そもそも、最初にアニシナが執務室に姿を現した時、逃げるなり追い出すなりすれば良かったのだ。
後になって、グウェンダルはそう後悔したものである。
しかし、その時の彼は自分の身に危険が迫りつつある事など、全く解らなかった。
だから彼女がいきなり扉を開けて入って来た時も、椅子から立ち上がり、机の後ろに立って身構えただけだった。
「何ですかその体勢は」
「すぐに逃げる為の体勢だ。断っておくが…今日だけは、お前の実験には付き合えんぞ」
グウェンダルの机の上には書類がどっさりと載っていた。片付けるとなれば一日かかるだろう。
「だらしない男ですね、そんなに仕事を溜めるとは」
「大半はギュンターの仕事だぞ…」
しかも、そのギュンターが仕事を出来ないでいるのは、アニシナの実験に付き合わされているせいだ。
「とりあえずはその体勢をやめなさい。今日は私から貴方に贈り物があるのです…よっと」
そう言って、彼女は細い肩に担いでいた大きな袋を床に下ろした。
「お…贈り物?」
グウェンダルはアニシナにそそそっと近づいていく。
「そうです。明日は貴方の誕生日でしょう?」
「私の……そうか、そう言えばそうだったな。すっかり忘れていた」
政務に追われるあまり、グウェンダルはそんな事まで気にかけていられなかったのである。
「まあ、そんな所だろうとは思いました。貴方の喜ぶ物を贈ろうと、今年は私も色々と考えたのですよ。貴方には日頃、実験や実験や実験でお世話になっていますからね」
「…」
…あのアニシナから、実験台を務めている事への感謝の言葉を聞く日が来ようとは!
いつも実験に協力するのが当然、と言わんばかりの(事実、そう口にしていた)扱いをされていたが、何だかんだ言って、心の中では彼女も感謝してくれていたらしい。
「アニシナ…お前のその気持ちだけで、私は十分だ」
「無欲は美徳ですが、せっかく何日もかけて用意したのですから受け取りなさい」
グウェンダルの手が顔に向かう。感動のあまり、ついついホロリと涙が出そうになった。
「と言う訳で、誕生日・大感謝せぇるです」
アニシナは袋の中に手を突っ込んだ。贈り物の中身が何であれ、グウェンダルは心の底から喜んでそれを受け取る気でいた……のだが。
「今日一日、貴方をあみぐるみにして差し上げましょう!」
…はい?
グウェンダルは自分の耳を疑った。
「…アニシナ、今、何と言った?」
「貴方をあみぐるみにして差し上げると言ったのですよ。好きでしょう? あみぐるみ」
婉然と微笑むアニシナの手には、先端に硝子の覆いがついた細長い筒状の魔動装置と、黒い眼鏡のような物が。
もしユーリがここにいれば、それらを『懐中電灯』と『ゴーグル』と形容しただろう。
「ま、待てアニシナ。私は確かにあみぐるみを作る趣味があるが、決して自分がなりたい訳ではっ……って、私の話を聞いているか!?」
じりじりと後ろに逃げるグウェンダルへ、アニシナが魔動装置を向ける。
「問答無用!」
かちゃりとゴーグルを装着して自分の目を保護すると、アニシナは魔動装置のスイッチを入れた。
ぴかっと真っ白い光が放射状に発せられる。
グウェンダルは悲鳴を上げたが、一瞬で全ては済んでしまった。
ぽてっ、と、絨毯の上にあみぐるみが落下した。
「実験は成功です。それにしても、思ったよりも可愛らしいウサギになりましたね」
すっと上に伸びた2つの白い耳に、小さな黒い瞳。バツ印状の口。鼻はない。
(やっぱり実験だったのか…くそ、騙された!)
だが、グウェンダルの叫び声はちっともアニシナには聞こえていない。それどころか、身体が全く動かない。視覚と触覚、聴覚だけはかろうじて働いている。
「うふふ、嬉しいでしょう? 大好きなあみぐるみになれて」
(嬉しい訳があるか!!)
アニシナはグウェンダルの背中にぴたっと何かを装着した。
(…何だ?)
