーブルに朝食のおかずのキンピラゴボウの皿と味噌汁を置きながら言った。テレビは今日にの天気予報を放送している。
食事の進まない弟を、勝利は眼鏡の奥からさりげなく観察していた。
男3人衆の朝食の準備が完了した所で、自分の食事を用意する前に、美子ママは洗濯機を回す為に洗面所に向かった。
テレビで天気予報が終わり、芸能ニュースに変わる。話題の映画情報にユーリは関心を向けたが、それが終わると、またテーブルに向き直った。
勝利がユーリの皿からソーセージを素早くつまんで口に入れる。
「あっ、何すんだよ勝利! おれのソーセージだぞ!」
「お前がトロトロ食べてるからだろ」
「く〜…」
テレビのスピーカーから女性アナウンサーの声が聞こえてくる。
「……えー、そしてこれは○○スポーツ紙の3面記事ですが……」
「お、またこの女優の熱愛騒動か」
「しょっちゅう出るよな。まあ、どうでもいいけど…」
「誰?」
2人の会話について行くべく、ユーリはテレビの方を再び向いた。
「これは昨日の週刊××が、とあるレストランでスクープした写真だそうですが、お相手は超年下のカーレーサー、コンラート・ウェラーさん」
その瞬間、ソーセージの事など、ユーリの脳裏から綺麗さっぱり消え去ってしまった。ちょうどテレビには新聞に掲載された写真がズームされて映っている。新聞の写真なので荒いが、写真の主の男女が誰であるかは明白だ。場所は何処かのレストランで、コンラッドが年上のものすごい美女と2人で座っていた。テーブルの角で相手と隣り合うようにして。
お互いの微笑した口元はまだいい。決定的なのは、相手の女性のマニキュアで彩られた手が、テーブルの上に置かれたコンラッドの手を握っている事だ。
「同紙によると、このお2人は以前にも某所で一緒にいる所を目撃されたそうです。事務所及びチームからは、まだ何のコメントも出ていないそうですが…」
それ以上ユーリは聞きたくなかったし、見たくなかった。
冷蔵庫を開ける。
卵と牛乳と、何故かカリフラワー。酒はなくて、リポビタンDがある。
閉じる。
冷凍庫を開ける。
勿論、氷。何故か魚の半身と、賞味期限の切れかかったアイスまである。
閉じる。
「…はあ」
…まあ、いいか。
コンラッドは腰に手を当ててため息をついた。
これらと米と乾物を合わせれば、今日一日ぐらいは何とか保つだろうが…いつになく寂しいメニューになりそうだ。
何せ買い物に行こうにも、マンションの玄関及び裏口には記者連中がしっかり待ち構えていて、出ようにも出られない。オーナーからも、これ以上の面倒を避ける目的で、一日自宅待機の指示を喰らった。
しかし、明日にでもこの騒動が収まるだろう事をコンラッドは知っている。今朝はニュースを見るなり大笑いしてしまった。チームの関係者の中にも、同様の者がいるだろうと思われた。
今日はいつになく練習に意欲があったのだが、そういう時に限ってこういう事態になる。
致し方ないので、この手持ち無沙汰を、家の中で出来る事でどうにか発散するしかなかった。
昼間になると、思いがけずギュンターから電話が来た。携帯電話に。
「ああ…ええ、とんだ空騒ぎでしょう? ……いや、警備もいるから、外で張ってる。雨だっていうのにご苦労さんだよ。裏口にもしっかり待機されているから、買い物に行けないのが困りものだ」
ユーリには会えない。明日辺りからようやく梅雨が明けそうだが、そうすればまた会える。それは解っているのだけれども。
コンラッドの頭の中に『今回の騒動をユーリがどう思っているか』という事柄は、殆ど浮かばなかった。ヴォルフラムと友人である以上、当然、この事件が間の抜けた空騒ぎでしかない事をユーリも知っているだろうと思っていた。
電話の後で昼食を済ませた。オムライスもどきである。これまで作った事がなかったので、人の見よう見まねだ。過去に父が作った物と何だか見た目も味も違っていたが、あまり気にしない。
2時頃までに何度か電話はあったが、それらは全て携帯電話にかかってくるものだけだ。部屋の電話は朝から電話線を抜きっ放しである。
長い一日に変化をもたらしたのは、5時を回った頃にかかってきた、一本の電話だった。
「はい、もしもし」
『…コンラッド、おれだけど…』
「ユーリ?」
子供の頃のような、つたない胸の高鳴りを感じた。
