どうにでもなれ
「近頃のワイルド君は、熱心にトレーニングに励んでいるね。素晴らしい、そして素晴らしい!」
「ああ……うん、そりゃどーも」
レッグエクステンションを続けながら、虎徹は生返事を返した。目の前に経つキースの笑顔が、太陽のように眩しい。このトレーニングの目的が、迫り来るどこぞの兎の魔の手から逃れる事にあると知ったら、一体この純朴な青年はどんな反応をするのやら。
その兎は現在どうしているのかというと、皆から離れた場所で一人、ベンチプレスに励んでいる。彼の隣にはインタビュアーの女性とカメラマン。健康雑誌の取材らしいが、先程からインタビュアーの女性が、バーナビーの体つきについて褒めそやしているのが聞こえてくる。
インタビュアーの姉ちゃんよ、あんたがさっきから美しいって褒めてるその筋肉、見せかけじゃないんだぜ。何で知ってるかって? そりゃ、俺があんたの前にいるセクハラ野郎に、夜な夜な文字通り搾取されてるからだよ……。
「どうしたんだい、ワイルド君? 急に膝を抱えて俯いて……どこか、具合でも?」
「何でもねえよ……自分で考えてて、全く笑えねぇなって思ったんだよ……」
それでも最近の状況は、虎徹にとっていくらか良い方向に向かいつつあった。ロイズがバーナビーに、夜中までかかるような仕事を入れるようになったからである。この問題の解決に協力してくれなかった無情な上司を、一度は恨んだ虎徹だったが、何だかんだ言って、ロイズも出来る限りの事はしてくれるらしい。落ち目の虎徹と違って人気の高いバーナビーは、結局のところ、虎徹より忙しい身なのだ。
……だが、それで虎徹がようやく枕を高くしてぐっすり眠れるかと思いきや、夜中にいきなり電話が鳴らされたりする。横暴にも程がある話だが、虎徹としては、唯一の聖域である自宅に押しかけられるのだけはどうしても嫌だった。
なので、呼ばれたら渋々出掛けていくしかない。疲れていてどうしても嫌だと言えば、勘弁して寝かせてもらえる時もあるが、それは極々稀なケースだ。大抵は、とりあえず家にだけは来るようと言われる。家に呼ばれた後で、抱かれるか湯たんぽにされるかは、全てバーナビーの気分次第だ。
現時点での虎徹の希望は、バーナビーと穏便に体の関係を切る事だ。出来れば今すぐにでも切りたいのだが、くれぐれも内密にするようロイズに言い含められている。虎徹としても、この件をあまり公にしたくはなかった。何といってもヒーローの仕事は続けたいし、それに……自分でも非常に馬鹿げていると思うのだが、今のバーナビーの状態が、どうも気に掛かるのだ。
はっきり言って、あのハンサムは重度の変態だと思う。やっている事がそうだとしか言い様がない。しかし気になるのは、何故こんな事をするのかと虎徹がいくら質問しても、バーナビーの口から納得のいく回答が得られない事だった。最初は、単に理由をはぐらかしてこちらをより悩ませたいだけなのかと思ったが……どうも、本当にバーナビー自身、このような事する理由を解っていないのではないかと窺える節がある。理由も解らないのにこんな事をしているのは、どう考えても異常だ。
しかも、どうやらバーナビーは、この現状に満足していないらしい。日を追う毎に機嫌が悪くなってきている。虎徹にしてみれば、ここまで散々こちらを好きなようにしておいて、何の不満があるのかと声を大にして言いたいくらいだ。
だが、いずれにしろ、これ以上事態がエスカレートしたら、虎徹はいよいよバーナビーの事を許せそうにない。今が、何とか我慢出来ているぎりぎりのラインなのだ。
……とりあえず、状況を整理する。
バーナビーは虎徹と寝たがっている。理由は知らないが、少なくとも他を当たるつもりは毛頭ないらしい。相手を探す暇がないとかいう訳ではなくて、虎徹の体が気に入っているのだそうだ。体のどの部分がいいのかと訊いたところ、返ってきたのは、逸物がいいという身も蓋もない返答。もっとどうにかしようのある所を気に入っていたのなら、バーナビーの好みとは真逆の方向へ向かって全力で肉体改造したものを。