「発信器を付けてありますから、夕方には探し出して、元の姿に戻して差し上げますからね」
そう言いながら、アニシナは何故か窓を開ける。
(な…何をする気だ?)
独自の投球ポーズを取るフォンカーベルニコフ卿。
その右手にボールの代わりに握られているのは、白いウサギのあみぐるみ…すなわち、グウェンダルだ。
嫌な予感がした。
「行ってらっしゃーーいっっ!!!!」
ぶん、と腕が振られる。
(ぎゃああああああああっっ!!!!)
こうして、グウェンダルは窓から放り投げられてしまったのだった。
あみぐるみになっても触覚は働いている。
ならば、痛覚はあるのだろうか!? これはこの状況においては、非常に切実な問題だ!
もし痛覚があるとしたら、このまま地面に落下した時、どれだけ痛いのだろうか!?
いや、そもそも死んだりするのだろうか!?
グウェンダルは真っ逆さまに落下していく。
その下には、中庭の地面がある。石畳も痛そうだが、地面も痛そうだ。
せめて落ちるなら葉っぱの上に!ともがいてみるグウェンダルだったが、手は微動だにしない。
気が遠くなりかけた。
だが…彼は地面には落ちなかった。
中庭を彷徨いていたヴォルフラムの頭に当たってバウンドし、そして彼の右手の中に落ちたのだ。
グウェンダルもびっくりしたが、ヴォルフラムも目を丸くした。前髪を掻き上げようと何気なく上げた手の中に、ぽすっとウサギのあみぐるみが落ちてきたのだから。
「な……何故、空からあみぐるみが落ちて来たんだっ??」
ヴォルフラムは上を見上げた。
「…」
妙だなあ、と思いつつも、彼は改めてウサギのあみぐるみを両手で持つと、それを目の高さまで持ってじっと眺めた。
「…可愛いあみぐるみだなあ。兄上の作られた物…にしては…出来が良すぎるな…」
弟の邪気ない言葉は、グウェンダルのハートにぐさっと突き刺さった。
それはともかく…やはり、端から見ればただのあみぐるみにしか見えないらしい。
「グレタに持っていってやるか」
ヴォルフラムは片手でグウェンダルの胴体を掴み、城の中へと取って返した。
(〜〜〜〜〜っっ!!)
とりあえず命は助かったが…グウェンダルは笑い死にしそうだった。ヴォルフラムの指が脇に当たっているせいで、くすぐったくてたまらない。
(ヴォ、ヴォルフラム! 脇を掴むな!)
と、叫んでみるも、全く通じない様子。
ヴォルフラムはどうやらグレタを探しているらしく、城の内部を歩き回っては、あちらこちらの部屋を出入りする。
そうこうするうち、書庫へと辿り着いた。中は静まりかえっており、人気が全くない。
「…ん」
ヴォルフラムは床に落ちていた本を拾い上げ、表紙の埃を手で払い落として、そして手近な本棚に戻した。その間、ヴォルフラムはウサギを机の上に置いておいた。
本棚を戻した直後、誰かが入ってきて、しばらくヴォルフラムと話をしていた。グウェンダルは仰向けに机の上に置かれていたが、視界が狭くて話し相手の顔が見えなかった。だが、声は聞き覚えがある。会話の内容からして、ヴォルフラムの部下のようだった。
そして彼らは書庫から出て行った…グウェンダルを残して。
…何はともあれ、グウェンダルはこれでくすぐりの刑から解放された。
(後は、このまま夕方までここに留まっていられれば良いが…)
そのまま、昼が過ぎるまで何事も起こる事はなかった。
退屈といえば退屈な時間だったが、刺激はもう、あみぐるみにされてアニシナに窓から放り投げられた事で十分だ。
(それにしても…私を捜している様子が全くないな)
皆に『またアニシナの実験台にされている』とでも思われているのだろう。
本当にそうなのだから、何ともやるせない気持ちだ。
(…?)
廊下の方から、大地を震わせるような音が聞こえてくる。
それが次第にこちらに接近してくる。
…しばらくして、それがぴたりと止んだ。
(…何事だ?)
