You won't leave my mind.(6)

砂漠には珍しい雨の日だった。
「うー…」
「どうしたの、隊長?降参する?」
「ま、待った」
カウンターに乗せた5本の短い棒を用いて、ユアンがジストに謎かけをして遊んでいた。ジストも暇だったので付き合っていたのだが、いやに難しい。先程の一筆書きの問題は何とか解いたが、こちらも同じくらい難しい。
「1本くわえて4本にするんだよな?」
「そうだよ」
分からない。悩みながら天井を仰ぐ。歳を取ったという事か…などとはあまり考えたくないが、的を射ているかもしれない。
「なあ、マリカ」
「何?」
「お前、これ分かるか?」
ジストは仕方なく隣のマリカに助け船を求めた。マリカは訝しげにカウンター上に平行に並べられた5本の棒を見つめていたが、数秒後、おもむろにそのうちの1本を手に取って自分の口に銜えた。
「すごい、マリカ、正解だよ!」
ユアンの歓声。
「は…?」
『加える』ではなく『銜える』だったのか!?
「隊長、頭固いよ。次はねえ…この棒6本で三角形を3つ作って」
「6本で3つの三角形?」
渋々付き合う事にする。あれこれと勝手に浮かんでくる思考から逃れていられる。その手段は酒でもいいが、今夜はあまり快く酔えそうにない予感がした。マリカもユアンの話に興味を示したらしく、身を乗り出してきた。
その時、酒場のドアが開いてドアベルが鳴った。姉が戻ってきたのかと思ったユアンはそちらを見るが、マリカとジストの視線は6本の棒にあった。
「…お師匠さま!?」
ユアンが立ち上がる。勢いよく席を立ったせいで椅子が床に倒れてしまい、それを慌てて起こした。それから彼は酒場の来訪者に駆け寄った。
「何…?」
耳に入ってきたユアンの言葉を咄嗟に理解出来ず、ジストの反応は遅れた。後ろを向こうとして身体を動かすと、マリカの座る椅子に足が当たった。
サレフだった。雨にもろに当たってしまったらしく、髪が濡れている。それでも無表情で落ち着いているのは相変わらずと言うべきか。一応マントは持っていたようだが、それもすっかり濡れてしまっており、服までじわりと雨水が染みていた。
「大丈夫、お師匠さま?」
「ユアンか…変わりないか」
「うん、元気だよ。お師匠さまこそ大丈夫? 風邪ひくよ」
「…大した事はない」
ユアンはサレフの腕をカウンターへと引っ張っていく。
「よう」
「…変わりないか?」
「ああ」
「ねえ、お師匠さま、どうしたの? 長旅になるって言ってたのに…」
「…予定が変わった」
サレフはユアンの隣に座った。
「え? もう終わったの?」
「…今は、人を捜している」
サレフはすらすらとその少女の外見的特徴を子細にわらって並べていった。だが、3人ともその条件に合致するような少女を見かけた記憶はなかった。
「名前は何て言うんだ?」
「…それは言えない。だが、もし見かけたら保護しておいてほしいのだが」
「分かった。そういう子を見つけたら、里に手紙を出す。それでいいな?」
「…すまない」
「ねえお師匠さま、いつ戻ってこれそう?」
「当分先の事だ。…ユアン、私は旅の前に『私が戻らなければ、別の師を探して指導を請え』と言った」
そんな話はジストは初耳で、思わず顔を上げてサレフを見つめた。
ある日いきなり帰ってきたユアンから、サレフが何か重要な理由で旅に出たという事は聞いた。当分戻れそうにないという事も。だが、その旅に命がかかっているとまでは聞いていない。
「やだよ。僕はお師匠さまみたいな魔道士になりたいんだもん、お師匠さまから教えてもらいたいんだから」
「…」
サレフは強情な弟子から視線を正面に移し、俯いて嘆息をついた。…じっとその横顔をジストは凝視した。一体何の為の旅なのだろうか。命まで賭ける程危険なのか。
その視線に全く気づかないサレフが、カウンターに肘をついてまた俯く。頭を押さえている動作にふとある懸念を抱いた。
「おい…サレフ。お前、具合悪いんじゃないか?」
「…」
答えない。試しにユアンがサレフの額に手を伸ばす。
「うわっ、お師匠さま、熱あるよ!」
ぱっと手を離して大仰に言った。まんざら誇張でもないだろう。
「雨にあたって風邪ひいたな?」
ジストも試しに熱を測ってみた。ユアンの言う通り、結構高い。
「マスター、2階に空き1つあるか?」
樽から瓶に酒を移していたマスターが顔を上げた。
「ああ、右の手前から3つ目が空いてるよ」
「分かった。ほらサレフ、立てるか?」
ジストとユアンの2人でサレフを2階まで連れて行った。