次に、ロイズも気にしていた点、バーナビーに他に関係のある相手がいるのかという事について。これはもう、思い切って本人に問い質して、確認が取れている。それによると現在、他に肉体関係のある相手はいないとの事だった。過去に何人と付き合っていたかは知らないが、あの性欲の凄まじさとアナルセックスに慣れた感じからして、少なくはなさそうだ。ちなみに病気持ちではないそうなので、その点だけは安心した。そうだったら、バーナビーを迷わずぶん殴っているところだ。
そして、虎徹の希望は既にまとまっているから、後は一番重要な問題。これからどうするのか、についてだ。体の関係を続けようとしているバーナビーと、関係を切りたい虎徹の意見を、どう摺り合わせていくか。
……正直、擦り合う気がしない。摺り合わせようと揉めた結果、待ち受けているだろうお仕置きの事を考えるだけで、虎徹は頭と尻が痛くなってくる。具体的にバーナビーに何をされるかというと、あんな所に指を突っ込まれるとか、指を突っ込まれるとか、指を突っ込まれるとか。あれだけはどうしても嫌だ。最初の時に痛い思いをした事もあって、不快感と恐怖以外の何も感じられない。バーナビーはよく自分で指を突っ込んでみせているが、何が良くてそうしているのか、虎徹には全く理解出来なかった。
「ねえ、タイガー。そろそろ休憩したら?」
いつの間にやらやって来ていたパオリンとネイサンが、声をかけてきた。
「アンタ、今日は随分張り切ってるみたいだけど、そろそろ水分摂らないとヤバイわよ」
「ああ……そうだったな。わりぃ、心配かけて」
タオルで額や首に浮かんだ汗を拭っていると、パオリンが怪訝そうな表情になった。
「ん、どした?」
「タイガー、首の後ろに痣が出来てるよ。どうしたの? 何処かにぶつけた?」
「痣?」
首の後ろに手を伸ばし、そして、はたと思い当たった。そう言えば昨日、帰ろうとした時に、確か……。
言葉にならない悲鳴を上げて飛び上がった虎徹が、一目散にトレーニングルームから逃げ出す。
……いきなりの出来事にパオリンが呆然としている後ろで、ネイサンがちらりとバーナビーの方に目をやる。すると、先程からこちらを見つめていたバーナビーと、ネイサンの視線が合致した。


トレーニングセンターのトイレの手洗い場は、温水が出ない。
という訳で、虎徹は速攻で更衣室へ飛び込んだ。服を脱ぐ途中、鏡で確認したところ、パオリンの言う通り、首の後ろに痣が出来ている。しかしこの痣は、パオリンの言うように「何処かにぶつけた」事によって出来たものではない。
ふざけやがってふざけやがってふざけやがって。心の中で何度も罵倒しながら、シャワーブースへ入って温水を出す。首にそれを当てて痣のあるだろう部分を揉みながら、果たして他のヒーロー達はこれに気づいていただろうかと考える。そうして思い出されるのは、怪訝そうにしていたパオリンの後ろで、意味深な笑みを浮かべていたネイサンの表情……あれは絶対、気づいていただろう。
怒りと羞恥で、頭が沸騰したように熱い。あんな珍妙な走り去り方をして、どんな顔をして皆の前に戻ればいいのか解らない。虎徹はあれこれ悩んだ結果、もう今日はトレーニングを終わらせて早々に帰宅する事にし、虎徹はシャワーの温度を冷水に切り替えた。髪も洗ってしまう事にして、頭から水を被る。もう今日はシャワーを浴びたら、皆に適当に挨拶して速攻で帰る。帰って寝る。バーナビーの都合など知った事ではない。用があるなら、どうせいつものようにあっちから電話をかけてくるだろう。だが今日こそは、一言言ってやらないと気が済みそうになかった。
「おじさん」
