告げられて、
そして、答えた。
同じような言葉を彼にやった。
けれども、
…それだけ。
一体、こんな自分に何を望むのだろうか。
軍略会議の最中に、そんな事を考えている。
後でそれをうち明けようものなら、不真面目だと言って自分を叱咤するだろう。
しかし、話をする機会が出来るのなら、そのついでに叱られるくらいの些細な憂き目は見ても良い。
以前、つまり面倒な事態になるから会いたくないと思っていた時に限って、何故か顔を付き合わせた。
そして今現在、2人でいるのも悪くないと思えるような時に限って、そうはいかない。
何故かふっと口元が緩んだ。おそらく、苦笑いに類される笑みだった。
「先刻は何を笑っていたのだ?」
「いや、別に。ほら」
エフラムは地図を畳み、突きつけるようにしてヒーニアスに差し出す。それが冷淡な態度からきている所作ではない事は、ヒーニアスには分かっていた。この男の所作1つ1つに繊細さを感じた事は、一度もない。有り体に言えばがさつなだけだ。誉められる点ではないが。
「エフラム様、ヒーニアス様、後は我々の方で片づけておきますので…」
そのカイルの申し出を素直に受け入れて、2人は会議室を後にした。
廊下を出た後は無言の時間が続く。ヒーニアス相手の話として適していると思われるような話題を、エフラムは全く思いつかない。
「なあ…」
とりあえず今朝砦の近くで見かけた野ギツネの話でも、と思ったのだが。
「エフラム、先程は何を笑っていた?」
先にヒーニアスに話を振られた。それも、また同じ質問だった。
「何って…別に、何でもないさ。どうかしたのか?」
「…会議の最中に不謹慎だ」
「そうか、すまない。今度から気を付ける」
「…」
会話が途切れる。
人通りのないこの廊下の、何処から何処まで自分の声が響くのかは分からない。だが前後を見る限りでは全く人気がない。
「…何をしている?」
ヒーニアスが立ち止まって振り向いた。彼とエフラムの間に身長差は殆どない。若干ヒーニアスの方が高いが、それも僅かな差だ。
「なあ、俺はどうしたらいいんだ?」
「何だ、出し抜けに。一体、何の話をしているのだ?」
「この間の事だよ」
ヒーニアスは眉を潜めた。どうやら彼の機嫌を損ねる発言をしてしまったらしい。が、構わずエフラムは続けた。この男が自分に腹を立てる事などいつもの事だ。しかも、理由の分からない場合が殆どだった。
初めて彼から本心をうち明けられた時もそうだった。エイリークとターナと3人で街に行ったのだが、帰ってきてみれば何故かヒーニアスは怒っていた。外出する件はゼトに伝えてあったし、ターナと2人というのならともかく、妹も一緒だった。危険な場所に行った訳でもないのに、何故か自分はヒーニアスの不興を買った。
「どうしたらというのは、つまり、どういう事だ。今になって気が変わったのか」
「そうじゃない。どういう風にお前と付き合えばいいのか分からないんだ。今まで通りでいいのなら、それでいい。だが、それじゃ何の違いもないんじゃないかと思ったから…」
「…」
ヒーニアスは沈黙してエフラムの言葉の意味を反芻した。程なく、彼が言いたい事を理解した。珍しく困惑しているエフラムを見ると、意地が悪いが、優越感がこみ上げてくる。今まで、エフラムには、自分を見向きもしていないように幾度も感じさせられてきたからだ。
「貴様はどうしたいのだ」
「俺は、別に、どうしたいとも思ってない」
エフラムは、いつもながらの可愛げのない態度で可愛げのない返答をヒーニアスに寄越した。
「ヒーニアス、お前はどうしてほしい?」
「私に決めさせるのか?」
「ああ」
そうやって質問に質問を返すやり方がヒーニアスは嫌いだった。話の本題にすぐに突っ込まず、遠回りしているようなもどかしさが感じられるから。
「…別に、これまでの貴様で構わない」
「ふうん…」
ヒーニアスはそう言うとさっさと歩き出した。エフラムは意外そうな反応を見せたが、一応納得したようだった。
これまで通りで良いのだが、しかし、先日のような真似
自分が見るのはエフラムの背中ばかりだった。それがやっと振り向いたばかりだ。が、今更そのエフラムに何を求めたとしても、相手が相手だ。さして期待が持てる筈もない。
何もしなくて構わない。彼の目が自分に向いている、その事実がある。
「…」
彼の後ろ姿に目を遣って、ふと、エフラムは少しだけヒーニアスの気を引きたい衝動に駆られた。
「ヒーニアス」
エフラムが唐突に背後から彼の肩に手をかけた。
「なん…」
ヒーニアスが振り向いた矢先、彼の頬に1つ、唇が落ちた。
その、あまりに予想外な行動に…不覚を取って、間の抜けた表情を晒してしまった。
「驚いただろ?」
咄嗟に仕掛けた悪戯の成功に対し、エフラムは内心喜んだ。ヒーニアスの頬が仄かに赤くなったのも気に入った。あまりにヒーニアスが自分と比較して余裕綽々に見えたので、彼を少しからかってみたくなったのだ。無論、怒られるだろうと思ったが。
予想と反してヒーニアスの機嫌が損なわれた様子はなかった。
ただし、一体何を思ったのか、彼はこちらの肩を強く壁に押しやった。
「ヒーニアス、なに…」
エフラムが皆まで言うより先に遮られた。壁に身体を押しつけるようにして、ヒーニアスは彼と口脣を重ねた。ヒーニアスは自分の衝動を抑制し得るくらいの冷静さは持ち合わせているだろうに、何故なのだろうかとエフラムは考えた。
…こんな所でこんな事をしていいのだろうか。
そんな考えが頭にちらついて、エフラムはヒーニアスの身体を押しやった。
「っ…ヒーニアス、人が通るだろう」
そう彼に諭され、ヒーニアスは己と彼の両者に対して腹が立った。
ここには、エフラムの方が悠然としており、自分だけが心をかき乱されている事実がある。
そして、自分はたかがキス1つで動揺してしまった。それが許せなかった。
ヒーニアスが舌打ちする。彼がそんな品のない仕草をするのは珍しいなと、エフラムは思った。
唐突に腕を掴まれ、そのまま何処ぞへと連行されていく。
「ヒーニアス? おい、一体何処に行くんだ?」
「いいから来い」
苛立っているような声だったが、怒っているようには感じられなかった。
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