玉菜畑でこんにちは
「ティバーン…貴方に謝りたかった事があるのです」
砂漠の向こうから生還してきたかつての友が、意気阻喪した様子でいきなりそんな事を言い出したものだから、ティバーンは一体何事かと訝しく思った。
謝られるような事がある、と言われても、ティバーンには何ら思い当たるところがない。
むしろ謝るべきは自分の方であるような気がする…彼の弟との事について、だが。
ラフィエルの方は何も気づいていないらしく、再会した時もティバーンに向かって『ずっと父上と弟達を保護して下さり貴方には感謝して』云々、と陳謝していた。
ロライゼ王とリアーネの事だけなら、どういたしまして、と普通に答えられる。だがリュシオンの事については、ラフィエルに説明しなくてはいけない事項が色々と出てくる。まさかこういう事になるとはラフィエルは予想していなかっただろうし、彼がリアーネの様にあっさりとこの事実を受け入れてくれるとは思えない。
無論、ラフィエルが何と言おうがティバーンはリュシオンとの関係を断つつもりは毛頭無いし、ラフィエルが納得するまで説明し説得するつもりではいる。だがその為にはどう切り出せば一番いいものだろうか…。
「ティバーン?」
「ん?」
「…どうかしたのですか?」
「ああ…なんでもねえ。で、謝りたい事ってのはなんだ?」
「…昔、私は…貴方の事を嘘つき呼ばわりした事があったでしょう。覚えていますか」
「昔? …ああ、あの事か」
ティバーンは壁を見つめながら、昔の事を思い出した。
そうだ、そんな出来事がその昔あった。
あの時もちょうどこんな風に、日の差すセリノスの森の中で、ラフィエルと向かい合って立っていたのだ。



「…そ……そんな事、信じられません」
そう、あの時。
あの時のラフィエルは色の白い頬を更に白くさせて、ティバーンから少し離れて後じさったのだった。
「信じられない、って言われても…それが本当の事なんだ、ラフィエル」
「そんな…そんな…」
少し衝撃が強すぎたか…言い方がまずかったのだろうか。ティバーンは困惑しているラフィエルが少し可哀想に見えてきた。ラフィエルの肩も声も震え、眼が動揺でうろうろと焦点を定めず彷徨っている。
「ティバーン、わ…私はやはり、そんな事、到底信じられません…」
「ラフィエル」
「子供というものは、つがいとなった男女が閨を共にすると授かるのでしょう!?」
「…まあ、間違っちゃいないんだが…」
…が、しかし。
「閨を共にして、そうして朝まで一緒に過ごせばよいのではないのですか!?」
そこら辺からが違う。ラフィエルの知識には、重要なところが欠けているのだ。
「だから…言ってるだろ。単に、一緒に寝るだけじゃないんだって」
ティバーンは溜息をついた。
…まさかまさか、自分がこんな事を説明する日が来ようとは思わなかった。しかもラフィエルに、だ。リュシオンぐらいの幼い歳ならともかく、この歳でこれはないだろうと思わずにはいられない。
玉菜畑でどうのこうのと言い出さなかっただけましかもしれないが…いずれセリノスの王位を継ぐ者がこれでは流石にいけないだろう。そう思ってティバーンは、重要なところを付け足してラフィエルに教えてやったのだ。いちおう言葉を選んだつもりだったのだが、見た目も中身もまっさら清純なラフィエルはなかなか真相を受け入れられないようで、今にも泣き出しそうである。
「…私の父上と母上は、そんな事なさりませんっ!!」
そう言うと、ラフィエルは泣きながら純白の翼を広げて空に舞い上がってしまったのであった。



