コンラッドは城の中を、ダカスコス(が、持っている筈のノート)を求めて疾走していた。
目指すはギュンターの部屋だ。ダカスコスはグウェンダルの命令でギュンターの所にあのノートを届けに行ったそうだから、途中で会える筈だ。
何としてもギュンターの手に渡る前に、ノートを取り返さなくてはならない。ギュンターに見られたらと思うと…コンラッドの頭には最悪の想像が浮かぶ。
きっと彼は騒ぎ立てる。その上、城中にあのノートの事が広まってしまうかもしれない。
そうしたら、ユーリにまで知られてしまうではないか!!
「ギュンターっ!」
ドアに手を伸ばすのももどかしくて、コンラッドはギュンターの部屋の扉を荒々しく蹴破るつもりで、廊下の角を曲がった。
そして、向こうから来た誰かに思い切り衝突してしまった。
勢いでつんのめるコンラッド。おでこがかなり痛かったが、何とか持ち直して体勢を整える。
そして、彼は自分の進路に立ちはだかった不届き者の顔をキッと睨み付けようとしたが…その相手は何と、ギュンターだった。衝突の際に床に尻餅をついてしまったままの体勢で、額を真っ赤に腫らして、コンラッドを見上げている。
「…コンラート…」
ギュンターは至って普通だった。それに、あのノートを持ってはいない。
良かった…間に合ったのだ。コンラッドは安堵した。
「悪い、ギュンター。大丈夫か?」
コンラッドはすっと彼に手を差し伸べた。
だが、ギュンターの表情が真っ青な事に気づいた。整った唇もわなわなと震えている。
…嫌な予感がして、コンラッドは逃げだそうか誤魔化そうか一瞬迷った。
その一瞬の間に、ギュンターが立ち上がり、がばっ!とコンラッドに詰め寄ってその胸ぐらを掴んだ。
「どういう事なのですか、コンラート!! あの小説は一体何なのですか!?!?」
一気にギュンターが目から鼻から汁を噴出し始める。
やっぱりバレていた!
どんなに汚い字であっても、かつての師だけあって、ギュンターはしっかりあの小説がコンラッドの手によって書かれたものだと見抜いていたのだ。
「陛下に夜這いをさせるなどとっ、は、破廉恥な事ばかり書いてっ……私は貴方を、あのようなものを書くような武人に教育した覚えはありませんよ!」
「わ、解った、解ったから放してくれ」
ギュン汁がつきそうだったので、コンラッドは力ずくでギュンターを振り払った。ギュンターは絹のハンカチを取り出して、かつての教え子のあまりの所業にむせび始める。
「…で、ギュンター、そのノートは何処にあるんだ?」
「っ…分かりませんっ…何処かの廊下で拾いましたが、ここへ来る途中で落としてしまいましたっ…ぐすっ…」
「な、何いっ!?」
夕方になった。
コンラッドは必死で、そう、必死で秘密ノートを探し求めたが…結局、見つからなかった。
どうしたら良いのか分からず、コンラッドは自室に戻って途方に暮れる。
そろそろ夕食の時間なので、ユーリを呼びに行かなくてはならない。
だが…夕食の席に出たくない。自分の目の前に、あのノートを拾った誰かがいたとしたら…想像するだけで耐えられない。
しかし、呼びにいかない訳にはいかない。
コンラッドは大人しくユーリを呼びに向かった。
魔王陛下の私室までの道のりがひどく短く感じられる。
この道のりの途中にでもいい、あのノートが落ちていたならどんなにいいだろうと思いながら、彼は廊下を歩いて行った。
部屋まで着いて、扉を開けると、ヴォルフラムとユーリの話し声が中から聞こえてきた。
「…でもさあ、これ、ホントにおれのなの? おれ、こんなの書いたかなぁ…?」
椅子に座ったままで、首を傾げるユーリ。
「お前以外に、こんな子供みたいな汚い字を書くものがいる筈ないだろう」
ユーリの目の前に仁王立ちになっているヴォルフラム。
その2人の間には…何と、コンラッドが探し求めていたあのノートがあった。ユーリがしげしげと開いて眺めているのは、紛れもなく彼の魔王陛下激ラブ妄想小説(R-90)だ。
「へっ、陛下…!?」
驚愕と恐怖のあまり、コンラッドの声が裏返った。2人がくるりとコンラッドの方を向く。
「ああ、コンラッド。もう夕食の時間?」
「え、ええ……陛下、そのノートは…?」
「ああ、これ? ヴォルフが拾って来たんだよ。おれのじゃないか、って」
「…」
「おれ、こんなの書いた覚えないんだけどなあ…でも、こんなヘッタクソな字を書くのは、おれぐらいだよなぁ。…まさか、おれ、若年性健忘症?」
「何だ、そのジャクネンセイケンボウショウとかいうのは。男か?」
…。
…この様子だと…ひょっとしてユーリもヴォルフも、あのノートの中身が何なのか、解っていないんだろうか?
