私が男性を選ぶことを決めたのは、玉座を巡る決闘に負けた瞬間だった。ヴァイルの前で膝を屈したとき、ああ、もうこいつは一生私を自由にしてくれないだろうなという予感がした。だって、自分がどうしても手に入れられないものを、憎たらしいこの私にくれてやる筈がない。
継承の儀の後に放り込まれた塔の中で、私は何の問題もなく篭りの期間を経て男の身体に成長した。一応、ヴァイルに想いを告げるまでは女性でもいいかと考えていただけに、不調が起きたりはしないかと我ながら不安だった。だが、そんな心配は全くの杞憂だった。迷いはなかった。そういう事だ。その勢いで、あの時ヴァイルを殺せていたならどんなに楽だったか。
塔での生活は非常に単調なものだった。外出は禁止。沐浴の時は世話係と見張りの衛士を付けられ、最低限の移動のみ。その沐浴自体も、塔の下の階にわざわざ浴槽を作らせてそこで行わせるという徹底振りで、つまり、私は塔の外にすら出られない。
特にする事もない日々の中、私は魔術の訓練をして退屈を凌いだ。使用人に見張られている部屋の中でも、力の収束、場の展開、流れの読み方と色々出来ることは多い。やがて慣れてくると、思い切り使ってみたくなるのが困りものだった。師匠もといルージョンに知られたら、柳眉を逆立てて怒鳴られるに決まっている。
そんなある日、格子の嵌まった窓の縁に、一羽の鳥が止まっていた。鳥文に使う文鳥ではなく、野鳥の類のようだった。私はそいつを手に乗せて室内に引き入れ、食事のパンくずを与えて遊んでいる内に、以前ルージョンが文鳥を操っていたことを思い出した。
何度かの試行錯誤と練習を経て、鳥を呼び寄せることが出来るようになった。最初の野鳥が、たった一度の餌付けで懐いてくれたのが好都合だった。私の波長とやらにうまいこと合致する奴であったらしく、おかげで練習相手には困らなかった。
日の明るい間だけ、鳥を呼び寄せて遊ぶ。ただそれだけ。ルージョンがしていたような鳥文の盗み見をする気はなかった。外界の情勢にはさして興味がなかったし、うっかりルージョンの情報収集の邪魔をしかねない。現在、彼女がこの城にまだいるかどうかは最早私の知るところではなかったが。
私の部屋に出入りする使用人は男女一人ずつだった。どちらも知らない顔。外出の機会もない以上、二人だけで十分だと判断されたのだろう。二人は昼の間、交代で私の部屋の隅に控え、私を見張っていた。私が何羽も鳥を手に乗せて遊んでいる事については、妙なこともあるものだと言わんばかりの奇妙な顔をして眺めていたが、特に害もないと判断したのか、咎めてくることはなかった。私が、犬を飼いたいと言ってみた事の影響も大きい。勿論そんな勝手は通らなかったが、そのせいで使用人たちは私のことを、単に動物好きで動物に好かれやすい体質なのだと思い込んでいた。
男の方は職務に忠実で、私にも必要以上に話しかけてくることはなかったが、女の方はそうでもなかった。彼女は話し相手を欲しがっていた。まあ、朝から夜まで殆ど椅子に座り、私が鳥と遊んでいるのを見ているだけだなんて、常識的に考えてこれ程つまらない仕事もない。仕事の内容を同僚に話せないとなれば尚更のことだ。私が現在どんな生活をしているかを他に漏らすことは、禁じられているようだった。
退屈と、好奇心と、あとは本能的欲求。彼女を誘惑し、寝台に引き込んだことに罪悪感はなかった。世間一般では不道徳と言われる行いであろうが、この部屋の中で、外聞だの体面だのに頓着して何になるというのか。ここで生きる私の、男性としての側面が表出しただけのことだ。
それなりに楽しい関係だった。何と言っても若く、まあまあ美人だった。私は勿論、女の方も異性を知らなかった。彼女は私に誘われた初めは躊躇する素振りを見せたものの、割とあっさり私の腕に身を任せてきた。私の徴と容姿、それに単純な性への欲求の三つが、彼女にとって魅力的な要因だったようだ。私は彼女に対して必要以上の関心はなかったし、向こうは向こうで私の出自不詳を見下しているようだった。けれど、私が寝物語に話す故郷の話にぼんやりと耳を傾けている姿などは可愛いものだった。
