余裕のない所を見せて欲しかった。
だが、熟慮なしにエフラムを引っ張って来たのは失敗だったとしか言いようがない。
黙って部屋に連れ込まれた彼は、何が何だかさっぱり解っていないようだった。
「ヒーニアス…?」
エフラムは何の目的で彼が自分を部屋に連れてきたのか、その理由を考えてみた。考えながら、目の前の人物に言われるままに唯々諾々と寝台に座った。何か用件があるのだろう。無意味に自分と談笑するとは思えない。こちらとしてはそれも悪くないのだが、ヒーニアスの基準では、それは時間の浪費でしかないのかもしれない。
「で?」
エフラムがのんびりと用件を聞こうと思うと、いきなりヒーニアスに押し倒される。ああ、そういう事かと、ようやくエフラムにも察しがついた。
「なあ…するのか?」
ヒーニアスの目には、思いの他エフラムの態度は冷静なものに映った。
「…貴様が嫌なら止めるが」
「嫌だなんて言ってないぞ。するのかしないのか聞いてるだけだ」
言い返した途端に少し悲しい気分になった。…何故、そんなつまらない事で、言い争いになりそうな雰囲気になるのだろう。
ヒーニアスの手が自分の服にかかる。それを特に拒みはしなかったが、する事をする前に扉の施錠の有無が気になっていた。
「ドアの鍵、かけたか?」
「いや…」
ヒーニアスは自分の迂闊さを指摘され、扉まで再度赴いて鍵をかけた。気恥ずかしい空気の中を歩いた。
振り向くとエフラムは自分で衣服を脱いでいたが、そのあまりの躊躇の無さの為に、何処まで行ってもエフラムの方が余裕があるようにヒーニアスには見えた。経験があるのかという疑念が湧く。その疑念が湧くと、次に嫉妬の感情がむくむくと首をもたげてくる。
再度エフラムを横たえた。すると、相手の両手がこちらの服に伸びる。思わず上体を引こうとすると、強く胸元を掴まれた。
「お前も脱げよ」
「…」
結局、エフラムの好きにさせる事にした。黙々とお互いに衣服を脱がし合う。ややもすれば、その気が無くなりそうな変な雰囲気だった。エフラムの態度にその気が感じられない。単なる好奇心しかないのだろうか。
「…なあ、ヒーニアス」
唐突にそのエフラムが口を利いた。
「どうした」
「俺は、どうしたらいいのか分からないんだが、それでもいいか?」
「…」
「誰かと付き合った事なんてないんだ」
そんな事をよくもまあ、けろりと臆面もなく口に出来るものだとヒーニアスは思う。口に出して言うべきではないような事ではないが、しかし恥ずかしがるのが普通ではないだろうか。
少なくとも、自分だったら絶対に言いたくない。特にエフラムの前では。
言いたくはないが………この状況下ではすぐ露呈してしまうだろう。
風邪をひいたように、熱に浮かされる。こんなものなのかなと思う余裕はあったが、些少な余裕だ。
見られている、と意識してしまうと、とてもではないがやってられないような気がする。何処までもヒーニアスに任せていていいのかどうかという疑問はあったが、さりとて、どうしようもない。ヒーニアスが何も言わないので、エフラムも殆ど口を利かなかった。
ヒーニアスの所作を見ても、彼の経験の有無の判別は付きかねる。あったとして、その相手が誰なのかは…あまり考えない事にする。考えても仕方の無い事だ。今は集中しないと、目の前の相手に悪い。
「…エフラム…」
「ん…何だ?」
ヒーニアスが顔を上げないので、互いの視線が交わらないままに会話が続いた。
「……感じるか?」
「…」
エフラムからの返答はない。ヒーニアスが仕方なく返答を促すべく顔を上げると、エフラムは愛想のない表情を横に向けている。
「どうなのだ」
「…」
「エフラム」
いつまでも何も言わない彼に対して、やや棘の含まれた口調で詰める。すると不意にエフラムが起き上がった。そしてこう言った。
「そんな恥ずかしい事、聞くか!?」
上体を起こした途端、エフラムのの顔は紅潮の色に染まってた。
「大体、感じるかどうかなんて分かるか! 誰かと付き合ったなんて事ないって、さっき言っただろう」
逆に今度はエフラムからヒーニアスに詰め寄ったが、ただただヒーニアスは目を丸くしていた。
エフラムの内面ではそれなりに羞恥心が出張ってきていたらしい。だったらもっと、それを表情に出してくれたなら、こちらとて恥をかかせるような台詞を言わせようとしなかったのに。
「…俺はどうしたら気持ちいいのかも知らない。だったら、お前の好きなようにすればいい」
「…」
「ほら」
エフラムは続きを催促する意味でヒーニアスの肩を掴んだが、その時、ヒーニアスの口からぽつりと言葉が漏れた。
「……私も分からないのだ」
「…何?」
「こういう行為における勝手が分からない」
エフラムの顔はこう問いたげだった。…経験ないのにも関わらずいきなり俺を連れ込んで来たのか、と。そうだとしか答えようがない。
「だから、貴様の方からどうして欲しいのか言明してもらいたかっただけだ」