「でも、これ、何て書いてあるんだろう? 全然読めない」
「でもユーリ、所々に…ほら、お前の名前があるぞ」
…それは、ユーリ相手の妄想小説なのだから、ユーリの名前が多く登場して当然だ。
「本当だ。あーでも、それしか解らないや。しっかし、おれってこんな字書いてたんだなあ…後になって読み返すと恥ずかしいよ」
自分の気持ちがおマヌケな形でバレるような事はなさそうなので、コンラッドは安心した。
「ま、いいや。夕食の時間なんだろ? 行こうぜ、ヴォルフ」
ユーリはノートを机にぽん、と置いて、椅子から立ち上がった。
コンラッドが柔和な微笑を浮かべて、その背中を優しく押す。
…それと同時に、彼はそーっともう一方の手を机に伸ばし、ノートをかすめ取ろうとしたのだ。
何故かノートは1冊だけしかないので、他の2冊の行方が気になるが、それよりもまずは目の前の1冊を奪還しなくてはならないのだ…が…。
「何をしているんだ? 行くぞ」
ヴォルフラムが振り返ったので、コンラッドはばっと手を引っ込めた。
「…どうかしたのか、ウェラー卿?」
「いや…何も。さ、行くぞヴォルフラム」
…その日が、コンラッドが3冊の秘密ノートを見た最後だった。
1冊は、何も知らないユーリの手によって、そのノートはコンラッドの知らない何処かへと収納されてしまったのだ。
そして、もう2冊は……
「…はあ」
ギーゼラはノートを閉じると、上を向いて感嘆の吐息を漏らした。
彼女の隣にはアニシナが、ペラペラとコンラッドの秘密ノートをめくっている。彼女達が見ているのは、アニシナが複製した方のノートだ。本物はコンラッドに返してしまったが、無論、彼は自分の妄想小説がどっさり複製された事など気づいていない。
「男性の書いたやおい小説なんて、見るの初めて。結構スゴイのね…って言うか、こんなネタが何処から出てくるのかしら…」
「コンラートがあんな澄ました顔をして、こんないかがわしい事ばかり考えているとは、わたくしも驚きでした」
2人はゆったりとコンユ小説を読み耽っている。それを邪魔する者は、まずいない。彼女達がいるのはアニシナの実験室だからだ。防音も完璧なので、どんな腐女子的雑談も思いのままだった。
「しかし、実に面白いですね」
「そうね。あの人、同人本とか持ってるのかしら……」
「さあ…もし持っているとしたら、一度拝見したいものですが…」
…2人の頭に、同時にとある考えが浮かんだ。
「…フォンクライスト卿。今考えたのですが…この小説、出版して売り出したら…国中の女性にバカ売れすると思いませんか?」
「今、ちょうど私もそう思った所よ。そうだわ、これは同人活動を広める絶好の機会じゃない」
2人は視線を交わした。
「…書かせてしまいましょうか、コンラートに」
「ええ…そうしましょう、フォンカーベルニコフ卿」
どうやって書かせるか。
…このノートをネタにやさしーく脅迫すれば、雑作もない事だ。
「では、私が編集を務めましょう。貴方には自分の同人活動がおありでしょうから。その代わり、暇な時で構わないのですが、推敲を手伝っていただけませんか?」
「ええ、いいわよ。楽しみね…上手くいけば、イベント開催もそう遠くないかも」
「全く」
フッフッフ、とほくそ笑み合う2人の腐女子。
…フォンカーベルニコフ卿アニシナの新たな自費出版作品の内容が決定した瞬間。
その頃。
グウェンダルは夕食後にいきなり自室に押しかけてきたギュンターへの対応に苦慮していた。
「ぐすっ…何という嘆かわしい事でしょう…」
ちーん、と洟をかむギュンター。鬱陶しくて構っていられないので、グウェンダルは椅子に座って本に視線を落とし、無視を務めていた。が、
「聞いているのですかグウェンダルっ!」
ギュンターが膝にすり寄ってきたので、気色悪さに身を捩る。
「よりにもよって、陛下に対してあのような破廉恥な妄想を抱いて、しかもそれを小説にしたためるなど…!」
「…小説の事については、お前も人の事をとやかく言える筋合いではないだろう」
「!! なっ、何の事ですか!?」
しらばっくれても、ギュンターが偽名で陛下ラブラブ夢日記を執筆・出版している事は、グウェンダルは知っていた。
「あ、貴方こそ…こっそりと陰でお手製のあみぐるみやビーズ細工の作品を、商標をつけて売りだそうとしているそうではありませんかっ!」
「!! な、何故それを…い、いや、そういうお前は、先日陛下のお召し物の匂いを嗅いでいたそうではないか!」
「あ、貴方だってこの間っ……
眞魔国の男は秘密がいっぱい。
(おわり)
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