哀れなる人、罪の下僕(1)
王位禅譲の直前に出現した二人目の寵愛者は、あの平民出身の四代目もかくやと言うような、育ちの知れる貧相な子供であった。
分相応という言葉を知らないのか、城に着いて早々、不遜な態度でこちらを見上げてくるのを見て、タナッセの頭の中で警鐘が鳴らされた。ああ、こいつはろくでもない人間だ、この城に呼ぶべきではなかったと。
初対面でタナッセが受けた印象は正しく、彼――レハトの意地の悪いことといったらなかった。母を亡くしたばかりの孤児、といえば哀切を誘う響きだが、本人はまったく子供らしい愛らしさとは無縁であった。このような人間に寵愛の徴を与えるとは、神とは、なんと陰険な性根をしているのかとさえ思った程だ。
本当に憎たらしい少年であった。品もなく教養もなく、そのくせ妙に狡猾で、嫌らしくも人の心の急所を探し当てる事に長けていた。顔を合わせるたび、何度矜持を傷つけられたか知れない。こちらが城で孤立している事を知った上で、大事にならない程度に、人の心に棘を刺してくる。その度に、どうして母はこんな者を城に招き入れたのかと、恨めしくさえ思った。
タナッセの理解の範疇を超えて、ヴァイルはレハトと和気藹々だった。二人目の出現を知った時の反応から予想はしていた事だったが、タナッセとレハトの不仲を知るや、ヴァイルは躊躇無くレハトの肩を持った。十年以上も共に暮らしてきた自分ではなく。
あんなのと付き合うのはやめろと喚きつつ、内心では諦めていた。やはり自分では無理だったのだと、己の意気地のなさを言い繕うことが出来る代わりに、耐え難いほどの嫉妬の念に襲われた。自分がどうしても手に入れることの出来ないものを、目の前ですんなりと手に入れていく存在。ただそこにいるというだけで、人は誰かをこれほど憎悪することができるのかと思った。
ヴァイルの方はともかくとして、果たしてレハトの方に、ヴァイルに対する真情があるのかと疑って見たことはある。腹立たしいことに、彼の狡知は、ヴァイルを喜ばせる事においても遺憾なく発揮されていた。単純ではあるが馬鹿ではない筈なのに、何故ヴァイルがそこまで易々と篭絡されていくのかと、レハトの手練手管を空恐ろしく思った。十年以上生活を共にしてきたタナッセですら把握しきれていなかったヴァイルの嗜好を、レハトはいち早く見抜いた。彼が女性を選択すると言い出したのを知って、その露骨な計略に軽蔑の念すら抱いたのだ。
だが、ヴァイルにとってそうであったように、レハトにとってもヴァイルは特別だった。選定印を与えられた神の愛し子同士、互いに手を伸ばしたのは必然だったのだ。
同じ寵愛者であっても、母リリアノすら、あの二人の間に介在する絆には入り込めていなかったと思う。様々な思惑があったのだろうけれど、母の様子からは、弟の遺児が良き理解者を得た事を、内心喜んでいるのが伺いしれた。
解っていた。レハトは望まれる存在で、自分はそうではない。もっと早くディットンに去ることも出来たものを、ぐずぐず居座ったのは意気地のなさ故だ。


――あの馬鹿げた取引が、二人に対する面当てにすらならないことは、タナッセにも解っていた。レハトが取引に乗ろうと乗るまいと、本気で自分と結婚などする筈がない。当たり前だ。自分とヴァイルとを並べて、自分を取る者が一人としているものか。
自分で持ちかけておきながら、レハトが取引に頷いた瞬間、タナッセの胸中に湧いたのは凄まじい憎悪だった。こちらの提案に頷いた時の、レハトの見下した顔といったらなかった。
口ではどうとでも虚勢が張れても、彼と自分を比べて、何一つ敵うところなどないという現実。自分は、彼の踏み台にもならない凡庸な人間なのだという事実。
にも関わらず、執拗にレハトが自分を憎悪するのは何故なのか。それは性格の問題では説明出来ないことで、だからこそ、もっと早く気づくべきだったのだ。
その憎悪が逆に、レハトのヴァイルへの執着心を示していたのだと。


だが間もなく、ヴァイルがレハトを避けるようになった。
それに気づいた時、タナッセは内心、あの取引のことが知れたのかと畏怖していた。けれどもタナッセの憂慮は全く杞憂で、ヴァイルも、そしてレハトも、タナッセを無視していた。一体何があったのかとこちらが訝しまずにはいられないほど、二人の仲はおかしくなっていった。
結局、レハトも自分と同じだったのだ――そう思えば、あの魔術師の提案に乗ることへの躊躇いも多少は薄れた。だって、自分のような誰にも必要とされないものが、二人もいても無意味ではないか。何もしてやれないくせに思い切ることも出来ず、ただ他人を羨むばかりの見苦しい存在など、この城には、ヴァイルには不要な存在なのだ。
魔術だなどと、おぞましい手段を用いて徴を手に入れたところで、今更、自分が誰かに認めてもらえるとは思えなかった。ただ、自分の居場所が奪われた挙げ句、それがまるで無価値なもののように放り捨てられることが我慢ならなかったのだ。
タナッセの手落ちは、あの魔術師の男に良心や道徳的観念がひとかけらでも存在すると期待していたことだ。事前に「命までは奪わない」と言っていたのは全くの虚言で、この男は、己の欲望の為に他人を平然と弄ぶ下劣な人間なのだ――そう気づいた瞬間、自分がこの魔術師と同じ所に堕ちるとしていると気付き、恐怖を覚えた。

抱きかかえたレハトの身体は小さかった。

――私は、こんなちっぽけなものに追い立てられて、堕ちるところまで堕ちようとしていたのか。


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