いきなり後ろのシャワーカーテンが開かれ、虎徹が口から心臓が飛び出そうな程驚いた。後ろを振り向くと、そこにはトレーニングウェア姿に裸足のバーナビーがいるではないか。
「ななななな、何だよ! いきなり開けんなよ、ビビるだろうが!」
「そんな事は別にどうでもいい事だって、貴方、前に言ってましたけど?」
ああ言えばこう言う。何という憎たらしい若造であろうか。虎徹はバーナビーの手からカーテンを奪い返し、一瞬でそれを閉めて、顔だけ出した。
「……で? 何だよ。つうかお前、インタビューは?」
「もう終わりましたよ。ところで、今日はもう上がるんですか。クールダウンもせずに?」
「そうだよ。こちとら誰かさんのせいで、とんだ赤っ恥かいたもんでね!」
「唇にキスだけはしない、貴方の家には押しかけない。この約束は守っているじゃないですか。なのに、何の文句があるんですか」
「大有りだ、このクソガキ! 俺の立場ってもんを少しは考えろ! お前との事がバレたら、俺はクビなんだよ。ク・ビ!」
「ああ、そうでしたね」
……今すぐにでも、この綺麗な顔をぶん殴ってやりたい。この青年が顔出ししてハンサムで売っていなかったら、そう出来ただろうに。
「で、あのキスマーク、消えたんですか?」
「今トライしてる最中だよ。それじゃあな!」
そう言い捨ててカーテンを閉めた虎徹だったが、直後に外からバーナビーがカーテンを開こうとしてくるので、仕方なくまた顔を出した。
「何だよ! まだ何かあんのか!?」
「おじさん、ファイヤーエンブレムと何か話しましたか?」
「あ? 大した事は話してねえよ。あいつ、何か言ってたのか」
「……別に、おじさんには関係のない事です」
ふいとバーナビーは顔を背けた。一体ネイサンとバーナビーが何を話したのか、気にはなるが、今は首に付けられたキスマークを消す方が先決だ。しかし、バーナビーの話はまだまだ続く。
「ところでおじさん、今夜の事ですが」
「……もう完全に、俺がそっちに行くって前提で話を進めようとしてんだろ、お前」
「不服ですか」
「いいえー、何でもありませんー。それで?」
心の内で「ちっ、今夜はコイツ仕事なしか……」と思いながら、虎徹は不貞た顔で尋ねた。
「今夜は、貴方の主導で進めるというのはどうでしょうか」
「……は?」
虎徹は、バーナビーの言っている事の意味が理解出来なかった。そして一瞬、自分がいよいよバーナビーに完全に犯されるのかと勘違いしかけた。が、すぐさま説明が入る。
「貴方が僕を抱く、という意味です。いつものように、貴方がただ寝ているだけというのではなく」
「……はあ!? 冗談、何で俺がそんな事しなくちゃなんねえんだよ!」
虎徹はバーナビーの要求に色を作して怒鳴った。ただ寝ているだけ、なんてバーナビーは言うが、あの、事が終わるまでの何とも言えない作業感と言ったら! 毎回終わる度に頭を丸めたくなるぐらいだというのに、この上、更なる苦役を任じようというのか。
「無理だよ、そんな気になれません」
「どうしても?」
「……そんなに念押されたって、無理なもんは無理だよ。絶対、無理。大体、何でいきなりそんな事言い出したんだよ」
「……たまには少し、手を加えてみようかと思いまして」
手を加えずにそのまま飽きても一向に構わないんだぜ、と心から言いたかったが、口に出しては言えない切ない立場の虎徹だった。
「どうしても駄目ですか」
しつこく食い下がってくるバーナビーに、虎徹はぶんぶんと首を横に振った。これで今晩どうなるか、想像するだに恐ろしくはあるのだが、何と言われても出来る気がしないのだから仕方ない。この要求に応じてしまったら、ただでさえ日に日にすり減らされている自分のプライドが、ごっそり削り取られてしまう気がしてならないのだ。
「……解りました。そこまで貴方が嫌だと言うなら、仕方ありませんね」
「へ……?」