酒場の2階は宿になっている。マスターの言葉通り、階段を上った所の右側、手前から3つ目の部屋を使う事にした。
お世辞にも造りは良くない。下の酒場の騒音も聞こえてくる。言ってしまえば安宿だ。部屋にあるのもベッドだけで、他には何もない。強いて言えば窓だけで、豪雨がガラスを打ちつける。一度穴でも空いたのか、壁の一部の色が他と異なっているのが目につく。
2人はサレフを寝台に下ろした。ユアンが枕元のランプに魔法で火を点ける。油はあった。埃が浮かんでいたが。
「とにかく寝てろよ」
「僕、下に行って水を持って来るね」
「ああ、布もな」
「うん」
ユアンがドアを閉めてぱたぱたと降りていく足音。ドアを完全に閉め損ねており、ジストは歩いていってきちんとドアを閉めようとした。なかなか閉まらなかった。
「…お前、この所ろくに休んでなかっただろう?」
「…」
サレフは頭に手を当てながら眉をひそめた。そんな彼を、ジストは横たわらせた。
「一人旅で無理すんなよ」
「…」
「…何だか良く分からないが…その、お前が捜してる女の子ってのは、お前1人で捜してるのか?1人だけなのか?」
「…そうだ」
その返答に対し、何だか言いたい事があれこれ浮かんできたが、病人相手に問いつめるような真似をジストは避けた。会話するのも辛い程具合が悪そうだ。医者でも呼んでくるべきだろうか?
ジストは窓のカーテンを閉めた。カーテンより窓の方が大きいのはどういう事だろうか。それにしても外は珍しいくらい土砂降りだった。テティスは大丈夫だろうか?
「…ジスト…?」
サレフがぼんやりした譫言のような言い方で名前を呼びながら首を動かした。何か用があるのかと思いきやそうではなく、単に、自分がいるのかどうか確かめたかっただけのようだった。
…単純に『憎い』とだけ思ってる訳じゃない。それは確かだ。
だが、だからと言ってどうなのか、それ以上自分の感情を掘り下げる事が出来ない。
嫌いではない、憎んでいる訳ではない。ただ、それから先は分からない。分からないが、明日は後ろ髪を引かれるような思いで別れる事になるだろうと思われた。
雨音がうるさい。下の酒場の喧騒より雨音の方が不快な物音だ。
「……帰って来いよ。必ず」
ぽつりと呟くように言った。
「…」
ドアの蝶番が、油を差せと訴えているような音を立てる。ユアンがよろめきながら桶と布を持ってきたのだ。置く所がないので仕方なくユアンは桶を床に置く。
「それにしても随分降るねえ。お姉ちゃん、遅いなあ」
「んじゃ、その辺りをちょっくら見てくるか」
「えっ、僕が行くからいいよ」
何故ユアンがそこで急に顔色を変えたのか、ジストには理解出来ない。時々よく見られる反応だが、思いあたる節がなかった。
「お前はここでサレフを看てろ」
「え?あ、ちょっと。…ん、もうっ」
ユアンは多少不満があったが、それでもジストを追いかけるより師匠の看病を取った。

前へ  
次でサラっと終わりです。