故郷の話をするたび、死んだ母さんの事を思い出す。母さん。私を一人で育てた母さん。産まれた私の額を見たとき、一体どんな気持ちだったんだろう。どうして私には父親がいなかったんだろう。案外、母さんも彼女のように浅はかな考えで、結婚も出来ないような男に身を任せたりしたんだろうか。
私は、母さんのようにはなりたくなかった。父なし子を産むだなんて真っ平ごめんだった。この先、もしも結婚を強いられるような事態が起きたとしても、好きでもない男の子供を産まされるよりは、好きでもない女を孕ませる方が少しはましな気がした。
だって、私はきっと長生きできない。
どれ程の月日が経ったのか、もう数えることすらやめてしまった頃になって、使用人の顔ぶれが変わった。どちらも男だった。つまり、私の退屈しのぎの手段がばれ、一つ減らされたという事。ひょっとしたら彼女が身籠もったのかもしれないと予想したが、さして興味は湧かなかった。どうなったかはその内分かる。私が吐いてぶっ倒れたりすれば予想は当たりで、そうでなければ彼女は間違いなくこの城から姿を消している。その場合、必ずしも生きてこの城を出られたとは限らないが。
使用人の男二人は、ついでに私のもう一つの遊びまで止めさせようとしてきたけれど、私はそれを無視した。むしろわざと鳥を室内に引き入れ、糞や羽で床を散らかしたり、シーツに爪で穴を空けさせたりして、彼らの苦労を倍に増やしてやった。
鳥は気楽で可愛い遊び相手だった。言葉が通じない、気持ちが伝わらないといって悩む必要もない。生きる世界がまるで異なるから、食ってかかられたところで張り合う必要もない。最低限のところを守って接していればいいだけの、面倒のない相手。何より、戻って来るということを身を以て知っているのが非常にありがたい。
私は他人と関わることに疲れていた。相手の物差しに合わせるのはうんざりだった。だって私は私の為に生きているのであって、誰かの為に生まれてきた訳じゃない。理想と違うからといって、幻滅されても迷惑なだけだ。
魔術を用いて脱走する、という選択肢を思いつかなかった訳じゃない。けれど、私はそうしようとしなかった。寵愛者が魔術師に堕ちた様を見せつけるのもなかなか傑作な話だと思ったが、どうせここから逃げたところで追っ手はつくだろう。それにひょっとしたら、ルージョンと彼女の兄の関係が嗅ぎ付けられるかもしれない。私には、他人の自由を奪って満足を得る趣味なんてないのだ。
最後にリリアノが面会に来たとき、彼女は私に、あと五年待てと告げた。その頃になれば、新たな選定印の持ち主が見出されるだろうと。
五年でも六年でも構わない。どうせ私は生きてここから出られないだろうし、私の人生自体もそう長くはあるまい。そんな事より創造主にお願いしたい、貴方の愛を与えるのは一人だけで十分だと。だって、二つの徴を与えたところで、人の手に余る代物でしかないのだから。
ある昼間のこと、私が窓際に椅子を置き、そこに座って鳥と戯れていると、使用人が狼狽しながらこう言ってきた。ヴァイルが来た、と。
私は窓の方に目を向けたまま、今寝ているからお引き取り頂くように、と返した。しかし使用人は、そういうことではなくて、と言いながらそちらを向くよう促す。
もう部屋に通してしまったのか、なんて面倒な。人の話を聞かない男の一方的な罵倒に付き合わなくてはいけないなんて。
不快感を露わにしながら私は鳥を放してから室内に視線を向け、そして――瞠目し、失笑した。
だって、ああ……こんな馬鹿馬鹿しいことが他にあるだろうか。
彼を見たのは継承の儀が最後だったけれど、当然そうだと信じ込んでいた。だから話題にもしなかったし、疑問も抱かなかったのに。
嘘だろう、ヴァイル・ニエッナ=リタント=ランテ?
あの時私の愛を拒絶したお前が、男性を選択すると公言していたお前が、女性を選択しただなんて!
「言っておくけど、あんたの為じゃないからね」
そうかそうか、他の誰かの為だとでも言うのか。だったら、その誰かと結婚してから顔を見せるべきだった。そうしたら私はもっともっとお前を憎んだだろう。もちろん今でも、他に比べる者のないほどお前が憎いけれど。
燃え尽きた筈の私の憎悪に火が点いた。あれで終わりだなんて、只の錯覚に過ぎなかった。
束の間の小休止を経て、ここから再び、私たちの争いは始まるのだ。
(終)
戻る
小休止