あまりにもあっさりとバーナビーの方が引き下がったものだから、思わず、虎徹は間抜けな声を漏らした。てっきり今日のバーナビーは機嫌が悪いと思っていたのだが、ひょっとして、何か機嫌が良くなるような事でもあったのだろうか。
「ええと……うん、じゃ、そういう事で」
いそいそとカーテンを閉めて中へ引っ込み、シャワーの温水を頭から被った。珍しい事もあるもんだなあと思いながら、ほっと胸をなで下ろし、シャンプーを手に取って髪を洗い始めていると。

「なら、今日はおじさんにフリスクを突っ込む事にします。帰りに買って行きますけど、エクストラブラックでいいですか」

虎徹は泡塗れの姿でシャワーブースから飛び出した。





夜も更け、タイガー&バーナビーの顔だけは良い方の自宅のベッドルームにて。

「いや、無理だろ……」
相棒の鬼畜っぷりに悩まされている方・虎徹は、ハンチング帽を取り、ネクタイを外してベストを脱ぐと、ベッドに腰掛けて項垂れていた。視界に入ってきた自分の股間を見て、思わず、
「お前、勃てる?」
と、訊いてしまった。我ながら馬鹿だ。
「何を下らない一人芝居をやってるんです、貴方は」
トレーニングセンターを含めて二度目のシャワーを浴びてきたバーナビーが、下着一枚に眼鏡をかけた格好で、虎徹を冷ややかな目で見つめてきた。
「うるせえよ、諸悪の根源が」
「……だから、そんなに無理だって言うんでしたら、別にいいって言ったじゃないですか。僕は嫌ですよ。途中で気分が萎えるのは」
「ケツにフリスク突っ込む方が、遙かに無理あんだろうが! しかもブラックって何だよ! お前、俺のこと病院送りにしたいの!?」
「経験した先達によると、気持ち良いそうですが」
「自分でやってみてから言え!!」
バーナビーの代わりに枕をぶん殴った虎徹は、どんとベッドに胡座をかき、バーナビーをきつく睨んだ。
「……バニーちゃんよ、この際、はっきりさせておくぜ。言っておくがな、俺は、お前に掘られるのだけは、絶っ対、ごめんだからな!! そこは何としても譲らねえぞ。もし掘ったら、お前を殴るだけじゃ済まねえと思えよ」
「何だ……何かと思えばそんな話ですか。心配せずとも、僕の方にその気は全くありませんよ」
「なら、俺のケツに指突っ込むのだけはやめろよ。頼むよ……あれ、ほんと嫌なんだ。全然、気持ち良くも何ともねえんだよ」
「貴方、そちらの素質は全然ありませんからね」
「……まるで俺が駄目な奴みたいなその言い方、やめてくんねえ? 変なのは俺じゃなくて、お前なんだからな」
勢いに任せて虎徹がそう言い捨てると、バーナビーは何故か、手に持っていたグレーのフェイスタオルを虎徹の顔に叩き付けた。
「ぶっ……何だよ、いきなり!」
「何でもありませんよ。さっさと始めましょう。ほら、さっさと服を脱いで下さいよ」
バーナビーが乱暴に襟を掴んできたが、虎徹は自分で脱ぐと言い張ってその手を振り払った。ヒーローとして思ってはならない事なのだろうが、今すぐにでもあの鬼プロデューサーから事件発生の連絡が来ないかな、とつい期待してしまう。
結局、下着一枚になるまで脱いだところで、虎徹は潔く腹を括る事にした。他にどうしようもなかった。バーナビーの方はというと、エンドテーブルの引き出しからローションとコンドームを取り出すと、先にヘッドボードに背を預けて悠々と待っている。
ああ、今から自分はこの男とセックスするのだ。そう考えるだけで頭が痛くなってくる。今までの虎徹は、事の最中はずっと、ただバーナビーの気が済むまで仰向けに寝そべっているだけの、言わばダッチハズバンドのような状態でいれば良かったのだ。我ながら泣けてくる表現だが、本当にそんな受動的な感じだった。
それが今晩、打って変わって、能動的になる事を要求される。屈辱的な事この上ない仕打ちだが、嫌だと言ったらアナルにフリスク挿入の刑が待っている。流石に冗談だと思いたいが、本気だと知った時には、おそらくもう手遅れだろう。