「そうか、お前結婚したからな…」
「はい…」
その歳にしてようやく真実を悟ったという事か。それにしてもまあ、何と遅いことか…。
「その…余計なお世話かもしれんが、何か問題はなかったのか?」
「女王との結婚に際して、ですか? 私の無知な事については、女王も初めは驚かれていましたが…狼狽え不安がる私をあの方は『可愛らしい』と宥めてくださり、あのしなやかで力強い腕で私を抱きすくめ、そして優しく…って、何を言わせるのですか貴方は!」
ラフィエルは真っ赤になってあたふたと部屋の中を右往左往し始めた。
「そ、そうか…」
ラフィエルの口から惚気話を聞かされる日が来ようとも思わなかった。幸せそうで結構なのだが、正直、聞いてもあまり楽しくない。
「と、とにかく……その節は、大変貴方に失礼な事を言ってしまいました。本当に申し訳ありません」
「気にすんな。あの時は俺の方も、お前の性格を深く考えずに突っ込み入れちまったからな」
「貴方は真実を私に教えてくれただけです。でも…私は…」
「なんだ?」
「…あの頃の私は…貴方の言う事を結局受け入れられず、弟達に真実を教え諭してやる事が出来ませんでした。ああいう事は年長者の私の役目だったのに…」
「…」
そこへリュシオンが何の前触れもなく、部屋の扉を突然開けて入ってきた。ノックを忘れたのは、何やら相当急いでいる為らしい。
リュシオンの背後にはネサラがついて来ていた。こちらは何やらげんなりしたような表情で、ティバーンの方には目もくれない。いつもの事だが。
「兄上、ここにいらしたのですね。兄上からもネサラに言ってやって下さい」
「ネサラが、どうかしたのですか?」
「こいつは、私に嘘をつくのです!」
リュシオンはそう言って、後ろのネサラをびしっと指さした。
「だーかーらー、嘘じゃないって言ってるだろ。何で信用しないんだよ、昔馴染みだろ?」
「そう言っても私は騙されないぞ。お前の言うような方法で子供が出来るものか」
ラフィエルとティバーンは顔を見合わせた。奇しくも、この二人の話題もその問題らしい。
「お前が言ってる方法の方が、よっぽど有り得ないだろうが…」
「そんな事はない! 子供は、つがいの男女が接吻すると授かるのだ!」
「はン、何言ってんだ。それだけで子供が出来るんなら、俺とリアーネの間にとっくの昔に出来てるだろうが」
「あれはまだ幼かったからだ。私ともした時『こんな事して大丈夫だろうか』と私が訊いたら、お前は言ってただろう。問題ない、と」
「問題ないってのはそういう意味じゃなくて…とにかく、お前がこんな風に勘違いしてるって解ってたら、あの時にきちんと説明してたさ…」
「私は勘違いなどしていない」
「してるんだって」
「勘違いなどしていない! お前があの時『問題ない』と言ったのは、私とお前が男同士だったからだろう。その場合子供が出来ないということくらい、私だって知っている。現に、私とティバーンには出来ていないではないか」
「お前らの関係なんて、この際どうでもいいんだよ。って言うか…その様子だと、やっぱりティバーンの奴からは何も聞いてないってことか」
そう言うと、ネサラはティバーンの方を向いて忌々しげにこう言った。
「あんた、こいつにどういう教育してきたんだよ。いや、それはこの際どうでもいいか…とにかく、あんたの方からリュシオンに言ってやったらどうだ。あんたの言う事ならこいつも素直に信じるだろ。俺はあいにく、信用されてないもんでね」
すると、リュシオンがティバーンとネサラの間に割って入り、ネサラに向かってこう言った。
「ティバーンをお前と一緒にするな! ティバーンはお前と違って嘘は言わないし、私を馬鹿にしないし、いやらしい事もしない!」
「あー、そうかいそうかい…っておい。それならお前らが毎晩やってるのは、いやらしい事じゃないって言うのかよ。それともまさか、何もしないで一緒に寝てるだけだってのか?」
どこまでも続くこの論争の、何と不毛な事であろうか。
…どこから突っ込んだらよいのかティバーンには分からなかったが、とりあえずリュシオンの口を閉じて、それからネサラを一発殴ってやりたい。
しかしながら、それ以上にラフィエルの物問いたげな視線がティバーンにはひたすら痛かった。二人には、わなわなと体を震わせているラフィエルの存在が見えていないのだろうか。
混沌とした状況に陥りかけた中、今度はリアーネが半開きのドアを開けて入ってきた。
『リュシオン兄様、ネサラ、ここにいたの』
「リアーネ」
リアーネは部屋の中をぐるりと見回し、順番に一同を見ていき、ごく自然な質問をした。
『ラフィエル兄様、ティバーン様……みんなで何してるの?』
その質問にはリュシオンが答えた。
「ネサラが私にしつこく嘘を言うものだから、兄上に教え諭していただこうと思ったのだ」
『ネサラが…?』
リアーネは次兄と幼なじみを見て、それから、
『こ…ども?』
と、古代語で呟いた。どうやら心を読んだらしい。ネサラはその力には気を付けているから、リアーネはリュシオンの心を読んだのだろう。
『リュシオン兄様、知らないの? 子供は××××××××××××××××××××××××××(注:教育上よろしくない上、リアーネのイメージをぶち壊すこと間違い無しな内容なので、伏せ字にさせて頂きます)×××××××××××××××××××で、出来るのよ。森が教えてくれたわ』

・・・。

可憐な白鷺の姫が口にするには到底許されないような単語の羅列だった。しかもそれを彼女に教えたのが、なんと、あのセリノスの森だという。
…鳥翼族の男達は凍り付いていた。
『どうしたの、みんな?』
そうリアーネに問いかけられても、誰も答えられなかった。
特にショックが大きかったのは、もちろんラフィエルである。
今にも倒れそうな彼の心を読んだリアーネは、屈託ない笑顔で止めの言葉を口にした。
『リュシオン兄様がティバーン様としてることと、大体同じなんでしょう? 違うの?』
それが、ラフィエルの繊細な神経の耐えうる限界だった。
気が遠くなったラフィエルはぐらりと後ろに仰け反り、そのままばたーんと気絶してしまったのだった。


(おわり)
多分この後、ティバーン様とリュシオンはラフィエル兄上に呼び出し喰らった事でしょう。