もしかしたら自分が性急すぎたのかもしれない。
「…」
エフラムが再度ヒーニアスの肩を掴む。
「続き、するんだろう?」
自分と比較して表面上に緊張の色が見えていない。腹を立てるのを通り越して、ここまで肝が据わっているとなると最早感嘆するしかない。一体身体を繋げるという事を、どういう事だと考えているのだろうか。
「…勝手が分からないのだが…私の思うようにすればいいのか?」
「うん…そうだな」
ヒーニアスは仰向けに横になるエフラムの表情に目を遣りながら、手をそろそろと下腹に伸ばした。後、他にどうすれば良いか思いつかない。
エフラムの口元が少し歪んだように見えた。
「嫌か」
思わずそう尋ねる。
「いや…続けていい」
今晩のヒーニアスには調子を狂わされる。自分は壊れ物のように扱わねばならないような繊細な人間ではないだろうに、何でこういう時ばかり優しくするのだろうか。それは、緊張してはいるが、自分は恐怖を感じてはいないのに。緊張する理由はあっても、恐れる理由はない筈だ。
他人に高みに追い込まれる感覚は、無論初めて味わうものだ。何というか、どう言ったら良いのだろうか。客観的に見ればひどく屈辱的な事であろうに、しかし、そのまま継続してほしいと思う。
「お前も」
息を切らしながらエフラムが言った。
「私はいい」
「いいから…」
横になったままでも、手を伸ばせば何とか届く。触れると露骨にヒーニアスが嫌そうな表情をした。そこまで嫌がらなくてもいいのに、と思う。だが、理由は解る気がする。
「俺だけだと、何だか狡いだろう…?」
たったそれだけの言葉を紡ぐのにも労する程、エフラムは息が上がっていた。
首筋をきつく吸われる。少し痛い。痛いが、嫌ではない。
ああ、こいつが好きだな。
…そう、唐突に考えた。
「っ…ふ…っ…」
エフラムの表情は苦悶に呻くようなものに似ていて、しかし、異なっていた。キスしたくなって唇を押しつける。息が苦しくなるので長く続かない。あまり目を開けてこちらを見ないでほしかった。今の表情は他人の前には晒したくない。相手がエフラムでも同じ事だ。
「エフラム、もういい」
そう言うと素直にエフラムは従った。渇望に近い感情が両者の間には介在していた。
心以上に、身を繋げるのは容易にはいかなかった。部屋に漂う沈黙を揺さぶるのは呼吸以外に何もなかった。
エフラムの眉根がきつく寄る。不快感からか違和感からか、それとも両方からか、唇がややわなないていた。彼が大きく息を吐く。
余裕のないエフラムが見たかった。だが余裕のなさを通り越した、苦悶に歪む表情が見たい訳ではない。
「…っ、大丈夫か」
が、エフラムにしてみれば、ヒーニアスのそんな気遣いなど無用だった。
「いいから早く、奥まで入れろっ」
手加減なしでいく事に躊躇いがあったが、エフラムがそう言う以上、もしかしたらその方が彼にとっては楽なのかもしれない。ヒーニアスはそう考え、内奥まで進んだ。
口で何と言ったとしても、エフラムにしてみればいい気分ではなかった。痛いし、きついし、苦しい。しかし、トータルすると何だか『気持ちいい』と言えるような感覚だ。自分がおかしいのだろうか。それともこういうものなのだろうか。
「ヒーニアス…」
他人の鼓動を間近に感じる。
「っ…目を閉じていろ…」
「何でだ?」
そう理由を聞いた直後、ふと気づいてつい笑ってしまう。こんな時でも自分の妙な矜持を貫き通すヒーニアスの、その『らしさ』に対して向けた笑みだ。
しかしヒーニアスの瞳には、その笑みの意味する所は余裕にしか見えなかった。その気はないのに、集中してくれていないように思われて、つい乱暴にしてしまう。
「あ…っ…!」
たまには、こちらの思うようにしたい。
どうせ終わったらまた、いつものように、しれっとした態度に戻るのだろうから。
「ヒーニアス…」
「…っ…好きだよ」
…。
空気が冷めた頃、
「すまなかった」
唐突にヒーニアスがそう口にした。呟くような小さい謝罪の言葉だった。
「はあ…何がだ?」
エフラムは気怠げな声でこちらを向いた。
「…ああ。腰、痛めた事か? 別にどうって事ないよ」
本音を言うと、『起き上がるのも嫌な程腰が痛くてたまらない』のだが。
2人で横になるには些か窮屈な寝台だったので、必然的に身を寄せ合っているしかない。ヒーニアスはその狭苦しさに寛容になれた。
「暑い…」
が、エフラムの方では少しヒーニアスから離れた。今更文句はつけない。言っても仕方ない。こういう男なのだ。
ふと、1つだけ、まだ彼にやり返していない事があったのをヒーニアスは思い出した。
「エフラム」
「ん? 何だ?」
数倍以上のお返しを叩き付けて、その反応を見てやりたい。
「お前を愛している」
(おわり)
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First things first(2)