……嫌々ベッドに上がった虎徹は、相手の顔をじろりと見た。忌々しい事この上ない面だが、世間で持て囃されている通り、確かに目鼻立ちの整った顔をしている。スタイルもいい。こんなハンサムが男に抱かれて喜ぶ性癖なのは別に良いとしても、何故に自分まで巻き込むのかと問いたい。
「……お前さあ……自分で、こういう事するのおかしいって思わねえのか?」
「それは、僕が、おじさんのような人と関係を持っている事について尋ねているんですか?」
「なんか聞き捨てならねえ表現だけど、この際どうでもいいや……で、ずばり、何か思うことは?」
「ありません」
バーナビーはしれっと即答した。
「お前なあ……まともに考えたらおかしいだろ、こんなの」
「おじさんは、僕がまともだと思うんですか?」
「はあ……?」
まさか質問し返されると思わず、虎徹が眉を潜める。どうやら、バーナビーは虎徹の質問に機嫌を損じたらしかった。
「もういいです。話なんてしても、つまらないだけだ。早くやりましょう」
「おい、まだ話は……」
「早く。それとも、今からコンビニに行きますか」
「はいはいやります、やらせて下さいませ」
心の中で放送禁止用語を交えてバーナビーを罵りながら、虎徹は彼に覆い被さった。
さて、どうするか。虎徹は、セックスの時は雰囲気を重視する方だった。相手も自分もその気になるよう仕向け、気分が盛り上がったところで自然にセックスへと傾れ込む。そういうメソッドだ。
それに対してまあ、今の気分の下がりようと言ったら……疲労困憊の時のセックスでさえ、これよりはまだ乗り気になれるだろう。
とりあえず、唇へのキスはなしだ。これはもう、虎徹の中では絶対のルールだった。散々彼と関係しておきながら些末な事に拘っているかもしれないが、これをバーナビーに許してしまったら、何かこう、大事なものを失ってしまう気がする。
というか、考えてみたら、バーナビーが身体のどこをどうされたら感じるかなんて、虎徹はあまり覚えていなかった。気にした事すらない。強いて言うなら、自分でアナニーなんぞよくやるなあと思って見ていた事はあるが、それは流石にバーナビー自身で行って頂きたい。
「……お前さ、どうされんのが好きなの? 言えよ。その通りにするから」
あまりぐずぐずしてバーナビーが怒り出す前に、虎徹は口に出してはっきりと尋ねてみた。すると、バーナビーは虎徹の目からついと視線を外し、やや小さい声で言う。
「……そんなの、自分で考えて下さいよ」
「分かんねえから聞いてんだよ」
だが、虎徹がそう言っても、バーナビーは黙ったままだった。
「……だーっ! ああもう、分かったよ! 勝手にやらせてもらいますよ! けど、途中でヘタクソとか言うなよ!? 言ったらマジでぶっ飛ばすからな!」
痺れを切らした虎徹は、バーナビーの頭を押さえ付けて首筋に吸い付いた。いきなり虎徹に頭を捕まれたバーナビーが抗議の声を上げるが、何だかその声を聞いていると憎たらしい表情が思い浮かんで気分が盛り上がりそうになかったので、バーナビーの口を手で塞いだ。何やらうんうん唸っている相手の耳に、殊更に低い声で囁きかける。
「……なあ、ちょっと黙っててくれねえ?」
それは、最初の晩にバーナビーに言われた言葉だった。今日の虎徹は、あの晩のバーナビーがしたようなひどい真似をする気はない。そこまでの勇気もない。だが、このくらいの仕返しはしても許されるだろう。
ついでに、昼間の仕返しとばかりにキスマークの一つも付けてやろうかと目論んだが、バーナビーが明日グラビア撮影だった事を思い出した。キスマークなど付けたら、明日、ロイズに何を言われるか知れない。ああ、つくづく不公平だ、理不尽だ。こいつも、少しは公衆の面前で恥をかけばいいのに。