大きな音を立てて扉が開いた。
その向こうには、らんらんと輝く2つの瞳と、怒りのあまり背後から吹き出している燃えるような殺気。
それがギーゼラだとは、グウェンダルはすぐには確認出来なかった。
「くおらぁっ、ダカスコスっ!! 何処に行った!!」
一体どういう発声方法で出しているのだろう、と疑問に思わずにはいられない、低い声。若い女性の声とは思えない。
彼女が一歩歩み出す度に床がずぅんと振動するが、その細い体躯には明らかに見合わない。
震動のせいで、グウェンダルはぽろっと机から落ちた。
「そこかあっ!」
(何!?)
「うりゃあっ!!」
ギーゼラはすぐそこの本棚から本を引き抜くと、それを狙いも正確に、ウサギのあみぐるみへと当てた。
革表紙の角は当たると痛い。それを身をもって経験した瞬間だった。
激痛のあまりグウェンダルが声を上げたが、ギーゼラには全く聞こえなかった。
「…? …ちっ、ただのあみぐるみか」
そんな声を遠くに聞きながら、グウェンダルは意識を手放していった。
それからどの位経過したのかは解らないが、気がつけば、書庫内に新たな人がいた。
コンラートとユーリである。2人で笑いながら本棚で資料を探している。
ギーゼラの渾身の一撃を喰らって床に落下した筈なのだが、いつの間にやらグウェンダルは机の上に乗っている。彼らが拾ってくれたのだろうか。
ユーリは本をいくつか引っ張り出していたが、やがて全てを棚に戻すと、
「ふあ…あー…何か飽きちゃったよ。昨日も今日もずっとデスクワークだもん」
と言って、両手を上に伸ばして背伸びをした。
その時、異変が起こった。
コンラートが背後からユーリの身体に両腕を回したのである。そしてユーリの耳朶に唇を寄せた。
(!?)
「コンラッドっ……ひゃあ…あ…コンラッド…こんな所でっ…!」
あれよあれよと言う間に、コンラートの手はユーリの学ランの釦を外していく。
(!?!?!?)
最初、グウェンダルはコンラートがユーリに怪しからぬ振る舞いに及ぼうとしているのかと思った。
だが、違うという事はすぐに解った。
「っ…ん…コンラッド…」
普段の快活さの欠片もないユーリの声に、グウェンダルは唖然としてグゥの音も出ない。実際、出せないが。
(な…何という事だ…仲が良いとは思っていたが…)
まさか、コンラートが魔王陛下に手を出していたとは!
予想外の新事実に、グウェンダルはうろたえた。
そうこうする内に、コンラートの手が前からユーリの下肢へと潜っていった。
(コラーッ! やめんかコンラート! お前は男でユーリも男で、しかも相手は当代魔王陛下で弟の婚約者なのだぞっ! と言うか、私の目の前でそんな光景を展開するなあーっ!!)
必死でグウェンダルは叫び、そしてじたばたと暴れた。が、所詮は無駄だった。
せめて頭を背けたり目を閉じたり出来ないかと思ったグウェンダルだったが、それも出来ない。
「人が来たらどうすんだよ…!」
「大丈夫ですよ。鍵、かけておきましたから…ね?」
(…最初からここで事に及ぶ気だったのか…!?)
『愛の営みはベッドでするもの』と思っていたグウェンダルにとっては、ショッキングな光景だった。
ユーリが机に手をついて喘ぐ。
コンラートの手が、執拗にユーリの雄を責め立てている。それを自分の目の前で行われているのが、グウェンダルにとっては困りものだった。
ギーゼラにやられた時のように気絶出来たら…と思うが、やろうと思って出来るものではないらしい。
コンラートが熱っぽい声でユーリに囁いた。
「ほら、陛下。ウサギさんが見てますよ…?」
(本当に見ているのだが…)
流石のコンラートも、あみぐるみの正体が兄だとは気づいていなかった。
グウェンダルがユーリに目を向けると、ユーリも涙目でちらっとこちらを見ている。
その顔は歪み、唇が震えて鳴き声を漏らす。
決定的な刺激を与えられてユーリは登り詰め、そして昂ぶりの先端から白濁した残滓を迸らせた。
(★○◇●▽◎!?)