『あの、さ…今から、そっちに行っていい?』
無論、断る筈がなく。
電話を切って1分も経たない内に、ユーリの足は、コンラッドの自宅の玄関前にあった。
「下の、入り口の所、人がいただろう?」
「うん…あれ、記者かな」
「多分ね」
ユーリは靴を脱いで中へと上がるが、その足取りの重さに、コンラッドは気づかない。
にこにこと人なつこい微笑を浮かべているコンラッドを見ていると、彼という人がユーリには解らなくなってきた。相手の心が読めなくて、見失いそうになる。
じわじわと、居たたまれない心地が強まってくる。相手との心地良い関係を壊すような、みっともない言葉を吐きたくはなかった。
「…いやー、それにしてもコンラッド、すごいな。あーんな年上の美人とラブ…何だっけ、そう、ラブ・アフェアーなんてさ! あんたって、年齢問わずウケがいいタイプっていうか…きっと、保育所に行っても老人ホームに行っても大人気なんだろうなぁ」
「ユーリ…?」
展開が良く飲み込めずに、呆然としてコンラッドはユーリの名を呼ぶ。
「でも結構お似合いだと思うよ、うん! 相手の人もすっごい美人だよな、いくつ?」
「ユーリ、ちょっと待って」
コンラッドの両手がユーリの肩に置かれた。
「さっきから一体何を言っているのか、俺にはいまいち解らないんだけれども…」
「何って…」
おれにも解んないよ。どうしてわざわざそんな事を言うのか。
「…コンラッドの…好きな人ってさ、おれと、あの人、どっちなの?」
震える声が、言葉を紡ぎ出す。
憮然とした表情で俯いたまま、ユーリはコンラッドの顔を見ないでいた。
「そりゃあ…おれはあんたと付き合ってるワケじゃないし、告られたのだってつい2、3日前じゃない、ずっと前。だけど…」
思わず顔を上げると、互いの視線が交わる。ぐっと唇を引き結んでいるユーリとは対照的に、コンラッドの口元は綻んでいた。その笑みにユーリはますます腹を立てた。
「何だよ…おれ、帰る!」
ユーリが痛憤して玄関へととって返したので、慌ててコンラッドはそれを追いかけ、腕を掴んだ。
「っ、もう、何…!」
きっとユーリはコンラッドを睨んだ。コンラッドの嬉しそうな表情に遣りきれない気持ちを抱く。
「ユーリ…妬いてる? 妬いてるよね」
「…」
ユーリが嫉妬している。ひょっとしたらそれは馬鹿な勘違いかもしれないが、それならばいっそ、馬鹿なまま勘違いし続けていたい。
ユーリの視線は天井や壁、床を彷徨ったが、結局、コンラッドの腕に落ち着いた。
「…妬いてる…けど…」
だったらどうしたんだ!とでも言いたげなユーリの目顔。
「じゃあ俺と付き合おう」
「…は?」
唐突に、何をすっ飛んだ事を言っているのでしょーか、この人は。
「だって、俺はユーリが好きで、ユーリも俺の事が好きになったんだから、もう全っ然何にも問題なし」
…コンラッドとヴォルフラムとの相似点を見たような気がした。
コイツら、どっちも強引だ!
「問題あるだろ! あの女の人は何なんだよ。言っとくけど『実はあの人ニューハーフ』なーんて、古典的なウソは無しだぞ!」
「ああ、あれ?」
そんな問題が残っていた事を、コンラッドは綺麗サッパリ忘れていた。
「あの写真の事なら、あれは何でもないんだ。明日になれば解るよ」
コンラッドにとっては、有頂天な今の気分に水を差す代物でしかない。
が、ユーリにとっては、そうではなかった。
「…おれは…今すぐ知りたい」
「…そんなに気になるのなら、これから会って話をしに行こうか」
「会いにって…あの、相手の女の人の所に?」
「そう」
「ちょっと待ってよ、いきなり修羅場にご案内ですかっ!? いや、それ以前の話、外に出られないだろ!?」
表情や声色が普段のユーリに戻ったので、コンラッドは内心安堵した。
「そうだね。でも、非常口からなら出られるよ。多分」
『人』の字を260個程書いて飲み込まなければならないのではないだろうか…と思う程に不安がるユーリとは対照的に、コンラッドは意気揚々としながら、帰りが遅くなっても外から不在がバレない為にと、部屋中の電気を付けて回ったのだった。
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ディモルフォセカをくれた君(12)