とうに嗅ぎ慣れた香水の残り香と共に、虎徹は今、自分の腕の中にいるのがバーナビー・ブルックスJr.であるという事実を忘れようと努めた。流石に、相手が男であるという事実まで意識しないのは無理だった。体躯の大きさが、女のそれとはまるで異なる。
耳朶をやわらかく噛んで反応を探る。何で俺がこいつの性感帯なんぞ調べなきゃいかんのか、と思ったが、いちいちそんな事を考えていては、いつまで経っても勃つものも勃ちそうにないなと思い直した。
……が、しかし。
「んんっ、んっ……うっ……うーっ!」
「……さっきから五月蠅えんだよ! 一体何だってんだ、トイレか!?」
苛立たしさが最高潮に達し、虎徹は顔を上げて怒鳴った。そこにはきっと、機嫌の悪いバーナビーの表情が待っていると思っていた。
だが、虎徹の見下ろした先にあったのは、うっすら瞳を濡らし、白い頬を染めた青年の顔。それを目にした途端、虎徹の頭の中は怒りも腹立たしさも忘れ、固まってしまった。
……何、この雰囲気。何、その表情。何かこうアレだ、おかしいだろ。色々。
「……な、何だよ」
「……その……」
何故に言い淀み、視線を逸らすのか。いつものバーナビーとまるで調子が違う事に、虎徹は激しく動揺していた。しっかりしろ鏑木虎徹。これは只のバニーちゃんだ。俺を縛って散々好き勝手に弄んでくれた色情狂だ。
「……あ、あまり近づかないで下さい……緊張するので」
違うだろ、お前今までそんなキャラじゃなかっただろ!! もっとこう、ゴミを見るような目で言えよ!!
やめろよ調子狂うんだよ何なんだよ畜生可愛いなんて全然思ってねえよ思いたくもねえよだからいつものお前に戻れよお願いだから!!
……などという葛藤が向こうの脳内で繰り広げられているとは微塵も知らないかのように、バーナビーが虎徹を見上げる。その目をとても見ている事が出来なくて、虎徹はすぐ目の前にあるヘッドボードを一発殴った。
「ちょっと、何するんですか!」
「……あー、そうそれ。ようやく落ち着いてきた。その調子で引き続き頼むわ」
「はあ……? よく解らないんですが、ベッド壊したら弁償してもらいますからね」
どうにも妙だった流れから解放され、虎徹はほっと安堵した。だが、特に何も考えずバーナビーに覆い被さろうとしたところで、何故か相手に押し返される。
「な、何だよ」
「あまり近づかないで下さいって、さっき、言ったじゃないですか」
「んな事言われたって……」
虎徹は途方に暮れた。そう言われては、ずっとバーナビーの上に跨がっているしかないではないか。
流石に何もしないでいる訳にもいかず、とりあえず触るかと思って手を伸ばす。さて、どこに触るか。順当に乳首だろう。思い返してみると、バーナビーがたまに自分で弄っていたような気もするし。
「……ん、あぁ……ふ、ぅ……!」
やたら反応が良い上に変な喘ぎ声まで出され、またしても虎徹の思考回路が入り乱れ始めた。別に、バーナビーが虎徹の前で淫らな痴態を展開するのはいつもの事の筈だ。けれど、それをただ見ているだけというのではなく、自分の手で引き起こしていると思うと、どうにもこうにも変な気分になってくる。
「……ここ、反応いいんだなあ。お前」
何となく虎徹はそう言ったが、快感を受ける事に忙しいのか、バーナビーからの返事はなかった。
ふと、この青年は今まで何人と寝たのだろうかと考える。以前にこうして身体を許した相手の事も、バーナビーは散々自分勝手に振り回してきたのだろうか。現在、虎徹にそうしているように。
お前なぁ、そんなんじゃ駄目だろ……そう思いながら、ぐりぐりと張り詰めた乳首を指で愛撫していると、不意にバーナビーの唇が目に留まった。
「っ、く……あぁ、お、じさん……!」
息を荒げながら自分を呼ぶその唇の、薄く開いた先にちらりと舌が覗いた時。


気づけば、虎徹はその唇にキスしていた。



……あれ?


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