グウェンダルは表記不能な悲鳴を上げた。
ユーリが放った液の殆どはコンラッドの手に受け止められたが……ほんの僅か、グウェンダルの頬にもかかってしまったのだ。
触覚はあるので、生暖かく濡れた感じが伝わってくる。嗅覚がないのが救いかもしれないが、ものすごいショックだった。
「いけませんね、陛下。ウサギさんが汚れてしまったじゃないですか」
(お前のせいだ、この大馬鹿者が!!!!)
魔術が使えたなら、今すぐコンラートを首だけ残して埋めてしまいたい。
コンラートが濡れた指でユーリの腰をさすり、そのまま下へと下って、そして指で後孔を探り始める。
倒錯的な光景にグウェンダルは目眩がした。気絶するまでもう少しだろうか? 一刻も早く、夢の世界に行ってしまいたい。
「俺の指が何本入ってるか、解ります?」
「っう……」
(…知りたくない…)
弟のこんな性癖は、知りたくなかった。
自分の視界のど真ん中にユーリの雄が映るのも、勘弁して欲しい。先程達したばかりだと言うのに、もう固さを取り戻しつつある。
やがてコンラートは指を引き抜いたが、グウェンダルはここで行為が終わる事を希望した……が、無論、そんな訳はなく。
「っい…ああぁっ…!」
(ぎゃー!!)
グウェンダルの切なる願いも空しく、ユーリとコンラートは繋がった。
廊下に聞こえるのではないかと思う程、ユーリが大きい嬌声を上げる。
コンラートが激しくユーリを揺するので、ユーリが手をついている机も間接的に揺さぶられる。おかげで、その上に乗っているグウェンダルも揺さぶられるが、むしろ好機だった。上手い具合に転がって、俯せになれれば、少なくとも2人から目を背けられる。身内の淫行など、見たくもない。
グウェンダルは机から床へと落下した。床に叩き付けられたが、思ったよりも痛くはなかった。
…だが、机の上よりも更にまずいポジションに落ちてしまった。
机の上からでは見える事のなかった2人の下肢が、モロに見えてしまうのだ。
(ぎゃーーーっ!)
悲鳴を上げても仕方ないと思いつつ、叫ばずにはいられない。
弟のものが魔王陛下の…これ以上は考えたくない。
あまりに際どい所を見せつけられて、グウェンダルは涙が出そうだった。
…日が沈みかける頃、アニシナが書庫にやって来た。
「見つけましたよ、グウェンダル。…おや、随分と汁まみれですね。ギュンターにでも捕まったのですか?」
(…そうだったらどんなに良かったか…)
「あみぐるみの気持ちを堪能しましたか? では、元の姿に戻して差し上げますからね」
アニシナが例の魔動装置を出してきて、再度グウェンダルに光を当てる。
すると、ようやく彼はウサギさんの姿から、元の魔族の姿へと戻る事が出来た。
「…随分げっそりとしていますね。楽しくなかったのですか? せっかく大好きなあみぐるみになったというのに」
「…お前もなってみれば、楽しくなかった理由が解るだろうな…」
グウェンダルはすぐさまハンカチで顔を拭いた。髪にもついていたので、念入りに拭き取る。
アニシナがやってくるほんの少し前まで、延々と2人はこの場でいたしていった。
…グウェンダルにとっては長い長い地獄の時間だった。しかも…汁まみれにされたし。
すぐに夕食の時間なので、湯浴みをする時間はない。それが残念だった。
夕食の席でのユーリはひどく疲労困憊といった体であった。
そしてコンラートはというと…疲れなど何処吹く風か、ひどく上機嫌だった。
その顔を時折睨みながら、グウェンダルは口の端をピクピクと震わせていた。
で、食事の後…グウェンダルが真っ先に湯浴みに向かったのは、言うまでもない。
(終わり)
フォンヴォルテール卿が×××になった日
ギャグな筈なのに18禁です…すみません…。ちなみにウサギさんはミッ○ィーを想定しています。ミッ○ィー大好きなんで…。