落日

「…はい、終わりました」
ナターシャが杖を持って立ち上がる。
「ありがとう」
フォルデは彼女に礼を言い、治してもらった左肩に手を当てた。
「まだ痛みますか?」
「いや、大丈夫。多少打っただけだしな」
ナターシャはすぐさま次の怪我人の手当に向かった。同じテント内で、ラーチェルがドズラをこき使いながら、治癒の杖を振っている。今日は激戦で、フォルデ以外にも負傷者は大勢出た。
自分の軽傷である事を幸運に思いながら、邪魔にならないよう、フォルデはテントの外に出る。幕をめくる時にコーマとすれ違ったが、その時にフォルデは自分の左肩をかばった。まだ、少しだけ痛む。
外に出ると既に日は没しつつあり、辺りはうっすらと紫がかっている。篝火の準備をしている兵士が、薪を抱えて宿営地内を奔走していた。疲労を少しだけ意識した。
テントの前にある木の側に、ヴァネッサが佇んでいる。
彼女と目が合った。唇を引き結び、両手を身体を握りしめたままだ。

…これは…怒ってるのかな。

フォルデは反省の心から苦笑を顔に浮かべ、彼女に近づいて言った。
「…もう、いいの? 怪我の手当は終わったの?」
「ああ、しっかり治してもらったからね」
明日以降の進軍にも支障はないと、ナターシャには言ってもらえた。
殊更に明るくフォルデはそう答えたが、ヴァネッサの顔色を明るくする効果は全くない。
「…なあ、怒ってるかい、やっぱり?」
「…」
ヴァネッサは一旦俯いた。
「…貴方のした行動は…正しかったわ、多分」
「いや。『もう少し上手く立ち回れば良かった』って、反省してる所だよ」
戦場で一時でも武器を手放すなど…駆けつけてくれたカイルにも言われたが、無謀な行動だった。肩を少し斬りつけられて馬から落ちた程度で済んだのは、運の賜物だろう。
「…君のせいじゃない、俺が悪かった」
フォルデはそう言うが、ヴァネッサは別に彼の謝罪を求めている訳ではなかった。
上空での戦闘に必死だったとはいえ、地上から弓兵に狙われるような隙を作るなど、油断していたとしか言い様がない。フォルデがその敵兵を倒してくれさえしなければ、ヴァネッサは矢を回避しきれずに射落とされていただろう。
が、弓兵に手持ちの槍を投げつけて一瞬無防備になったフォルデを、別の敵の騎士が襲撃した。
ヴァネッサからはフォルデが落馬したのが見えたが、上空の魔物が攻撃してきた為、一旦視線をそちらに戻した。
…その魔物を倒して最初にした事は、地上に再び目を向ける事だった。周囲を再確認する事を忘れていた。
フォルデがカイルの側で馬に乗り直し、自分の槍を回収する光景が見えた。
その後は姉の助勢に意識を向けたが、意識の半分くらいは、別の場所に置いてきたままだったように思う。
「…俺は騎士に向いてないのかもな」
ヴァネッサは驚いて顔を上げた。フォルデがぽつりと零した言葉は、ヴァネッサの頭の中にあった独白と全く同じだった。
フォルデは彼女の喫驚の意味に気づかず、薄く笑う。
「あの時、冷静じゃなかったから」
「…私も油断していたわ。今度から気をつけます」
二度とあのような事のないように。
「…だから……あんな無茶を、もう、しないで」
謝る事を求めてフォルデを待っていたのではない。これを言いたかったのだ。どうしても。
「…」
ヴァネッサは拳を強く握った。

「……怖かったわ…」

何がか。
自分の手の届かない所で彼が失われる事だ。

フォルデが黙ってヴァネッサの頬に手を伸ばした。何かを言おうとして、しかし、唇を噤む。
目尻に指が触れた時、微かな濡れた感触が伝わって、指先が熱く灼けそうな錯覚を抱く。
そして、ヴァネッサの身体が僅かに強ばったのを感じた。

…彼女はいつも、自分に背中を向けて先に飛んでいってしまう。
自分は黙ってそれを見送るだけだ。

フォルデは笑顔を浮かべた。
そして、手を放すと、自分の前髪を払いのけながら周囲を見回した。
「…さーて、そろそろメシの方も出来たかな」
独りそう呟いて、くるりと踵を返して草を踏み出す。

根負けとは違う。
が、何となく感じてしまった。


…やはり、だめかもしれないな…と。
あとがき:うおーいやーこっぱすかしー!! 頭の中ではもう少し視覚的にビューチフルなイメージがあるんですが、どうしてそれを思った通りに書けないんだろう…と、腹立たしい限りです。
いかにも続きがありそうな終わり方ですが、一応、次の話が続きになる…予定です。
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